おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

歌い出す前から よく知っていた歌  (第1074回)

 前回からの続きです。のちにパティ・スミスが「ニューヨーカー誌」の取材に応えたところでは、最初にノーベル・アカデミーから来た打診は、誰か言えないが文学賞受賞者の代りに歌ってくれというものだったらしい。そこで彼女は自分の曲を歌うつもりでいたところ、発表があってボブ先輩が受賞者と知り、さすがに顔を立てないといけない相手と思ったか、彼の曲を歌うことにしたのだという。

 別にパティを嘘つき呼ばわりするつもりは全くないが、ボブ・ディラン文学賞をという意見は以前からあったものだし、自分が代役に選ばれたことから推測し得ないはずはないと思う。彼女の人選もアカデミーがディラン側と相談しなければ、決着するわけがないし。だが、選曲ということになると分からない。そこまで指図はするまい。パティ・スミスが「激しい雨が降る」を選んだのだろう。


 私には、曲名を含むリフレインの「it’s a hard rain’s a-gonna fall」が、文法的に不明瞭です。彼独特の言い回しで、たぶん、「It’s a hard rain that is going to fall.」という伝統的な英文法を、ひねくったものだろう。合いの手に「あ」を入れるのは、日本の民謡でお馴染みだから、米国のフォーク・ソングにあってもおかしくないのだ。

 この曲の歌詞は、ボブ・ディランのオフィシャル・サイトにある。これに限らず、誰がどう読めばオフィシャルと断定できるのか、いつも不思議に思う。収録されたアルバムのジャケットに写るワーゲンのヴァンは、その屋根に雪を積もらせている。
http://bobdylan.com/songs/hard-rains-gonna-fall/


 歌詞が五番まである。しかも、それぞれ長い。ロバート・ジョンソンの影響だろう。歌っている間、パティ・スミスはずっと下を向いていたので、最初のうち私は、目の前の楽譜台に、歌詞カードを載せているのかと思った。でも、活字を目で追っているような動きはないようだった。覚えているのだろう。そして、しくじった。歌詞の順番を間違っている。

 途中で一旦、歌うのを停めてしまい、再開した。日本の報道では、「緊張のあまり」「感極まって」と伝えられている。まあ、ノーベル賞ですからね、丁寧な言葉遣いをしませんと。ちなみに、その場で彼女は「ごめんなさい。あがりました」と言っている。しかし単なる緊張ではあるまい。そのあと、もう一回、歌詞を飛ばした。


 最初につまづいた箇所は、二番にある「I saw a black branch with blood that kept drippin’.」を歌い終えたところ。この曲は1962年の作品で、東西対立がキューバ革命破局の直前にまで迫ったころのことで、核戦争のことを唄ったのかと訊かれたディランは、いつものとおり「違う」と答えている。間違っていないが、とても全てとは言えない。

 この「血が滴り続ける黒い枝を見た」という歌詞は、前々回で引用したビリー・ホリデイの「ストレンジ・フルーツ」から、直截に引用したものだ。ノーベル撮影班のスイッチャーもこれを弁えていて、カメラを客席に切り替えている。王侯貴族と天才的科学者の前で歌われるべき歌であった。


 もう一箇所、彼女が声を詰まらせて歌えなかったのは、三番にある「Heard one person starve, I heard many people laughin’.」の真ん中あたりで、歌唱が途切れたものの何とか乗り切った。これは前回転載した事前シンポジウムの発言において、彼女が引用していた五番の歌詞、「Where hunger is ugly, where souls are forgotten.」と対を為す。核戦争の話ではない。

 ボブ・ディランの口癖には、その時に歌いたい歌を歌うというものがある。前に話題にした1971年にジョージ・ハリスンが主催した「バングラデシュのためのコンサート」で、何年かぶりにステージに登場したディランが歌ったのが、この「激しい雨が降る」だった。この状況が続くかぎり、この歌は歌われる。最後にそう宣言している。


 And I’ll tell it and think it and speak it and breathe it
 And reflect it from the mountain so all souls can see it
 Then I’ll stand on the ocean until I start sinkin’

 当日のステージの演奏で印象的だったのは、あのラップ・トップのスティール・ギターの柔らかな音だった。歌詞が歌詞ですからね、セレモニーが殺伐としてもいけない。この日、ストックホルムは朝から激しい雨が降り、やがて雪へと変わったらしい。パンクの女王にはお似合いの悪天候だが、パティ・スミスはエレガントに仕事を終えた。









(おわり)







 








 But I’ll know my song well before I start singin’. 

   ”A Hard Rain’s A-Gonna Fall”  Bob Dylan














































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