おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

新しい年号  (第1194回)

 
 新しい年号が「令和」に決まりました。早速、漢字転換候補に入っています。朝7時のニュース以外、滅多にテレビを見ない私も、今日は内勤日ともあって、昼前後は、つけっ放しのまま背中で聞いていました。追ってPCでは、ネットのニュースやSNSでお祭り騒ぎが始まった。なかなか好評のようです。

 そんなに素敵ですか? 今日は目出度い一日だったようですから、いちゃもんをつける訳ではありませんが、本当に良い時代になってからでは書けないようなことを残しておきたい。令和は、まだ始まっておらず、何の実態も実感も伴わない固有名詞が人工的に出来上がっただけです。


 いきなり脇道に逸れますが、今朝は仕事前に、次のネット・サイトの文章を読んでいました、内田樹さんのブログ「内田樹の研究室」の最新記事で、「憲法について」です。
blog.tatsuru.com

 推測ですが、内田先生がこれを3月31日にアップしてきたのは、翌4月1日、つまりこれを書いている今日、新しい元号が発表になるのを見越してのことだと思います。そう考える根拠は少々あって、いずれも「空語」というご本人の造語や、空疎という表現に現れています。


 この記事の指摘の中には、できたばかりの日本国憲法は空語、すなわち存在しない日本国民が、内容の伴わない条項を並べただけの憲法を定めたというところから始まったというポイントがあります。

 そして、こちらも内田論ですが、「平成」という年号も、出来たてのころは、薄っぺらい語感しかなかったと仰る。私も同感です。そして、たしか幼稚園児のころだったか、ようやく覚えた「昭和」も、なんじゃそれはという感想しか持たなかったように思う。


 それが何十年の年月を経て、重みを加えました。私は今年で59歳になりますので、ほぼ昭和を30年、平成を30年、過ごしました。自分の身にも、世の中にも本当に、いろんなことがありました。だから、もう薄っぺらくありません。

 令和は、まだ駆け出しですらない。これで感動したとか泣いたとかいう人たちは、大丈夫なんだろうかと思います。これが決まって、あるいは来月から平成に取って代わって、何だか嫌なことばかりの生活や社会が、リセットされて急に良くなるとでも、お思いなのだろうか。


 かなり危なっかしいことを更に書きますが、平成が始まったころ、私の職場の上司・先輩たちと、珍しく皇室の話をしたのを覚えています。確か、間もなく新天皇になられる皇太子のご成婚のころだったかもしれません。

 そのとき、私の周囲の年上連中が、口をそろえて「今度の天皇は頼りなさそうだ」と語っていたのを、よく覚えています。私は反感を覚えませんでした。なにせ昭和天皇は話題が多かったし、「美智子さん」ばかり目立ち続けたまま皇位継承になったからです。


 しかし、平成は今上の両陛下のおかげあって、分厚い時代になりました。この間、何の巡りあわせか、天変地異が相次ぎ、長期にわたる経済の停滞と政治の混乱がありました。千年前なら、とっくに改元していたに違いないのが平成日本です。

 両陛下の具体的なご貢献として、私見ながら少なからずの方々に、ご賛同いただけそうな事柄をここに二つ、挙げます。一つは海外での戦没者慰霊。私がすぐに思い出すのは、マリアナサイパンパラオのペリリュー、そしてフィリピン。

 いずれも太平洋戦争の激戦地。最終段階で日本軍が大敗を喫した戦場ですが、大切なのは日本軍の将士が大勢戦死しただけではなく、民間人も、アメリカ兵も、特にフィリピンが悲惨でしたが現地の人たちも、無数に死んだ。そういう場所を選んでおみえです。国内では、もちろん沖縄。


 もう一つは、ハンセン病の施設ご訪問です。現存する十四の施設、全部を回られたと聞く。こちらの件の凄まじさは、新聞報道ぐらいでしか知らないのですが、戦後屈指か最悪の差別と人権蹂躙でした。

 以上の二件は、いずれも「政府による惨禍」であるとともに、ほとんどの日本国民が、目を背けていたものです。私は両陛下が、これを先代から申し送られたこととして取り組み、今回の譲位もお元気なうちに次世代に引き継ぎたいということの表れのような気がします。


 古い資料を一つ、お目にかけます。さすがは国立国会図書館、戦後早々の「官報」がネットで読める。馴染みにくい言葉遣いですが、そんなに難解至極な内容ではありません。日付にご着目。降伏文書調印の翌々日、1945年9月4日。

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 まだ日本国憲法ができておらず、大日本帝国議会のままです。さっそく国会を開いた。前半は、「平和国家」という言葉も含め、日本国憲法の前文と、よく似ていることに気がつきます。

 そして後半。「軍人遺族の扶助、傷病者の保護、及び新たに軍籍を離れた者の厚生、戦災をこうむれる者の救済に至りては、もとより万全を期すべし」。いまでいえば社会的弱者です。帰還兵、遺族、傷痍軍人戦災孤児らの救済。

 平成は政治経済がつまづいている間に、弱い者の救済、そして震災等で新たに苦しみを抱えた人たちの救済を、皇室が進めました。もう薄っぺらくないですね。令和も、重量感のある時代に、これから築いていかなくては、今日、新しい年号が決まった意義はない。あと30年、生きるぞ。



(おわり)



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梅桃桜  (2019年3月下旬撮影)






ところで令和にまつわる話題のいくつか、和歌、梅、万葉集大宰府。そして大宰府といえば、黒田官兵衛宇多天皇と連想ゲームを楽しんで一首。

           東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ   菅原道真































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