おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

天国の扉  (第1069回)

 天国にドアがあったとは驚きだ。しかも、ノックをしないと入れないらしい。返事が無かったら、どうしたらよいのだろうか。ボブ・ディランの「Knockin' on Heaven's Door」は、彼の作品にしてはシンプルな歌詞なのだが、なぜかカバーも多いし、様々な娯楽芸術の分野において、多くの人とタイトルを分かち合っている。気軽にノックしても良いのだろうか。

 同曲は映画の挿入歌で、そのサウンド・トラックのアルバムに収録されている。暴力沙汰の名監督、サム・ペキンパーのフィルムで、「Pat Garrett and Billy the Kid」という1973年公開の西部劇。邦題は「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」となっている。

 
 ペキンパー監督の作品で、ほかに観たことがある映画は、前にちょっと話題にした「ワイルドバンチ」と(まだ、そのときはアーネスト・ボーグナインが生きていた。合掌)、もう一つ「わらの犬」。これらと比べると本作は大人しいほうだが、我慢ができなくなると、ライフル弾で木片が吹っ飛び始める。

 ちなみにディランの歌は「天国への扉」と訳されているが、日本語の表現としても、直訳としても、ちょっと不自然ではないかな。もっとも、後述するが映画のその場面の状況を考えると、このほうが合っているのは確かだ。


 ビリー・ザ・キッドについては、しばらく前に話題にしました。といっても、この映画は役者の格といい、クレジットの順番といい、出番の頻度や長さといい、主役は原題にある保安官のパット・ギャレットで、主演はジェームズ・コバーンだ。日本では知名度優先で売ろうとしたらしい。

 ジェームズ・コバーンを最初にみたのは、たぶん「シャレード」のクシャミ先生の役だったと思うが、何といっても「20世紀少年」たちが盛り上がりを見せていた「大脱走」が楽しい。彼は捕虜収容所に放り込まれた当日に、早くも野外作業に出かける敵国ソ連のロシア人捕虜の行列にまぎれこんで脱走を図る。


 驚くべきことに先発隊がおり、すなわちマンダムのチャールズ・ブロンソンが、もう歩いている。コバーンは番兵に声をかけられたときのために、ロシア語を知らないかとブロンソンに尋ねたところ、センテンスを一つだけ知っているということで、教えてもらい復唱して覚えた。

 どういう意味だと確かめたところ、「I love you.」という返事が戻って来た。重ねて「何の役に立つのだ」と問い詰めたが、「まだ試していない」とのことだった。この二人は、このときこそ見つかったが、後に自由の身となったから、どこかで試したかもしれない。ブロンソンは脱出抗の穴掘り名人で、オッチョおじさんの先輩にあたる。


 この保安官に銃殺されたビリー・ザ・キッドを演じているのが、多芸のひと、クリス・クリストファーソンで、「Me and Bobby McGee」が全米ナンバー・ワンのヒットになってから二年後のことである。

 クリストファーソンは、どちらかと言えば面長の顔立ちなのだが、キッドを演ずるにあたり童顔にみせるため体重を乗せたのか、さもなくば疲れてきたころのビートルズのような髪型で、工夫を凝らしたのかもしれない。二人とも、酒で喉がつぶれたような声をしていて、いかにも西部劇らしい。


 米国西部の南側にある諸州も、トランプ・ウォールの向こう側メキシコ北部も、あまり雨の降らない土地が多い。北のほうにある霧の街サンフランシスコでさえ、借家契約に一日2回、芝生に水をやることという定めがあった。

 そんなわけで、ちょっと郊外に出れば、往々にして果てしなく土漠がひろがっている。日本人が想像するポエティックな月の砂漠のようなものは見た覚えがない。したがって、西部劇には土色が良く似合う。この点、この映画はさすがだ。

 また、出てくる女も、いとしのクレメンタインやグレース・ケリーロバート・ミッチャムを撃退したマリリン・モンローのような異次元の美女ではない。撃たれて天国に召されんとする保安官と奥さん、静かでとても印象的な場面である。


 その場面に流れていたのが、この「天国の扉」なのだが、1988年にペキンパーが再編集したカットのサントラからは、なぜか外されている。どこかで、クリス・クリストファーソンが「サム・ペキンパーボブ・ディランは、うまくいっていなかったように思う」と言っていたような覚えもあるのだが確かでない。

 音楽はのびのび歌っていて、とても感じが良いのだが、ディランは役も演技も冴えない。何しに出て来たのだろう。エプロンだけは、よく似あっていたが。保安官ジェームズ・コバーンは、二人に向かって「boy」と声をかけている。一人はまだ児童といってよい床屋の少年で、もう一人がディランである。しかも、床屋少年より更にひどい用事を言い遣っている。


 この歌では、歌詞からすると、ノックは三回のようだ。最近は、新卒の就職活動もサービス業の対象になっていて、中には採用面接の際のノックの回数まで指導しているのがある。

 いわく、世界的にトイレは2回、親しい間柄が3回、正式には4回だそうだ。冗談だろう。礼儀作法は土地や時代や場合により異なる。こんな決まりはない。どうしても気になるなら、相手や関係者に訊くしかない。


 1980〜90年代のアメリカでは、家庭でも職場でも、トイレのドアは小部屋が空いている場合、開けっ放しというのが作法だった。職場の同じフロアで働いていた部長格以上のアメリカ人幹部は、3人とも来客か密談の電話のとき以外、やはり個室のドアは開けっぱなし。いずれも扉が閉まっていたら「邪魔しないでね」ということだ。だから、ノックをした記憶すらない。


 この日本でも、ずっとノック2回で半世紀を生きて来たのだが、最近あまりに3回説が有力になったため、3回たたいている。それより、昔と比べ防音や耐震構造でノックの音が聞こえにくくなっている。ゆっくり、少し強めに、返事があるまで叩けばよい。

 天国では何回が適切なのか知りません。ともあれ、この歌は妙に好かれたようで、エリック・クラプトンほか大勢にカバーされている。ガンズまで、あるのか。ディランとクラプトンとくれば、ヤク中の代表選手で「人間やめました」の世界を垣間見ていると思うのだが、ノック次第で入り得るなら、意外と狭き門ではないのかもしれない。






(おわり)







東京で11月の積雪は、観測史上初だったそうです。
(2016年11月24日撮影)








 There is a river called the river of no return.
 Sometimes it's peaceful and sometimes wild and free.

  ”River Of No Return”  by Marilyn Monroe

  平和と自由の「帰らざる河」










 我は門なり、おほよそ我によりて入る者は救われ、かつ出入をなし、草を得べし

               − ヨハネ福音書 第十章第十一節


 I am the door.
 If anyone enters by me,
 he will be saved and will go in and out
 and find pasture.



































.