おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

皇室と宗教に関する財政  (第1368回)

 今回は少し強引な展開になるかもしれない。報道によると、わが首相はまた改憲についての言い回しを改めており、「日程ありきではない」と仰ったらしい。今までは、日程ありきだったらしい。内閣にお家騒動が相次ぎ、このままではお取り潰しではという危機感が生じたのか、近頃やや大人しい。

 しかし言葉尻をとらえると、日程ありきではないということは、選択肢として「これまでより急ぐつもり」という可能性も含まれる。公共放送がしきりと戦後最低と宣伝しているトランプ大統領の支持率を下回ったのだ。それは焦るだろう。改正草案も風前の灯かなあ。本日は第88条および第89条。


【現行憲法

第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。


【改正草案】

(皇室財産及び皇室の費用)
第八十八条 全て皇室財産は、国に属する。全て皇室の費用は、予算案に計上して国会の議決を経なければならない。

(公の財産の支出及び利用の制限)
第八十九条 公金その他の公の財産は、第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き、宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供してはならない。
2 公金その他の公の財産は、国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して支出し、又はその利用に供してはならない。

 
 さて、現行の第88条は、第一章「天皇」にある第8条と少し似ている。
第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 一文にまとめられそうなものだ。二か所に置いた起草者の真意は不明だが、ともあれ第一章「天皇」と、第七章「財政」の両方に関わることだけは間違いない。財政の章にも含める理由は、ここからが個人的意見になるのだが、次の第89条と並んでいることに意味はないだろうか。


 第89条も、第20条のいわゆる政教分離に関わるものなので、両方とも再登場と言えなくもない。ここは、念には念を入れたかったのだ。誰かが。当初はそれが誰だったか知らないが、いまや日本国民である。いまのところ。

 第88条において、皇室の財産は全て国有であり、その金と物の出し入れは、皇室だからではなく国に属するから、国会の議決を経なければならないと定められている。具体的には予算という形で示される。


 第89条の「公金」、「その他の公の財産」というのは、法律用語なのかどうか知らないが、一般には、私有財産の反対語で、国や地方公共団体のお金・資産という意味だ。財源という意味では、税金・社会保険料国債・これらの運用益といったところか。

 第88条と第89条を併せて読めば、皇室の財産は国に属し、また、公の財産は「宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」のだから、皇室の財産は、宗教目的で使ってはならない(以下、これを前提とします)。


 他方でわれわれは、昔から天皇が、雑駁にいえば「神主の親玉」であることを知っているし、大半の人はこれに異論を唱えていないはずである。どおりで宗教法人は非課税だ。この血統の代表者を民族の象徴にする限り(おそらく、それをやめても)、神道天皇の縁は切れない。

 であるからこそ、第一章では、天皇が国の運営に関われる部分を限定したうえで、宗教的役割については、国政や国有財産と切り離して、政教分離を守っている。ちなみに、天皇以外の皇族については、憲法は何も語っていない。これから、どうなるのだろう。


 前にも書いたように、政教分離は人類の鉄則ではなく、逆の例のほうが多いかもしれないくらい、国教を定めている国や、宗教指導者を最高権力者とする国は多数ある。むしろ今後、増えるかもしれない。

 これだけ金儲けとITに振り回される傾向が強くなると、人の心が、拠り所を強く求めるようになっても不思議ではない。宗教を認めない共産主義の国が、どれほど非道であるか、私たちは実例を良く知っている。あろうことか独裁と軍事がお好きだ。マルクスは宗教の副作用のほうを強調して「麻薬」と呼んだはずだが、どっちもどっちだ。

 鎌倉仏教が出現したのは、お公卿の時代が終わって、お武家の時代に変わったときだったし、国家神道が幅を利かせ始めたのは、武家政治が終わり、軍人と官僚が強くなった時代です。変革期に宗教は力を持ち得る。願わくば狂暴なカルトが再登場しませんように。

 
 さて、上記の前提が正しいなら、憲法における「皇室」とは、神道ほかの宗教と関わりがない。また、国の公金は国政目的以外に、公営ではない幼稚園や獣医学部の事業に費やしてはならない(この前提、間違ってないだろうな...)。

 すると、改正草案がわざわざ継ぎ足して第89条を長くし、二項に分けざるを得なくなった「第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き」という例外は何なのだ。改正草案の第20条第3項の文章はこうです。後半がその「ただし書」。

 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。


 改正草案は、宗教のための教育や活動であっても、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては」、公金をつぎ込みたいと申しておる。この但書きの表現は至って抽象的であり、その「範囲」や、それを超えているかどうかを、誰がどう決めるのかさえ示していない。

 例えば、この世に教育勅語幼稚園とか、国家神道会議とかいうものがあったとして、それが「社会的儀礼又は習俗的行為」に該当するかどうか、命を賭けてお前が決めろと言われたら、私はどうしよう。そういえば、この国には、憲法裁判所がない。




(おわり)



 

本年は雨に霞んだ隅田川の花火大会  (2017年7月29日撮影)










































.