おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

写真   (20世紀少年 第285回)

 第10巻の141ページ目で「奴ら」、つまりドリームナビゲーターの襲来を察知したサダキヨは、迅速な行動に出る。ただし、適切な行動かどうかは疑問で、連中がどんな薬をまくかわからないという理由により、雨戸を閉め始めた。へっぴり腰で役に立っていないコイズミに、雨戸の締め方も知らんのかと怒っている。

 かつての木造家屋の雨戸は、確かにそう簡単に開け閉めできるようなものではなかった。暴風雨から脆い家を守る戦力であるから、固くて重たい。10歳まで過ごした実家の雨戸は、子供の私に動かすのは無理で、他にいろいろ家事は命じられたが雨戸の開閉は大人がやっていた。


 サダキヨが、「DDT散布のとき」は雨戸を閉めたと言っているが、わが実家は暢気であり、そこまではしなかったと思う。DDTを知っているのは、私の年代が最後ではないか。今は使用禁止の殺虫剤である。

 うちの田舎では巨大なスプレーのようなものを抱えた男が、DDTをそこら中に噴霧して歩いた。遊んでいる我々は、「噴霧器が来た」と叫んで逃げていたものだ。DDTの有毒性を知っていたのではなく、単に物凄い臭いがしたのだ。

 
 到着したドリームナビゲーターたちは、小泉響子の身柄引き渡しを要求する。「再教育」が必要だそうだ。今やコイズミの命運は、館長サダキヨの出方次第となった。相手は館長を脅したりすかしたりして説得を試みるのだが、サダキヨは決然と言い放っている。「僕は教師だ。このコは僕の生徒だ。あんた方の再教育の必要などない。帰らないなら火をつける」。うん、やればできるじゃん。

 サダキヨは敵の反応を待たずして、ともだち博物館内に灯油をまき散らし始めた。この物語において灯油がまかれるのは、1997年にケンヂのコンビニ店が”ともだち”の配下に襲われて以来、17年ぶりのことである。因果応報とはこのことだな。ところで、なぜかサダキヨはすぐに放火せず、コイズミに”ともだち”の部屋を見せている。


 勉強机の横の本棚に、小学館の図鑑と教科書が、それぞれ数冊、置かれている。図鑑は地理を除き理系だし、一番手前の教科書も「理科 4年 上」。”ともだち”も理科が好きだったのか。4年上ということは、1969年の前半である。フクベエは4年生。

 129ページの壁にかかっているカレンダーも「’69」という年号が入っている。1969年から1971年にかけては、第16巻等で詳しく触れることになるだろうが、いわば”ともだち”誕生の時期である。


 サダキヨは引出を開けて、2枚の写真をコイズミに見せた。ケンヂもマルオもヨシツネもオッチョもいる。サダキヨは「顔の見えない少年」になってしまっている。彼がこのクラスに在籍したのは5年生の1学期のみだから、1970年の春に遠足に行ったときの写真だろう。

 好奇心旺盛なコイズミは、どれが”ともだち”なのかと訊く。サダキヨの返事は、「今のどの写真にも移っている奴さ」。コイズミは驚いて写真を見直しているのだが、まあ当然ですわな、ここは”ともだち”の家なのだから、自分が写っていない写真は普通、買わないだろう。


 多くの読者は、この2枚の写真を穴の開くほど見つめたに違いない。だが、両方に見えているのはケンヂだけで、あとはセリフやコマ割りの枠で隠れてしまっている。謎解きはまだ先のことです。

 写真は他にもあって、「ケンヂのお姉さん」のスナップもある。制服姿のキリコ。なぜこんな写真を後生大事に持っているのか。当時からご執心だったのだろう。キリコは一応、「カメラ目線」のようだが、いつどうやって撮ったのでしょうね。なお、”ともだち”部屋には、「人生ゲーム」も置いてある。

 
 これ以上、知りたくないと”ともだち”探しを止めたコイズミだったが、不意にサダキヨが差し出した写真を「見ちゃった」のであった。これで、彼女は少年時代の”ともだち”の顔を特定できる唯一の証人として、第11巻から第12巻にかけて、ユキジとヨシツネに、こき使われることになった。

 それにしても、コイズミは第8巻でヴァーチャル・アトラクションに送り込まれた際に、首吊り坂の肝試しにおいて、小学校5年生のフクベエと会っているのだ。しかも、同巻の188ページ目や189ページ目の絵を見ると、二人は並んで歩いている。

 彼女は”ともだち”の正体を探るという使命を帯びているのだが、フクベエの顔は記憶に残らなかったのだろうか。”ともだち”は、どこにでもいる平凡な顔という設定なので、仕方がないのか。


(この稿おわり)


かもめの水兵さんの碑。横浜にて(2012年2月11日)。発起人の野間省一さんというお方は、講談社の今の社長さんの、父方の祖父らしい。ちなみに、母方の祖父は敗戦の日に割腹自殺した陸軍大臣、阿南大将であるらしい。