おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

大みそかの墓参り  (第1141回)

 今回は私事です。本年もあと半日足らずという今日の午後、墓参りを済ませてまいりました。先祖代々の墓ということになっておりますが、祖父が分家なので私でまだ三代目。

 この祖父に加え祖母や父と、同じ墓に眠る伯父のことは前にも書いたかもしれません。戦前、祖父は静岡市内で小さな木工所を営んでおりました。本職は建具屋です。


 祖父母は子に恵まれず、ただ一人の実子は数え一歳で夭折してしまい、養子縁組で工場と実家の跡を継いでもらうべく、弟子の中から腕と人柄のよい若者を選んだのが、上記の伯父です。もう一人いた養子が私の実父。

 戦争はむごい。この父方の工場と実家も、母方の商売の店と自宅も、空襲で全焼しました。戦前のものは写真一枚、残っていません。でも、物がなくても私の胸は痛まない。


 世代の巡り合わせが悪く、祖父の工場で働いていた若者は全員、徴兵され、一人を残してみな戦死。母方も聞いているだけで三名が戦死。

 跡継ぎの予定だった伯父も二十歳になった途端に、現役兵として日中戦争に送られ4年間のお勤め。戻ってきて結婚して数日後に徴兵され、マリアナ諸島で戦死です。替わりに父が跡を継ぎ、戦後に結婚して私が生まれてきた。伯父が生還していれば、私は生まれていません。


 伯父は後から生まれてくる私たち、祖父母の子孫の身代わりになって、死んでいったのだと思っています。これは個人的な考えなので、同じ境遇にあるに違いない多くの方に押し付けたいというものではありません。

 ともあれ祖父は、こういうわけで、私と血の繋がりはありません。しかし、両親よりも私を可愛がってくれました。ここで詳しくは書きませんが、絵に描いたような、おじいちゃん子でした。


 父方の祖父母と同居していたとはいえ、木工所の再建もならず、家業は潰れて働きに出たのですが、どうして病弱で可愛げのなかった私を、あれほど可愛がってくれたのか不思議でした。

 その祖父が、8歳のときに交通事故で私の人生から消えてしまい、その後の私はどこか、長い余生を過ごしているような感覚が今なお抜けません。


 でも、今日は墓参りをしながら墓石に刻まれた祖父と伯父の名を読んでいて思いました。きっと、祖父にとって私は伯父の身代わりだったのだろう。今年も長生きしたおかげで、最後に一つ、良いことがありました。

 みなさまにおかれましても、来る2018年が良き一年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。



(おわり)


冬来りなば春遠からじ
(2017年12月23日撮影)






 漱石が来て虚子が来て大三十日   正岡子規