おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

あたらしい憲法のはなし  (第1246回)

 「みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。」


 本日は憲法記念日であります。今朝のNHKニュースでご覧になった方も、いらっしゃるのではないかと思います。「あたらしい憲法のはなし」は、昭和23年2月2日の発行です。国立国会図書館がウェブで公開しており、その奥付に日付などの情報が載っています。文部省が出している。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113070

 そこから第9条の「戦争の放棄」(原文はまだ旧字体なのだ)に関するものを転記しました。第1条の「天皇」の解説も味わいがありますが、あまりに長くなるのでサイトでご覧いただければと存じます。


 そもそも(「基本的に」という意味ではなく、「当初の」という意味)、このブログを始めたきっかけは、何年か前になぜか忘れたが突然、憲法を語りたいと考え始めたからだ。たぶん年をとり、体験やら主張やら、あれこれ語り残したくなってきたのだろう。
 
 その時に別のブログに書いたのは、まずは勉強しないといけないし(ただいま奮戦努力中)、他の人とも議論したいし、機会があれば国民投票もしたいと書いたうえで、その結果、変わらなくても構わないと述べている。この考えは今も変わらない(いわゆる改憲派でも護憲派でもないということになる)。


 一方、その当時、第9条はどう読んでも日本語としては、自衛隊の現状(ただし、当時は集団的自衛権は無いことになっていた)と合わないので、災害対応と(個別の)自衛権を持つという内容で、憲法に載せるべきだろうと思っていた記憶がある。

 今はどうかというと、自衛隊の役割は上記のとおりで良いという点は変わらないのだが、果たして憲法にそのまま書くことが本当に最適なのかどうか、よくわからなくなってきた。はっきり言えることは、現政権に憲法をいじってもらいたくない。危なくて仕方がない。


 数日前、この5連休は休みたいとみえて、自民党が「憲法改正」について気炎を上げた。今年が憲法成立の70周年であるため、節目の年に「憲法の改正という大きな目標」に向かい、必ずや大きな歴史的一歩を踏み出すと総理が仰っている。確かに、大失敗しても歴史に残る。

 それに節目だから変えるのか。さらに、憲法改正は、日本をもっと良い国にするという目的のための手段である。改正自体が大きな目標などと言ってもらっては困る。これでは名前を残したいだけだと言われてしまいます。

 第一、憲法の改正は、与党や首相がやることではない。国会が持つ権限は、いずれ話題にするつもりの第96条にあるとおり、憲法改正の「発議」に過ぎない。国民の「承認」がなければできない。言葉遣いには、くれぐれも気を付けていただきたい。よく間違えるからねえ。


 驚いたことに、同じニュースで久しぶりに中曽根の大先生を観た。元首相の親父のほうである。政治の世界は、民間企業が定年制の延長や廃止を進めているご時世に、これを設けたり年齢を下げようという議論が盛んな文化遺産である。

 これはたぶん高齢でも十分、働けるからで、一般に本会議室と呼ばれる最高機関の最重要の職場において、職務中も仮眠自由、熟睡可能なのだ。有休も多い。しかし、そういう現場といえど、憲法よりも年長の者は、そうはいまい。


 まして、憲法制定時にすでに成人している日本国民、すなわち、この70年にわたり憲法に責任を持ち続けている人となると、確かに中曽根さんは適役である。そして相変わらず持論である「憲法の欠陥」を主張していなさる。

 どの部分が欠陥品なのか、ぜひ教えていただきたいものだが、報道をざっと眺めた範囲では、具体的な指摘は本人からも同党からもなかった。例の改正草案は、そのまま提出はしないと言っているが、すぐには信用しませんし、もっと悪くなるのが怖い。


 せっかくの機会だから、もう少しだけ「あたらしい憲法のはなし」から引用して終わります。「みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません」。

 政治家のみなさんも是非よい子にしてね。今朝のニュースによると「あたらしい憲法のはなし」は、当初、義務教育の教科書であったが、間もなく朝鮮戦争のころ副読本に格下げとなり、自衛隊の創設とともに、廃止となった。あたらしくなくなったのではなく、辻褄が合わなくなったのだ。だから私も困っている。





(おわり)


近所の諏方神社  (2017年4月23日撮影)








































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