ボブ・ディランは、彼の伝記映画「No Direction Home」の中で、こう語っている。「ジョニー・キャッシュは、神様のような人だった」。
この神様のようなお方は、酒と薬と女に溺れ、何度か逮捕されて拘置所(ブタ箱)のお世話になっており、でもその才覚や行動力や人柄と比べればお釣りが出るようで、ディオニソスやスサノオノミコトのような高い人気を誇る。
2003年に亡くなり、間もなく彼と奥さんが主役の映画「Walk the Line」が発表されたのが2005年で、上記のディランの映画も同年の公開である。その映画には出てこないが、クリス・クリストファーソンは彼が引き立てた。
兵役に就くキャッシュがラジオで、朝鮮戦争とダグラス・マッカーサーのニュースを聞いているシーンがある。キャッシュとマッカーサーは、いずれもアーカンソー州生まれの同郷人だ。2005年は、ニューオーリンズが水没した年でもある。ミシシッピ川周辺はハリケーンの直撃を受けることが多い。
マッカーサーがふんぞり返っていた日本で憲法ができた1947年にも、アーカンソー州は歴史に残る大洪水に見舞われた。このとき、キャッシュ一家は、ドアを筏(いかだ)替わりにして避難したらしい。そのときの話を、ジョニーの父が娘たちに糸電話で話す場面がある。この父子は兄の死以来、断絶状態にあった。映画は終幕で和解させている。
カリフォルニアの州都サクラメントの東方に、フォルサムという郡がある。南にヨセミテの公園があり、北には北米最後のインディアン、イシが生まれ育った山岳地帯が広がる。このあたりを私は何回か車で通過している。リノでギャンブルをしたり、レイク・タホ方面でドライブを楽しんだり、アメリカでただ一度、スキーにも行った。
このフォルサム郡にある刑務所を舞台に映画が始まる。カントリー・バンドの前奏が流れ、早くも囚人が盛り上がっているのに、ボーカル兼アコースティック・ギターの主役が出てこない。キャッシュが見つめているのは、懲役囚が作業に使う旋盤だ。
続く回想シーンは彼が12歳のとき。兄貴と仲が良い。だが、兄は旋盤の事故で早世した。これが生涯、心の傷になっているとキャッシュが後に語るシーンがある。このことがおそらく、彼の荒れた生活を招き、そして囚人やインディアンに心を寄せる歌を作る力にもなったのだろう。兄の死は、「スタンド・バイ・ミー」のテーマでもあった。あの鹿は兄さんだろう。
「ウォーク・ザ・ライン」には、ビートルズのメンバーも好きだったエルビス・プレスリーやカール・パーキンスやロイ・オービソンも出てくる。三人とも既に故人であり、その若き日を若い役者が演じている。ディランは出てこないが、しかしここでも別格だ。
フォーク・ソングの歌手、ボブ・ディランに飛行機の中で歌詞を書いたというセリフがある。メモも持っていなかったとみえて、ペーパー・バッグに書いた。また、キャッシュを演じたホアキン・フェニックス(彼も兄の死を経験している。よくぞ引き受けた。)と、二番目の妻になるジェーン・カーター役のリース・ウィザースプーンが、最初にステージでデュエットしたのが「It Ain't Me Babe」。
ウィザースプーンは、「キューティ・ブロンド」のシリーズが好きだったので、この様変わりには驚きましたね。しかも、頑張ってジェーン・カーターのアーシーな声も、スカートの裾ひるがえして彼女が自分で歌っているとエンディングのクレジットに書いてある。
ディラン本人の声は、パトカーのサイレンという不思議なイントロで始まる「Highway 61 Revisited」で聴くことができる。ハイウェイ61は、ディランの生誕地そばから流れ出づると本人が自伝に書いているミシシッピ川の沿道みたいな道で、ナッシュビルとメンフィスのあるテネシーを抜け、ニューオーリンズで海にそそぐ音楽街道。
ジョニー・キャッシュが刑務所でライブ録音したいと言い出して、レコード会社のみんなに反対されている場面がある。そのうしろの壁に飾ってあるアルバムのジャケットは、ピントが合っていないけれども「ブロンド・オン・ブロンド」だろう。ディランのジャケットの中では、素朴な部類に入る。「ヴァニラ・スカイ」の挿入歌、「4th Time Around」収録。
ずっと前に小欄で、ジョニー・キャッシュが刑事コロンボの「白鳥の歌」に、犯罪者役で出演していたのを観た思い出に触れた。また、観たいな。あれは良い作品だった。キャッシュが出たんでは、キャストもスタッフも大いに張り切っただろう。
そのとき確か中学生だった私は、親にこの人は有名な歌手だと教わり、なんでまた歌手が人殺しの役を演じたのだろうと不思議に思った覚えがある。しかし、他にこんな役柄が似合うプロのシンガーがどこにいようか。こういう歌を唄える人に、根っからの悪人なんていませんよとコロンボは言った。
(おわり)
新宿中央公園のイチョウの木。都庁より、上から目線。
(2016年11月22日撮影)
It ain't me you're lookin' for, babe. - Bob Dylan
Because you're mine, I walk the line. - Johnny Cash
Any man that can sing like that can't be all bad. - Columbo
in ”Swan Song”
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