おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

またしても自己責任論か  (第1181回)

 ずいぶん前にも、イラクかどこかの人質解放問題で巻き起こった自己責任論に対しここで反論したが、再びシリアでの同様の件で、賛否両論かまびすしい様子で、うんざりしている。そもそも、自己責任って何だ。自分で蒔いた種は、自分で刈り取れというような、お叱りの言葉なら、確かに昔からある。

 故意や過失で騒ぎを起こしたら、まずは自分で解決すべく全力を尽くせというのは、社会人の常識です。だが、自分一人では手におえない結果を招くことも世の中、たくさんあり、そういうときは助けを求めるのも、また当然のことだ。「責任感を持つこと」と、「責任を取ること」は、別の話でしょうに。


 自己責任だ、税金の無駄遣いだと主張している人たち。税金はこういうときのために、ふんだくられていることを忘れてもらっては困る。日本国憲法が良いことを言っているから、覚えておいてほしい。

 今回の事態は、私とて一方では「いい年して何しとる」と思うが、以下の如く、今回の件は「国政の上で、最大限の尊重を必要とする」事態でなくで何だ。国家権力に対し、貴方たちも含む国民が課している義務です。

 憲法十三条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 残念ながらまだ、憲法は改正されていないからね。こういう条項を変えようとする議員や論者がいたら、要注意なのだ。だいたい、例えばスマホで遊びながら歩いていて、赤信号で車にはねられ、全身骨折で血まみれにかりながら、這ってでも自己責任で病院に行くつもりか。行けというか。

 解放された方は、まず心身の健康を取り戻していただき、そのあとで責任を取ってもらう。国の渡航勧告を無視し、これだけ関係者の手を煩わし、身代金は知らないが、少なくとも外交等に要した行政の費用は、なまじの金額ではないはずだ。でも現金で弁済する必要はない。

 そうではなくて、戦場ジャーナリストを名乗って戦場に出た以上、ジャーナリズムに載せ、知り得た限りの情報を世に伝うべし。私たちは戦場ジャーナリストを必要としている。危ないところには近づきたくないし、困っている人が居るなら何とか手助けしたいではないか。好きにふるまうなら、その役割を果たすべし。同業者の顔に泥を塗るようなことはしないことだ。シリアの人たちの役に立ってほしい。




(おわり)




最近は起き出すころに日が昇る。 (2018年10月21日撮影)







 Help me if you can, I'm feeling down.
 And I do appreciate you being 'round.

         ”HELP!”  The Beatles
























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