おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

そもそも、このブログ (第1305回)

 少し順序が前後してしまったが、そもそもこのブログが始まった経緯というかタイミングというか、なぜいま始めたかという当方の事情にあまり触れていなかったので簡単に記します。前回まで写真をアップしたり言い伝えなどを書いてきた「小寺文書」の存在を知ったのは確か2010年である。2009年かもしれない。

 このころは幸か不幸か失業同然であったため、仕事再開の準備をしつつ、それでも時間の余裕があった。気分転換も必要であった。このため、ここで掲載した写真の撮影や、関連文書の収集や、現地の訪問(揖斐川の春日村)などを行ったのも2010年である。しかし、その後3年ほどは殆ど進展がない。理由を一言で述べれば、新しい情報が入って来なかったからだ。


 しかし他人のせいにはできなくて、要は私に余裕がなくなったからだ。2011年に入り、勤め人時代に蓄えたお金も減ってきて、本気で仕事を捜さないといけなくなってきた。そのためのレンタル・オフィスも借りた。その途端に起きたのが東日本大震災である。私自身の震災被害は殆ど無かったが、それを契機に私は一つのブログを書き始め、それが今年春まで3年間続いた。

 この3年間は仕事や勉強以外の殆どの時間と体力を、そのブログにつぎ込んだと言っても過言ではない。その一区切りがはっきりとついたため、第二のブログを書き始めようと思い立ち、選びきれずに二つ同時に始めたのが、これと正岡子規・「坂の上の雲」関係である。仕事ばかりでは煮詰まってしまう。かと言って取材する時間も経費もないので、基本的に両方とも過去の蓄積を放出するだけだ。


 しかし、この間にNHKが何を思ったか、私の遺業(見込み)を先取りし始め、スペシャルドラマで「坂の上の雲」を作り、本年は大河ドラマで「軍師 黒田官兵衛」ときた。第三者から見れば、いずれも私は時勢に乗り遅れ、柳の下の泥鰌の二匹目を狙っているようにしか見えないかもしれない。構わん。

 上記三つのブログは、いずれもアフィリエイトの設定をしていない。理由は主に三つあって、(1)いろいろ引用するので形式的には著作権等に抵触する可能性があり、せめて金儲けが目的ではないことを明白にしておきたいこと。(2)画面に広告がゴチャゴチャ出てくるのが五月蠅くて仕方がない。(3)クリック数を増やそうとして欲を出すと内容が濁る。


 というわけで単なる私の事情によってのみ、今こうして書き始めたのだが、世間はそう簡単には許さず、やはりと思ったが「坂の上の雲」にも、黒田家自作の系譜として名高い「黒田家譜」にも、間違いが多いという指摘がどんどん出てきた。そして、いつもそうだがベストセラーが出たり大河ドラマが始まると、必ずこういうひねくれた便乗組が銭儲けや売名に走り出すので困ります。

 上記の「黒田家譜」の信憑性については、2010年ごろすでに郷土史家や歴史好きな先輩諸氏の地道な研究や暇つぶしの結果、確かに絶対間違いがないとは言えないのではないかという意見が少なからず出ていて、これがなかなか面白かった。最近の情報は表面的には似ていても自らの努力によるものではなく、そういうのをネットで拾っては焼直しているだけだろう、少しも新鮮味がない。


 私自身は黒田官兵衛が「認」や「黒田家譜」に書いてあるように、宇多天皇や佐々木源氏の子孫で、近江国の出自かどうかなど、実は本当にどうでも良い。戦国時代や幕末維新では家系なんぞにこだわっていても、さっさと首を取られても仕方がないくらいの実力本位な競争社会だったはずだ。

 実際、人気者の北條早雲も齋藤道三羽柴秀吉も長曾我部元親も、後藤又兵衛加藤清正も秋山兄弟も、先祖が貴族だから偉くなったのではない。官兵衛もせいぜい祖父さんの代から少々まともな身上になった程度であり、近江だ播磨だと言い争っている連中の気がしれない。黒田氏はどこかの馬の骨か、少なくとも一旦、没落している。つまり、私たちと同様である。


 私が官兵衛の名を知ったのは、恐らく大学時代に読んだ坂口安吾の「二流の人」である。また、いつか詳しく論じたいが司馬遼太郎は、ご先祖が官兵衛と戦った可能性があるほど播磨との縁があり、そのくせ官兵衛が好きだそうで、その彼でさえ黒田官兵衛は「平凡な紳士」にずぎないと、にべもなく「播磨灘物語」に書いている。

 まあ、安吾も司馬さんもそれぞれ独自の歴史観にこだわりがあり、言いたい放題、書きたい放題の作家だから、全部を真に受けると大変な方向に行ってしまいそうだが、それもまた良し、先人の放言も流言飛語もすべてひっくるめて楽しむのが私にとっての歴史と地理だ。しょせん社会科学である。いまから何百年も前にあったことの真偽などわかるはずもない。


 一次資料がどうのこうのと喧しい人もいるのだが、私が日記を書いたって同時代の一次資料だよ。このくらい乱暴な覚悟を持っていないと、そしてそれを表明しておかないと、そうとは知らない真面目な若い人が読んで真に受けてしまうと良くない。自分の会社や地元が事件で報道された経験がある人は、新聞やテレビがいかに不勉強なまま、いい加減な作り話をばらまくか良くご存じだろう。ましてネットは更に玉石混淆である。

 その点、自分で言うのもなんだが、ここでは田舎でこういう言い伝えがありました、私はそれについてこう感じています、というだけの潔癖な姿勢からくる、役には立たなくても物欲や金銭欲とは無縁の情報を得ることができる。きっと。




(この稿おわり)





夏とくればミンミンゼミ  (2014年8月10日撮影)







































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