おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

モンちゃんの回想による「理科室の夜」  (20世紀少年 第34回)

 この漫画の作法の一つとして、会話に用いられる「吹き出し」とは別に、「四角形で囲った台詞」も多用されている。演劇に例えれば、独白にあたるものだ。第1巻冒頭の「何かが変わると思った」というのは、当時中学生のケンヂの心の中での呟きかもしれないし、後年そのときのことを思い出しての独り言かもしれない。

 他方で、この「四角囲い」がない過去の話、たとえば31ページから始まる秘密基地竣工の場面などは、誰かの思い出話として描かれているのではなく、作者が作品中の過去において実際にあったこととして描いていると考えて良い。これを区別しないと混乱しそうなので、今回はちょっと固いが文体論のようなものになる。


 108ページ目において、理科室の当番だったモンちゃんは、魚の水槽のスイッチを入れ忘れたのに気付き、魚が全滅すると先生に叱られるので、夜の学校に行ってスイッチを入れようと思い立つ。

 だが、「カツマタ君がバケて出て、フナの解剖してるんだから」という理由により、怖くて一人で行けない。「で、みんなをさそったわけ...」という四角囲いの箇所から、モンちゃんの回想が始まる。


 ところが、この箇所は最初から最後まで彼の見聞録ではない。ABCDの4つの場面に区切ろう。Aは校舎に入ってゆくドンキーを他の連中が見送りにゆくところまで、Bはドンキーが校内の廊下で、後ろから来る誰かに気付く場面、Cは理科室内の出来事、Dはドンキーが学校の2階から飛び降りて逃走、みんなも逃げ出すところで終わる。


 このうち最初のAと最後のDは、実際に当時のモンちゃんが見たという彼自身の記憶であり、「理科室の夜」当日に同行し、この回想の日も同席しているケロヨンに異論がないようだから、事実にほぼ近いのだろう。

 ただし、モンちゃんの記憶では、一行は5人いたはずだから、Aでは当然5人のシルエットが描かれているが、Dで4人に減った理由は描かれていない。


 場面Cはモンちゃんの推測である。ドンキーは「確かに」理科室に入ってスイッチを入れたとモンちゃんは語っているが、これは彼が忘れたはずの水槽のスイッチが入っていて次の日に魚が無事だったから、モンちゃんにしてみれば、当然、ドンキーは約束を果たしたはずなのだ。そして「その直後、あいつは何かを見た」というのは、その後のドンキーの慌てぶりから推測したものだ。

 よくわからないのは、場面Bにおいてドンキーが廊下を歩きながら背後に気配を感じて、「誰?」と振り向くシーンである。モンちゃんの回想ではなさそうだ。四角囲いのセリフもないし、ドンキーその後、何があったか全く話そうとしなかったそうだから、廊下の話だけしたとは考えづらい。


 結局、消去法的にいけば、残る場面Bだけはモンちゃんの記憶を補足する形で、作者が読者向けに情報提供をしているということになるだろう。今後、何回かの重要な場面で、もっと詳しく出てくる「理科室の夜」のシーンの予告編みたいなものと考えればよいか。

 この会話はドンキーの通夜の席上で交わされたものだ。ドンキーはきっと、「あのとき2階から飛びおりても平気だったように、今回も屋上から飛び降りても平気だって」思ったのだろうという、ケロヨンが静かに語る冗談に、みんな何とか同意して、納得できない彼の死に向き合おうとしている。

 その晩の彼らはそれで良かっただろう。しかし、ドンキーが何を見たか分かったとき、事態は取り返しがつかないところまで進んでしまっていたのだ。だがそれは、かなり先の話。次に紹介されるのは、多くの20世紀少年たちにとって一大事となったアポロ11号の月面着陸と、それにまつわる関係者のエピソードである。



(この稿おわり)




わが家の近くには、まだまだ元気な商店街がいくつかある。
今どき珍しい万国旗。モンちゃんの赴任地ドイツの旗もある。(2011年7月4日撮影)


































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