もしかしたら、ご迷惑をおかけした方がいらっしゃるかもしれないので御詫びからです。事務的なミスをして、URLを変更せざるを得なくなりました。タイトルやこれまでの記事など、他は全て変更ありません。
今回は少し趣向を変えて、ご案内したい書籍は丸谷才一「文章読本」。文学の本なのだが、同書の第四章「達意といふこと」に、昭和憲法と明治憲法の文章を話題にしているところがある。法学ではなくて、あくまで文学の立場からの意見だから、一言でいうと言葉遣いの話。批判的である。
例を挙げる。明治憲法から行こう。丸谷さんは仮名遣いが旧いので、ここでは現代のものに書き換える。「まず、『大日本帝国』という名乗り方が威張り腐っていて、愚劣で、趣味が悪い」。今や新刊書や雑誌やネットには、大日本帝国や大東亜戦争という言葉が氾濫しているのはご存じのとおり。
国会で発議され審議されるものであっても、政治家や行政官や法律家だけに、憲法の文章を任せきりにしておいて良いのかどうか、いっぺん私たちも考えた方が良い。丸谷さんは、この文のあとで、「植木枝盛の二つの憲法私案の、『日本国』という呼称が品がいい」とも書いている。
もう一度、自民党の憲法改正草案を読み直してみよう。特に前文。そして自分で書き直した方が良いと思う人は、遠慮なく書き直して同党に送り付けるなり、ネット上で公開してよい。国民が制定するのだから、何の遠慮が要ろうか。
今や与党内では、第九条や緊急事態条項の条文検討が進んでいる。一字一句、その動向、その意味するところを注視しなければいけない。丸谷流にいうと、例えば明治憲法第一条にある「統治」という言葉の意味が、実にあやふやだということだ。
イギリス風の「君臨すれども統治せず」の意味なのか(私見ながら、たぶん当初は、そのつもりだったように思う)、それとも、「天皇親裁」を意味するのか(周知のとおり、軍部はこちらに持って行った)、そういうことさえはっきりさせないまま、「近代日本史の悲劇はおおむねこの朦朧たる一文に由来する」とまで言い切っている。
今の憲法についての指摘では、次が面白い。第66条第2項である。まずは、いつもの比較から。
【現行憲法】 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
【改正草案】 内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。
さて、丸谷才一はこう言う。「第九条の戦争放棄と戦力の否定により、当然、武官ないし職業軍人はこの国に存在しないはずなのに、それをわざわざこう述べることは第九条と衝突し、つまり論理的明晰さを失うことになるからである」。昭和天皇が「天皇機関説」の説明を聞いたときのお返事を拝借しよう。「その通りではないか」。
その伝でいくと、改正草案は明晰といえば明晰で、国防軍を置くと明言しているのだから、衝突はない。では、いま現在、自由民主党が並べ立てている第九条の改正案あれこれは、この件をいかように対処するであろうか。お手並み拝見。
(おわり)
上野公園のスズメ (2018年3月3日撮影)
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