おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

解釈  (第1280回)

 一般に解釈という作業は、受け取った情報を受け手の側が、自分の言葉なり感じ方なりに置き換える行為だろう。よく使うのは芸術の分野で、文学や絵画や詩歌などのジャンルでよくきく。また、難しい文書や外国語を理解するにあたり、解釈がおこなれる。

 法解釈は、通常「legal interpretation」と訳され、外国語の「通訳」と同じく、インタープリテーションを用いる。当然、本来の意味と食い違うおそれがあり、大失敗には責任が伴う。だから、法解釈は法律家しかやってはいけないとおっしゃる法律家もいる。かくして、山ほどの学説や、相異なる判決が出る。仕方がない。


 法律に規制される私たちは、ここまでなら合法であると勝手に解釈しても、ダメな時はダメだ。そして、憲法に規制される国家権力が、憲法を解釈するにあたり、その責任者である司法府を除く機関、つまり行政府や立法府が解釈してはいけないのではあるまいか。

 でも、私はどこかで間違っているらしい。憲法は解釈の花盛りである。すでに見て来たとおり、自衛権は、ケロッグ・ブリアン協定やら国連憲章やら、むかし日本国民のあずかり知らないところで作文された文章を根拠に「所有する」と解釈され、後は日米安保PKO集団的自衛権、それに基く「駆け付け警護」など、品種改良も進んだ。


 故意か偶然か、こういう事態は殆ど全く学校で教わらない。だから、こんなに一個人が苦労する。最近はまともに報道すらされない気がする。先週の例を挙げる。11月28日、幾つかの新聞に、陸上自衛隊の情報通信システムがサイバー攻撃を受けたという記事が載った。朝刊一面トップで報じた東京新聞の表現を借りると、複数の自衛隊高級幹部は「危機的で相当深刻な事態だ。早急に再発防止策を講じる必要がある」と強調。

 侵入だけで済んだならともかく、情報漏洩でもした日には、PKOの人員装備や行動計画も知られてしまうのではないかと心配になった。そこで当日夜と翌日朝の公共放送のニュースを見た。当日午後7時のトップ・ニュースは、既に地に堕ちている芸能人による覚醒剤使用の「疑い」で黒山の報道陣。そのままサイバー問題には言及無し。もう大本営発表すら、してもらえない。


 気を取り直して、駆け付け警護の調べ事の続きだ。なんせ解釈の結果、合憲であると我が政府が言い出し、国連ですら南スーダンの治安に関する警告を発信している様子なのに、現地に派遣した。何もないことを祈る。そもそも、いわゆる「駆け付け警護」とは何か。国が言い出したのだから、国の言い分をお聴きしよう。

 情報源は公的なもので、前にもお世話になりました防衛省自衛隊の「平成28年 防衛白書」。該当部分は、その名も「<解説>駆け付け警護について」。
http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2016/html/nc018000.html
【後記】 この白書は何故か削除されてリンク切れ。でも現物は国会図書館ならあるだろう。


 最初の段落に例示されている過去の出来事は、1994年にザイール(当時)で日本のNGOが、PKO自衛隊に救出を求めたというもの。このNGOとは岡山のAMDAのことで、NPO法人法ができる前から世界中で活躍している、しっかりした団体と認識している。このときは現地関係者の判断と行動が迅速・適切であったようで、幸い大過なく終わった。先述のルワンダ難民キャンプでの出来事である。

 国はこれを、当時のPKO法で定められていた自衛隊による「輸送」で読んだらしい。それに対し、違法行為ではないかという反論があった。当時は「駆け付け警護」が行動計画には含められない決まりだった。救助の要請を受けた指揮官の心中は察して余りある。でも、憲法の問題は、自分が相手の立場になって考えなければならない。そうしないと改正草案のような傑作を作られてしまう。


 この私ならどうするか。やっぱり、警護に行くだろうな。当然、二次被害自衛隊が被害を受ける)おそれがある。あらゆる災害対策で判断を迫られる難問中の難問で、要は「どちらかしか救けられないとき、どちらを選ぶか」という白熱教室的な、しかし象牙の塔の外で、答えを準備していない質問に答えを出すのが男と言うものだ(宮城谷昌光さん、確か「奇貨居くべし」)。

 指揮官が選んだ方針は、仮に国家公務員としては違反行為であったとしても、ソルジャーとしては選ぶべき道であったと思う。ここで、法律や契約に違反するからという理由で遭難者の窮地を看過したら、少なからずの部下の心が離れるだろう。あとで危険な状況に置かれたとき、喜んで指揮命令に従うだろうか。誰が彼の為に死ぬか。


 上記のサイトの頁下に、「前の項目に戻る」というアイコンがあり、クリックすると「<解説>在外邦人等の保護措置について」が出てくる。これが、改正草案の第25条の3「(在外国民の保護)第二十五条の三 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。 」と対応しているのは間違いない。安保法制の流れなのか、改憲に先んじて、既に行政文書に出ているのだ。

 しかも最初の頁に戻り、改めて「<解説>駆け付け警護について」を打ち眺めると、第3段落以降にある、いわゆる「駆け付け警護」の説明文中に、「日本」や「我が国」という言葉はない。いつもどおり意地悪く解釈すれば、AMDAの被害を奇禍として、在外邦人に対する駆け付け警護を可としたのみならず、今後は国連ほか異国の皆さんも警護する必要がある。違いますか?


 さて、以前なぜ第25条の2が改正草案の第9条のグループになく、第三章「国民の権利及び義務」に入れてあるのだろうと悩んだ。これについては、まだまだ勉強不足なので、関連しそうな法律と条文を挙げるにとどめる。国会法の第六十八条の三 、「前条の憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」。

 これは「発議」(国会で、改正しようと言い出すことでしょう)についての規定なので、我々が自ら行う「投票」の時点でも、そうなる仕組みなのか否か、まだ分かりません。ともあれ、少なくとも発議の段階では、内容が関連するものは、まとめて提案しないといけない。したがって、間違っても改正草案の第25条の3のような防衛省自衛隊に直接関連する事柄が、信教の自由や教育の義務と同じ固まりで議論されてはならない。第9条と一緒に取り扱うべきです。このあと出てくる緊急事態条項案も同じ。


 どうやら、これまで「駆け付け警護」の合法化の過程は、与党・内閣による憲法解釈 → 閣議決定 → 安保法制等の立法 → 行政(白書や自衛隊の派遣) → 憲法改正(未定)という順番で行われているように見える。これでは、名ばかり立憲主義になってしまいそうな気がするので、どこかが私の誤解でありますように。

 以上は、取り敢えず手続き論であって、PKOや「駆け付け警護」の適否や、良し悪しを述べているのではない。駆け付け警護は、もう始まってしまっているので、その展開も見ていかなくてはいけなくなった。PKOにおいても、もう少し学びたい。ということで、上記のサイトにも以下の通り出て来た「参加5原則」や、従来の議論等の復習をする予定です。

 (引用) 参加5原則が満たされており、かつ、派遣先国及び紛争当事者の受入れ同意が、国連の活動及びわが国の業務が行われる期間を通じて安定的に維持されると認められることを前提に、「駆け付け警護」を行うことができることとしました。

 



(おわり)





歌川国芳 







































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