おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

PKOの基礎の勉強  【後半】  (第1282回)

 水木しげるさんの戦争漫画(今日の日付、12月8日で始まった戦争)のどれかに、水浴中でも身元が分かる木の札を、首から下げていたというエピソードが出できたように思う。爆弾で体が粉みじんになったとき、戦死者が誰か識別するためだ。誰かが生き残れば、何かの役に立つ。しかし、認識票も金属が足りなくて木製になっていたのだろうか。

 私の友人の一人には、自衛隊員の家族を持つ人がいる。その隊員は、2000年代に派遣されたイラクPKOで現地に赴いた。札も技術革新で金属製になり、でも目的と注意事項は同じで、シャワーの間も肌身離さずであったそうだ。実際にPKOが行く現場には、そういうことも起こり得るほどの危険が待ち受けている。


 それなのに、日本に限らず、なぜ多くの国が遠くにある国のPKOに参加してきたかというと、私はこれまで、アイゼンハワーの演説やボブ・ディランの「戦争の親玉」で教わったとおり、「戦争・軍備はお金が儲かるから」という一言で片づけて来た。撤回するつもりはない。日米は民主主義の国というより、資本主義の国だろう。資本主義とは文字どおり、お金持ちの資本家が儲かる世の中だ。

 だが、何時もそれだけとは限るまい。その2000年代といえば、日本では小泉長期政権の時代という印象が強い。2012年の改正草案が公表されて以来、条文案としては過去のものとなった2005年10月の「自民党憲法草案」だが、このころの資料を眺めていると、小泉時代に始まったと後世、位置づけられるかもしれない日本の新たな「戦前」の動きが伝わってくる。


 当時から今日に至るまで、最大与党および外交当局の念願というべき課題がある。国連安全保障理事会常任理事国になりたい。そのためには、世界の平和と安全を維持するためにも理想としては国連軍に、現実には多国籍軍PKOに参加して、世界各地に繰り出さないといけない。ところが日本には軍隊がない。それらしき組織を作ったが、憲法の壁が高く、長いこと個別的自衛権専守防衛のためのものだった。

 最初にこれを変えると言い出したのが、小泉さんたちだ。首相官邸のサイトに、「第59回国連総会における小泉総理大臣一般討論演説 新しい時代に向けた新しい国連(「国連新時代」)(仮訳) 平成16年9月21日」という文章が掲載されている。仮訳とあるので、正式には英文で、トランプ騒ぎを見るにつけ思うに、きっとアメリカに添削してもらったのだろう。

www.mofa.go.jp



 平成16年は、西暦でいうと2004年。上記の「自民党憲法草案」も準備段階に入っている。自民党憲法会議の「お触れ」が残っている。
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/200406jimin-kenpoukaiseinopoint.htm

 二つの資料から伺われる当時の政策の目玉は、国内においては憲法改正、国連においては「国連新時代」に向けた安保理等の改革。これらを通じて、また国内においても軍隊を創り、それに先んじて集団的自衛権を持つこととし、よって国連内での地位を向上させ、グローバルな平和構築に資するという気宇壮大な計画であった。


 「国連新時代」「安保理改革」とは、資料に出てくるように、ただいま立候補中である日本を常任理事国に加えること、および、「旧敵国条項」を削除するという提議であった。要するに、日本も一人前に扱えという悲願の訴えだ。これを今の総理にも分かる言葉でいうと、国際社会における「戦後レジームからの脱却」ということだ。そして、安保理の件は失敗した。

 2004年から2005年にかけて開催された上記の第59回国連総会で日本は、ドイツ、インド、ブラジルとともに、G4決議案を提議して、常任理事国の枠を増やすよう加盟国に求めた。日本の常任理事国化は中国が反対し、大票田のアフリカも、あれだけODAで貢献したのだが賛成せず、そのまま閉会となり廃案になった。外務省に経緯の説明がある。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/un_kaikaku/kaikaku.html


 G4が不成立に終わったときは、普段、国連にはあまり関心のなかった私や周囲も、憤慨したりガッカリしたりの騒動が起きた。このあと日本は、いわゆる「リーマン・ショック」に陥り、年金問題で揺れ、自民党は下野し、2011年に東日本大震災が発生した。この震災は、まだ終わっていない。

 ところが、再度政権に返り咲く目途が立ったころから、威勢を取り戻して改正草案を作り、PKOに手を挙げ、東京にオリンピックも誘致することになった。軍隊を持てば常任理事国になれるかどうか知れたものではないのだが、少なくとも必要条件であろうということで、まずは9条解釈により集団的自衛権、お次が改憲による国防軍の設置という段取りである。

 
 ちなみに、2005年の憲法草案には、この邦人保護の規定が入っていない。その第25条の2は、改正草案でいうと次の第25条の3でいう犯罪被害者関係の条文になっている。後から間に挟み込んだのだ。さらに全体的な印象としては、憲法改正に大変な手間暇がかかるとみて、憲法解釈・閣議決定・個別立法を優先する方針転換に出た。それが止まらない。

 PKOでずいぶん時間を費やしているが、まだ後一つ、温故知新のため書き残しておきたい話題がある。自衛隊が初めて参加したカンボジアでのPKO「UNTAC」のことだ。私の人生にも関係があっただけではなく、今もって学ぶべきもの、注意すべきことがある。







(おわり)







蓮の鉢植え。千鳥ヶ淵にて。
(2016年9月3日撮影)












































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