おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

真人間  (第1142回)

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 新年おめでとうございます。上の写真は、帰省から戻る途上、第二東名から撮影したものです。さて、真人間(まにんげん)という言葉も、殆ど全く使われなくなった。真人間になれというのは、更生せよというのと同様の意味なのだが、こういう俗っぽくて温かみのある言葉は減る一方だ。サダキヨの云う「いい者」。

 英語では、「true man」などと訳す。通常は「本物の人間」というような意味合いというより、真心のある人というようなニュアンスです。原爆大統領の名字が同じ発音なのは、何かの間違いであろう。前置きが長くなった。今回は映画の話題です。


 イギリスのロック・バンド「T. Rex」の爽快なロック&ロール・ナンバー、”20th Century Boy”を映画で聴いたのは「20世紀少年」が初めてで、そして最後になると信じて疑いもしなかったのだが、最近レンタルで観たアメリカ映画の中で、派手にアレンジされたのが流れた。しかも、ダンスの曲に使われている。

 間もなく20世紀が終わる1998年、漫画「20世紀少年」連載開始の翌年に、アメリカで、そして日本でも公開された怪作「トゥルーマン・ショー」(The Truman Show)に出てくる。芸達者のジム・キャリーエド・ハリスが主演・助演を務める。「シン・レッド・ライン」と同じ年の映画だ。あの国でさえ何か悩みでもあったのだろうか。


 映画は脚本が命というのが、わたくしの信念であります。チャプリン黒澤明も、監督兼脚本をやっていた。監督や役者に変更やアドリブは一切許さないという脚本家もいる。この映画の脚本は、アンドリュー・ニコル。「ガタカ」と「ターミナル」を観たことがある。

 三作に共通するのは、自分が自分であるのは当たり前で、自分であり続けるという、私たちの人生の大前提が壊れてしまう(あるいは、壊さないといけなくなる)という、考えようによっては、というか実現したら、きわめて恐ろしいことになる物語だ。アイデンティティの強制終了または放棄。

 また、ニコルの面白さは、最後に観客がほっとする程度のハッピー・エンドでありつつ、同時に、これからどうするんじゃいと他人事ながら心配になるようにできている。ハリソン・フォードブルース・ウィリスがキスして終わる映画とはわけが違う。


 経緯や理由を知らないが、その主役にジム・キャリーを持ってきた。なぜか私は「マスク」を見逃しており、映画館で初めて見たのは、何番目かの「バットマン」。共演はトミー・リー・ジョーンズニコール・キッドマンで、いずれも私の好きな役者なのに、彼らが色あせて見えたのを覚えている。

 なぜか見逃したと書いたが、たぶんコメディと知って関心を持たなかったのだな。米国に5年近くもいたので、アメリカのTVのコメディ番組が、如何につまらないか、よーく身に染みて分かっている。もちろん、あれでアメリカ人には可笑しいからやっているのだろうが。わざわざ録音した笑い声まで流している。


 悲劇は文化が違っても共有できる。シェイクスピアギリシャ悲劇も歌舞伎も、時代や民族を超えて親しまれ評価されています。これはきっと、悲しみという感情を引き出す出来事やその表現が、人類共通のものだからだろう。ありていにいえば、題材はたいてい死か別離。

 対照的に、喜劇はそう簡単に垣根を超えない。外国の映画館や劇場にいて、「なぜここで笑うんだ?」と思った経験の持ち主も多くいらっしゃると思う。たぶん悲しみのような生の根源に関わるようなものではない何か、たとえばその文化ならではの知識とか習慣とか様式とかいった土着的なものが要るのだろうと思う。


 逆に言えば、外国人が外国の喜劇に出ているのに面白いというのは、よほどの芸が披露されているはずだ。比較的、簡単なのはスラップスティックで、初期のチャプリンが典型だし、トム・ハンクスの若い頃もそうだった。

 話術や表情だけとなると、そう簡単にはいかないと思う。それをこなすコメディアンは、きっと真面目な役もできるはずだ。歳なので古くなるが植木等財津一郎フランキー堺いかりや長介もできた。やろうと思えば(というより世間が許せば)、渥美清もやったはずだ。


 この映画のトゥルーマン氏の場合、本人は明るく真面目に生きているのに、観客にとってはオモチャのような喜劇役者を演じさせられているという複雑な設定になっていて、しかも、途中で本人の意識が大きく変わるという難しい役柄だが、ジム・キャリーさん、アクト・ナチュラリーだ。
 
 この「生まれてこのかた、気が付くまで、ニセモノの人生を歩まされていた」という主題は、同じころ作られた「マトリックス」も用いている。現実のようで現実ではないものを、ヴァーチャル・リアリティと呼ぶ。

 21世紀の現代日本では、自分らしく生きたいという願い方が流行しているのだが、今のところ仮想現実で暮らしているのだろうか。茶化すつもりはないけれど。トゥルーマンは橋を渡るという大変な試練に耐えた。人の助けも必要だった。本当の人間になるのも楽ではない。そして、その先、何が待っているかも分からない。まだ心配している。




(おわり)




白鷺 (本年元旦撮影)







 I'm your toy.  ”20th Century Boy” T. Rex








































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