おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

駆け付け三杯  (第1277回)

 こういうタイトルを掲げただけで、不謹慎と言われるような日が来たら恐ろしい。昔から楽しく使っていた表現が、不自由になることが近年多いが、悪いのはその言葉ではなく、その言葉が表す対象でもなく、それを使う人間の悪意、またはそれを疑う者が偏狭であるためであることが多い。大半の差別用語が、そうでしょう。今回からしばらく、改正草案の第25条の3に付き合う。

  【改正草案】

(在外国民の保護)
第二十五条の三 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。


 私が初めてこれを読んだときの感想は、「有無を言わさず、『駆け付け警護』を合憲しようとする荒業か?」というものだった。だが、この連想が適切かどうかを考えることから始める。書いてあること自体は、立派なものだ。その節はお願いします。日本国民は、日本国籍を持つことが要件であって、居住地を問わないから在外でも当然この対象となる。

 しかし、これはすでに、在外公館に勤めてみえる外交官の皆さんが、行っていることである。憲法上の根拠は、私見ながら第13条だけで十分だ。「第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」


 大変な重責である。一般の事務職で大使館にお勤めの人たちは、武器も持たず、緊急事態が起きたときの救助活動の特訓も受けていないと思う。自衛官が派遣されている国もあるが(防衛省自衛隊のサイトには、「わが国では防衛駐在官と呼称していますが、一般的には駐在武官と呼ばれています」とある)、もちろん日本の憲法・法律を守らなけれなならない。

 しかも個人であって、部隊の単位で派遣されている訳ではない。当然、その「最大の尊重」は限定的なものになるが、海外に駐在・留学・旅行する日本国民は、それもやむなしと覚悟していくか、全く危機意識もないまま、運よくお土産を抱えて帰ってくるかだ。そして、「それでは、ぜひ自衛隊に行ってもらおう。戦争の準備・訓練にもなる」と、やはり誰かが考えた。


 今月(2016年11月)、南スーダンに初の「駆け付け警護」の自衛隊が派遣された。青森の師団である。古いが八甲田山の遭難事故を思い出す。そして、私が二三年前にその地を踏んだとき、あまりの「何もなさ」に呆然とした津波の被災地、陸前高田で救援活動を行っている。

 手元に数字がないので、記憶の受け売りで申し訳ない。太平洋戦争において、東北地方の徴兵率が群を抜いて高かったという説を聞いたことがある。その主張者の理由付けは、戊辰戦争以来の「東北差別」であったという。他方、日露戦争では、東北の兵は九州と並び強かった。以上は、余談。


 駆け付け警護の制度については、次回以降に検討する。今回は最後に、いわば「タイミング」の整理をしたい。改正草案が発表された2012年4月、自民党はまだ野党だった。南スーダンへのPKO派遣は、民主党政権下で始まっている。この時点で早くも、改正草案作りにおいて、具体的に特定国の南スーダンへの駆け付け警護派遣が想定されていたとは考えにくい。

 そんな予知能力があったら、とっくに使っているはずだ。では、その時点までに少し似たようなことがあったかというと、中高年の世代ならご記憶かと思うが、あった。1994年、世界が震撼したと申しても決して大げさではないと思うが、ルワンダの内戦で大量虐殺が起きたのを受けて、難民が大量に発生した隣国ザイールに自衛隊が派遣されている(国連PKOではなく単独派遣)。


 知人にルワンダの平和構築に長期、携わった人がいるので、比較的よく覚えている。このとき、派遣中に日本のNGOから、難民キャンプの治安悪化に巻き込まれ、車両が奪われて移動できないという輸送・救援の要請があり、複雑な経緯は知らないが、自衛隊は現場の判断で救助に成功し、そのあとで憲法に抵触するのではないかという批判を受けた。

 そもそも派遣前に、機関銃を持つ持たないの段階で政治的な問題になった。違憲で批判されるとしたら、現場ではなく、派遣したほうだろうに。この点については、「踊る大捜査線」が正しいと思う。政界も報道も左右を問わず、自衛隊の組織は温存したまま、水掛け論を繰り返して半世紀余り。

 ついに、「その場にいた自衛隊」ではなく、「誰と戦い、誰を援けるのか、よくわからないまま派遣される自衛隊」の時代が来た。私は軍事の議論などしたくないのだが、時流に追いつき追い越されてしまった。当初の目的である「国民投票になったら、どうするか」のためには、避けて通れない段階にきてしまっている。気が重い。





(おわり)




この寒いのに咲いている。 (2016年11月17日撮影)
















































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