おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

5人目は誰か?  【前半】 (20世紀少年 第411回)

 6年生の理科室の夜の出来事は、第1巻のモンちゃんの思い出話と、第14巻のヴァーチャル・アトラクションに詳しい。前者は遠い昔の記憶であり、後者は仮想現実だから細部に違いがあるのは仕方ないとして、両者には明確にして興味深い共通点と相違点がある。

 すなわち、(1)ドンキー、モンちゃん、ケロヨン、コンチのほかに、もう一人、5人目の誰かが一緒にいた様子であること。(2)理科室に向かう学校の廊下で、ドンキーが後から誰かが付いてくるような気配を感じていること。この二つは共通している。明らかに異なっている点は、(3)前者においてドンキーは水槽のスイッチを入れているが、後者ではスイッチは入ったままだった。


 今回は、(1)の5人目は誰かについて考える。物語は最後に至るまで、これが誰だったのかを示してはいない。つまり、誰であっても、どうでも良いようだ。多くの読者は結局、何だったんだよと今でも思っているのではないか。私もそう感じつつ、とはいえ第1巻だけならともかく、第14巻に再出するということは、何らかの意味があったのだろうという想定に基づき、以下、ほとんど妄想に近い推測を行います。

 ご用とお急ぎでない方は(最近の日本人は忙しいし、あるいは忙しい振りをするのが好きなので、こういう客寄せ口上も聞かなくなって久しい)、どうぞお付き合いください。ちなみに私とて、たまには忙しいが、このブログは週末や昼休みにこつこつと書き溜めています。


 これまで何回か触れてきたように第三小学校の理科室が、特に、このときの理科室の夜の出来事が、”ともだち”の成り立ちに深く関わっているのは疑いない。したがってしつこく検討する。第1巻の106ページ、ドンキーの通夜の席上で、ケロヨンとモンちゃんが、カツマタ君の幽霊とドンキーの小学校時代の話を、ケンヂとマルオとヨシツネに伝える場面に戻る。

 ここではモンちゃんが、確か6年生のときもドンキーが飛び降りたという話題を持ち出して、ケロヨンは「なっ、オバケ見た時な!」と話を合わせている。続いてケンヂが首吊り坂のときかと尋ねるのだが、モンちゃんは「あれとは、また違う」と否定している。


 彼らの口ぶりからして、ケロヨンとモンちゃんは、当時ドンキーが何を見たのか語らなかったにもかかわらず、どこまで本気か知らないが、ドンキーが「オバケを見た」という話として語っている。少なくとも子供時代は、第1巻で「出たああ」と言って本気で逃げているのだから怪談だったのだ。ショーグンの思い出話の中では、その晩、モンちゃんはほとんど眠れなかった様子だし。

 その割に第1巻のモンちゃんの記憶は今一つ不鮮明で、誰と一緒に行ったのか、なかなか思い出せない。ケロヨンと水木しげるタッチのコンチが同行したのだが、さらに「あと、もう一人、誰だっけ?」と言ったまま思い出せない。108ページ目中段の絵は、モンちゃんの記憶をベースにして、ドンキーも含めて5人の人影が描かれている。


 ずっと以前にも書いたが第1巻では、少なくともドンキーが校舎に駆け込むまで、および、ドンキーが飛び降りて以降は、モンちゃんの思い出話を作者が絵にしていると考えて差し支えあるまい。そして、当該場面の全体において、5人目の顔は描かれていない。108ページ目のシルエットだけである。

 そのうち4人は同じくらいの体格だが、一番うしろを歩いている人物は、振り返ったコンチが第14巻で「今、誰か、うしろにいたみたいな...」と言ってモンちゃんとケロヨンを怖がらせた、その「誰か」であると思われるが、モンちゃんの「...で、みんなを誘ったわけ...」という吹き出しのセリフに隠れているため、大人か子供かも分からない。


 ここで前提としておきたいのは、上記(1)の5人目と、(2)のドンキーが廊下で気配を察した誰かは、同一人物である必要も証拠もないということです。一方、同一人物である可能性を否定する材料もない。どちらも、有り得る。もしも、同一人物であるならば次々回に(2)を検討した結果と同じ人ということで簡単に済む話。以下は、(1)の5人目と(2)とは違う人という可能性について考えます。

 難しいのは、(1)と(2)が同じであろうと別人であろうと、モンちゃんの「もう一人、誰かいたな」という第1巻のあいまいな記憶や、5人一緒に校庭に入っていく描写をどう処理すればよいかだ。第14巻では、「もう一人、誰かいたな」どころの騒ぎではなかったのだから。長くなったので、以下次号です。




(つづく)




ここ東京では、ゼラニウムも梅雨時に咲く(2012年6月28日)