おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

オバケなんかいないよ (20世紀少年 第409回)

 和英辞典で「マンガ」を引くと、"cartoon"や"comic"などが出てくるのだが、やはり似て非なるものらしく、最近はすっかり"manga"も世界共通語になりつつあるらしい。情報が古くて恐縮だが、20年前に米国で暮らしていたころ、雑誌や新聞で見るマンガっぽいものは、同時代の「AKIRA」や「パイナップルARMY」(アメリカで輸入品を買うと大変な高価であった)と完成度において比べものにならなかった。

 日本の漫画は、その細やかな描線により人の心や体の動きを豊かに表現するが、アメリカのそれを見ていると、感情はセリフで説明され、運動は擬音語や擬態語で表されている。つまり言語表現が主体なのです。アニメはともかく、マンガ類は子供が読んで喜ぶようなものは少ない。特に新聞の「cartoon」などは会話を楽しむもので、そういう傾向は例えばスヌーピーのピーナッツ・ブックにも顕著にある。背景もほとんど描かれない。


 例えば、その水準の差は細部においても歴然としている。第14巻の95ページは、前頁で高須が中目黒の雨の街を走る光景を引き取るかのように、ヨシツネがドンキーを追いかけて走っているシーンから始まる。夕日や電信柱を背景に走る二人のシルエットは、白黒逆転しているとはいえ、伝統芸の「紙切り」のように鮮やかだ。

 ドンキーは靴を手に裸足で走っている。ヨシツネが「待ってくれ」と叫んでいるのだが彼は耳も貸さない。そもそも同じ年齢であった小学生時代でさえ、ドンキーの裸足の走りは、ヨシツネ達の自転車に勝るとも劣らない速さであった。ヨシツネはさらに年齢を重ねているのだから追いつくはずがない。オペレーション・ルームのカンナたちが、ヨシツネの心拍数や血圧の心配をしている気配がないのは、異常値に近づく前に挫折したからだろう。コイズミはさらに遅い。


 二人は、ここで合流するであろうモンちゃんたちを待って、ドンキーの家を見張ることになった。屋根に石が積んである。さすがの私の実家も瓦葺で(もっとも借家だったけれど)、ここまで粗末な作りではなかったな。

 もっとも、母方の実家は1945年の静岡の空襲で全焼し、その晩は避難先の橋の下で一家そろって命を拾い、焼け跡に戻って周囲の残骸で急ごしらえの家を建てて寝たが、その夜に嵐が来て、屋根が全部、吹き飛んで行ってしまったらしい。それでも祖父は、「あんときの地震」ほどは大変ではなかったと言っていた記憶がある。「あの時」とは、関東大震災である。


 さて。モンちゃんが来た。ケロヨンとコンチを連れている。ケンヂとオッチョは、モンちゃんによると「肝心な時に全然、頼りにならない」ため不参加。ケンヂ欠礼の事情は後に出てくる。オッチョの場合、すでに角田氏に語ったとおり、首吊り坂で何かを見たとき以来、「そういうマネはやらないようにした」からだ。

 モンちゃんの用事は肝試しではなく、魚の生死に関わるものだったのだが、オッチョは学校に限らず夜の冒険が苦手になったらしい。先日は角田氏が一緒で助かったのだ。厳しく言えば、モンちゃんが恐れているのは魚の全滅ではなく、それにより「先生に大目玉」を食らうのが怖い。昔の先生は、親との共同戦線により権威を構築していたから強敵であった。


 「なんで夜の理科室が怖いんだ?」と、ドンキー少年は訊いた。モンちゃんとケロヨンは、第1巻にも出てきたように、カツマタ君の幽霊が出るのを怖がっている。第1巻では酒の勢いと加齢のため笑い話に終始しているが、ここでは本当に怖いようだ。ドンキーは誘いに応じ、ちゃんと母ちゃんに出かけると一声かけて、ご一行に「オバケなんかいないよ」と言った。

 ドンキーは正しい。私も幽霊やらオバケやらはいないと確信している。いたら怖いなと思うが、この人生には縁がないようで、その気配すら感じない。だが、幽霊よりも有害で恐るべきものがあることまで、科学少年ドンキーは思い至らなかったらしい。そのとき彼が見たものは、後になってわかることになる。


 見た後で、取り返しがつかなくならないように、ドンキーは語るべきであった。後にモンちゃんが幾ら訊いても話さなかったのだ。彼はこのとき見たものの正体や、そいつが怒りに任せて将来どんな奴になるかを、漠然とながら本質は正確に見抜いた。もしも語れば預言者になったであろうが、科学少年の矜持が許さなかったのであろうか。その胸中、如何とも量り難し。

 植木の陰に身をひそめて、ヨシツネは黙って少年たちのやり取りを聞いている。コイズミは、またも顔に怖いと書いてあるが、やはり無言である。二人は”ともだち”の頭の中をのぞきに来たのだが、目の前の出来事を追いかけるだけが精いっぱいで、こういう訳の分からない状況に陥った。とはいえ、ヨシツネはようやく思い出したのかもしれない。実質的に、この物語は1997年、ドンキーが信じられない死を遂げたときから始まったことを。



(この稿おわり)




首吊り坂ではない(東京都新宿区逢坂。2012年6月27日撮影)