前回さっそく話題に出した「小寺文書」とは、二巻の巻物からなる。現物は数年前に持ち主からお預かりし読ませてもらったが、破損や紛失などしては大変なので、もう原本はお返ししてあり、手元にはデジタル・カメラで写した写真だけが残っている。
それぞれは、いずれ掲載するつもりだが、まず今日のところは両者の概要と体裁だけご紹介する。いずれも和紙に黒い墨で字のみが書かれている。紙の原材料には詳しくないが、障子のような薄い紙ではなく、厚くてゴワゴワした紙である。
一方は今でいうとA4サイズぐらいのもので、賞状のように格式ばった感じのもの。題名は最初の一字がたぶん水滴でにじんでしまって、判読ができないが、四文字で「■申一札」と書いてある(■が読めない字)。これからは取り合えず「一札」と呼ぶことにする。
もう一方は、如何にも巻物という感じの横に長いもので、最初に「認」と書いてある。この「認」のことが上記「一札」にも書かれていて、「系図認壱巻」とある。
すなわち「認」が小寺家の系譜の説明文なのだ。樹形図のような直線で繋がった図ではなくて、すべて文章で記載されている。黒田官兵衛の名も出てくる。概要は先祖代々の名前や地位などの個人情報と、官兵衛の弟の子孫が「粕川谷」に住み着いたという経緯が中心である。
この粕川という地名は全国に幾つかあるようだが、わが遠縁が暮らす地に今も粕川という名の川が流れている。所は美濃国、今の岐阜県西部。揖斐川町と合併するまで春日村と呼ばれていた山村である。次回は先ず「一札」の内容に触れる。
(この稿おわり)
旧春日村の夜明け (2012年5月4日撮影)
前回さっそく話題に出した「小寺文書」とは、二巻の巻物からなる。現物は数年前に持ち主からお預かりし読ませてもらったが、破損や紛失などしては大変なので、もう原本はお返ししてあり、手元にはデジタル・カメラで写した写真だけが残っている。
それぞれは、いずれ掲載するつもりだが、まず今日のところは両者の概要と体裁だけご紹介する。いずれも和紙に黒い墨で字のみが書かれている。紙の原材料には詳しくないが、障子のような薄い紙ではなく、厚くてゴワゴワした紙である。
一方は今でいうとA4サイズぐらいのもので、賞状のように格式ばった感じのもの。題名は最初の一字がたぶん水滴でにじんでしまって、判読ができないが、四文字で「■申一札」と書いてある(■が読めない字)。これからは取り合えず「一札」と呼ぶことにする。
もう一方は、如何にも巻物という感じの横に長いもので、最初に「認」と書いてある。この「認」のことが上記「一札」にも書かれていて、「系図認壱巻」とある。
すなわち「認」が小寺家の系譜の説明文なのだ。樹形図のような直線で繋がった図ではなくて、すべて文章で記載されている。黒田官兵衛の名も出てくる。概要は先祖代々の名前や地位などの個人情報と、官兵衛の弟の子孫が「粕川谷」に住み着いたという経緯が中心である。
この粕川という地名は全国に幾つかあるようだが、わが遠縁が暮らす地に今も粕川という名の川が流れている。所は美濃国、今の岐阜県西部。揖斐川町と合併するまで春日村と呼ばれていた山村である。次回は先ず「一札」の内容に触れる。
(この稿おわり)
旧春日村の夜明け (2012年5月4日撮影)
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