おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

吉田所長 (号外・後半)

 前回の続きです。もう一つの今次の報道ぶりに関する不満は、確か昨日のNHKも言っていたと思うのだが、所長は奮闘したものの「結果的にメルトダウンを防げなかった」という表現である。ネットのニュース等でも幾つか見かけた。

 炉心溶融については当初から疑いがあったにもかかわらず、関係当局が隠しきれず(これは言い過ぎかな?)、実際にメルトダウンが起きたのは事実であると報じられた。だが、これは当時の現場責任者の訃報と併せて当日に強調すべき事柄か?


 「福一」は東電の筆頭幹部が人災と認めたはずの事故だが、上記のような言い方をしても恬として恥じない人たちには強い不快感を感じる。あえてきつい表現を使うが、まるで人災の犯人扱いではなかろうか。

 この点は今に始まったことではなく、同様の震災に遭いながら第二原発は判断良く最悪の事態を免れたという主張は、専門誌における議論ならばともかく、コンビニやスーパーでも売っている一般誌において辛抱強く張られ続けたキャンペーンである。


 極論と思われるだろうか。この「結果として」あるいは「結果的に」というレトリックは、「極めて遺憾」と並んで、大事件や大事故を起こした企業や官庁が記者会見で頻繁に口ずさむ常套句である。いずれも謝罪の言葉ではない。

 単なるリスク・マネージメントの一環に過ぎない。拙訳を載せると「残念でした。因果関係はあるとしても、過失責任は無いから、訴えたら受けて立つよ」という趣旨である。今回こういう報道をしたマスコミは意図的に、メルトダウン結果責任を他界した直後の個人に負わせているに等しい。


 もう一度、NHKを引き合いに出す。一昨夜の9時のニュース番組で、吉田元所長が本社の命令に反して冷却を続けたという話題に際して、「面従腹背」という表現を男のキャスターが使った。辞書的な意味ではそのとおりだが、公共の場で使うときは、組織人に対する最大級の罵詈雑言である。

 同局は公共放送といわれているが、公とは公共交通機関や公衆便所という使い方があるとおり、皆んなが使えて誰もが利益を得るものである。政界・官界・財界の広告塔を任ずるのは自由だが、近隣国同様、国営放送と名乗っていただきたい。受信料など課さず、税金使って会計検査を受けると良い。

 (訂正:次のPLO関係の段落はNHKではなくて、朝日だったようです。お詫びして訂正いたします。威張ってごめんなさい。)
 NHKに文句をいうのは、ここでも今回が初めてではない。本件も男性キャスター個人の判断ではあるまい。ずいぶん昔の話だが、来日したPLOの故アラファト議長に対して、この放送局はインタビュアーの小宮悦ちゃんに「テロリスト」と本人を前にして言わせた。私はその実況も観ている。

 私は何もNHKなど潰れてしまえと主張しているのではない。その正反対である。偏ったり濁ったりして欲しくない。朝っぱらのニュースから、キャアキャア騒いで欲しくない。言論の自由がない国の人々が、日本にはNHKがあって羨ましいと言っているのを彼らも知っているだろう。自らその地位とプライドを捨ててどうする。もはや戦後ではなく戦前になるだろう。


 あまりに口汚く終わると同類になってしまうので、何とかきちんとまとめなければ。私も五十過ぎまで長生きしたおかげで、遅ればせながらネット社会への参加に間に合って本当に良かった。当方の主観的な時間感覚によれば、ほんのちょっと前まで殆どの人は世の中の情報を口コミかマスコミ経由でしか得られなかったのだ。

 まして素人個人の意見を不特定多数に発信するのはまず不可能で、せいぜい目立つところに落書きする程度のことしかできなかったのだ。こんなブログでも読んでくださる方がいらっしゃる。同意してくださらなくても一向に不満は無いが、こういうことを考えてみる機会にしていただければ嬉しい。さて、次からちゃんと漫画に戻ろう。




(この稿おわり)

















































.