おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

第111位から更に下がる可能性  (第1272回)

 ようやく第24条の検討も、最後の回を迎えている。本日は現行第24条第2項と、改正草案の同第3項の比較。

  【現行憲法

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
  【改正草案】

家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


 後半の「法律は」で始まる文言は、両者、全く同じ。他方ずいぶんと姿が変わったのが、立法に際し「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚する必要がある前半部分だ。最初に感想を述べると、いずれも全条項を通じて、両性の本質的平等が強調されているのは、婚姻や家族など基本的に家庭内のことに限られている。

 もっとも、第14条の法の下の平等に、政治的、経済的又は社会的関係において、性別による差別されないと定められているから、政治経済の全般において、男女差別禁止である。しかし、あくまで個人的な印象であるが、第24条で強調しているがために、かえって「ここだけは」という制定当時の意気ごみが残ってしまっているように思う。考え過ぎか。


 半年ぐらい前だったか、どういう根拠で誰が判定したのか覚えていないが、国別の男女格差の比較が公表されて、日本国は順位の数字が覚えやすかったので覚えているが第111位だった。これを発表したのはダボス会議の主催者でもあるスイスの「世界経済フォーラム」(WEF)というところらしい。同会議は有名人らの集まりで、言いたい放題であることが知られている。

 それにしても、111位とは、よくぞここまで数えてくださったと感心するほどの位置である。144か国中の111位だそうだ。どういう観点で順位を付ているのかというと、ここからは記憶に頼るが、議員の男女比とか、企業の経営者や管理職の比率など人数割合において相変わらず評判が悪く、特に私が気になっているのはこれらと関連するのだろうが、男女の所得格差である。


 つまり、政治的、経済的又は社会的関係の多方面にわたり、法の下では平等であったとしても、現実社会ではまだまだ欧米人らから見ると、日本は遅れている。散々アジアやアフリカを収奪してきた彼らの国情と、その他の地域のそれとは違いがあるはずだと思うのだが、たぶん考慮されていない。言いっぱなしは止めてほしい。

 他方で、日本の産業構造も、いよいよ商業・サービス業などのいわゆる第三次産業が中核となり、すでに労災の件数さえ第三次が1位のはずだったと記憶している。男が有利な力仕事的な仕事の割合が低下しているのだから、もっと女性の地位向上が進んでも良いはずだし、企業もそのほうが有利なはずなのだが、この点に関しては発展途上だ。そこにきて、この改正草案である。


 ここで本論に戻る。相違点として挙げた部分において、現憲法の当該箇所は「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項」となっている。筆頭の「配偶者の選択」は、婚姻に至る必須の手順である。この件については、またあとで述べる。

 一方の改正草案は、同じ箇所が「家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項」になっている。トップランナーを「婚姻」に代えて「家族」としたのは、ここでの順番だけではなく、そもそも本条の第1項の文頭がそうだった。意図的・優先的な順序であることは間違いない。


 現行の文中にある「家族」という言葉は、「配偶者の選択」や「財産権」のような独立項目ではなく、「家族に関するその他の事項」で一かたまりである。「その他の事項」は明らかではないが、改正草案でいうと、「扶養」や「後見」などが該当するのかもしれない。主に家族が老人子供に対して行うことであり、このため最後は「親族に関するその他の事項」に変わった。

 まだ指摘したいことがある。以前ご紹介した当家の書籍「契約用語 使い分け辞典」(新日本法規)には、契約用語(法律用語や裁判所用語も含むと書いてある)の世界では、この条項にも出てくる「並びに」と、「及び」の使い分け方法について、以下のような概説がある。


 カテゴリーが一つの場合には、「及び」を使用し、カテゴリーが2つ以上の場合には、一番小さいカテゴリーに「及び」を、大きいカテゴリーに「並びに」を使用。

 本条に即していえば、私が先に項目と呼んだものが「大きいカテゴリー」に該当し、その項目の内部で何かを並べるときの、その何かが「小さいカテゴリー」に当たる。具体的には、例えば改正草案の「婚姻」と「離婚」が小さいカテゴリーであり、「婚姻及び離婚」とつなげることで、大きいカテゴリーに属することになる。


 これに応じて両者を分解すると、まず現憲法の前半は、次のようになる。大きいカテゴリーは「並びに」を外せば、各メンバーが、何らかの優先順位ごとに区別できる。1)配偶者の選択、2)財産権、3)相続、4)住居の選定、5)離婚、6)婚姻及び家族に関するその他の事項。上記「何らかの優先順位」とは、ここでは基本的に需要度とみて差しつかえあるまい。

 これが改正草案になると、こういうふうになる。1)家族、2)扶養、3)後見、4)婚姻及び離婚、5)財産権、6)相続、7)親族に関するその他の事項。問題はこの起草者が、このような法律家の習慣・観点を身に付けていて、意図的にこうしたのかどうか分からないのだが、単に「婚姻」と「離婚」の順番をひっくり返したつもりでいるとしたら、勘違いをしている。


 いまの憲法において、6)婚姻及び家族に関するその他の事項が最後になっているのは、すべて重要度が低いからではなく、すでに第1項で婚姻関係を詳しく定めたためだ。つまり、青字の6)は実質的に、「婚姻に関するその他の事項」及び「家族に関するその他の事項」である。家族はこの程度の扱いになっている。

 なお、文中の「財産」とは財産一般というより、この条項の性格から考えて、民法の「夫婦財産制」に当たるものだろうと思う。同じく「住居の選定」も民法の「第七百五十二条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。」に対応するものだろう。後者を削除した改正草案は、いかなる理由でそういうことをしたのか。せっかくの協力扶助の規定なのに。


 何はともあれ目立つのは、現在の首席である「配偶者の選択」を抹消処分にしたことだ。前回、民法の第4編「親族」の総則を取り上げたが、それに続く各論の筆頭が「第一節 婚姻の成立」の「第一款 婚姻の要件」というグループで、ここに「配偶者の選択」に関するお馴染みの諸条項、すなわち結婚の年齢制限、重婚・近親婚の禁止、大問題になった「再婚禁止期間」の定めなどがある。

 民法憲法に従っているのだ。そうと知らずに「配偶者の選択」は、「両性の合意に基づいて成立」と同じようなものだから、消してしまえというご判断であったとしたら、徹底しているという意味において気持ちは分からんでもないが、憲法で遊ぶのは止めてもらいたい。


 最後に、実に勝手な推測ながら、第24条が婚姻にスポットライトを当てた理由は、おそらくメイン・テーマの男女平等(≒家制度の撤廃)だけではなく、ワイマール憲法の影響もあるのではないかと思う。1919年、第一次世界大戦で惨敗し、第二帝国が滅びた直後のドイツが制定した共和制の憲法

 国が置かれた状況が、第二次世界大戦後の日本とよく似ている。ドイツ語は読めないので、英文版や日本語サイトの断片から判断するに、誤解を恐れず軍事国家時代のスローガンを引き合いに出せば、ワイマール憲法の第119条にある婚姻条項の趣旨は、「産めよ殖やせよ」ということだ。お金が無くなったから子宝。悲しいほどに切実である。










(おわり)







松本駅から常念岳を望む。
(2016年10月5日撮影)


霧ヶ峰から八ヶ岳を望む。 
殆ど雲海  (同日撮影)










































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