おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

くびつりざか   (20世紀少年 第250回)

 第8巻の180ページ目、サインボール救出作戦は成功裏に終了し、日も暮れて少年団は解散するが、コイズミには帰る家がない。ここで親切にもケンヂが案内してくれたのは、誰にも気付かれずに乙女が独りで、一夜を明かすことができる場所、やぶ蚊が守る草原の秘密基地であった。

 コイズミは、蚊に刺されてかゆいやら、アイスすら食べられずお腹が減ったやらで泣き言を並べていたのだが、いつの間にやら少年マガジンを枕に寝入ったらしい(この漫画はのちに彼女の人生を変える)。されど夜中に揺り動かされて起きてみれば、ケンヂが来ている。首吊り坂への肝試しへの招待であった。「行けそうな奴に声かけようぜ」と言っていた、その勘定に入ったらしい。


 ケンヂが新聞紙にくるんだ、おにぎりを二つか三つ持ってきているのが心やさしいではないか。この少年は現実世界において、のちに握り飯を母親に万引きされたり、弁当をホームレスに強奪されたりと、たいへん苦労することになるのだが、ここでは知る由もない。

 そもそも、ケンヂは握り飯を作れるのだろうか。当時まだコンビニはない。この気づかいは、もしかしたらキリコによるものか。後年、良く似た姉弟が「ハルク・ホーガン」を匿ったときのように。コイズミは申し出に乗った。握り飯くわずに蚊にくわれているより、本来の目的であるVA調査が当然、優先する。


 そのころ、現実の世界も夜を迎え、ともだちランドの近くにあるほうの秘密基地では、ヨシツネと二人の隊員が夕食をとりながら話をしている。この鮭の焼いたのと、豆腐の味噌汁が実に美味そうだ。しかし、隊長と隊員の間の空気は、やや険悪な様子で、隊員たちには、隊長が若者を犠牲にしてまで目的を達しようとしているように感じられるらしい。

 ヨシツネもそれに気付いているが、資質に欠けるかもしれないとか、たくさんの犠牲者をみて麻痺しているのかもしれないなどと悩みつつ、強く反論することができない。でも、この秘密基地の地下室にある膨大な資料をみれば、ヨシツネの調査方法が、ともだちランドに若者を送り込むだけの特攻作戦ばかりでないことは推測がつく。

 あらゆる手段を講じても先が見えず、藁にもすがるような気持ちで、この日はコイズミに賭けているのだろう。ところが、急展開があった。ヨシツネが手にしていた例の「ともだちとあった あそんだ」の紙に、電灯の光線の具合で、他の文字が浮き上がって見えたのに隊員の一人が気付く。その上にあったはずの紙に書かれた文字の跡は、「くびつりざか」であった。

 
 このあと、ヨシツネが隊員たちに語って聞かせる首吊り坂の伝説は、妙に長くて、妙に色っぽい。いきなり出てきた少年時代の思い出にまつわるキーワードをもとに、ヨシツネは遠い記憶のかなたから、ゆっくりゆっくり過去を想起しているのだろう。怪談のヒロインは神田ハル。アフガニスタン第二の都市は、カンダハール。関係なかろう。

 隊長によると、その屋敷は「僕らの家の近所に長い坂があった。それを上りきった所にそれは建っていた」。VAの冒頭、コイズミを誘った少年が駆け登った坂だろうか。続いてヨシツネは、悲劇に見舞われた彼女について、「そして神田ハルは...」と語りかけたところで、いきなり複数の大事なことを一気に関連付けて、映像的に思い出した。

 首吊り坂の名の由来であろう、彼女が自死した姿のイメージ、子供のころ実際に自分たちが見た屋敷の階段にぶら下がっていたもの、それと同様にベッドシーツで作られ、「”ともだち”にとりこまれた」少年が泊まった部屋の天井から彼を見下ろしていたもの。それは巨大なテルテル坊主であった。さあ、どうする隊長。器じゃないと言っている場合ではなくなった。


(この稿おわり)



おにぎり(2012年1月4日撮影)