おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

二人のロバート 【後半】  (第1014回)

 

 承前。ハモンドさんのコンサート情報は、長い文章なので真ん中を端折り、右のとおり最後の部分だけアップします。



 コンサート会場はニューヨークのカーネギー・ホール。主演はカウント・ベイシーと彼のオーケストラ。公演日は1938年12月23日(金)の夕方。クリスマス・シーズンに、マンハッタンのど真ん中だ。出演者の最後のほうに、ロバート・ジョンソンの名前も載っている。でも遅かった。

 ハモンドの息子さんによると、ジョン・ハモンドロバート・ジョンソンを知ってさっそく、ハックルベリー・フィンがいかだ(だったかな?)で下ったミシシッピ川のほとりに、ロバート・ジョンソンを探しに行った。だが、死んでいた。


 我が家のCDに写真が載っている彼の死亡報告書によると、1938年8月16日に、医師による検屍なしという亡くなり方をした。27歳。これは前に書きました。ハモンドは半年遅かった。彼の落胆はいかばかりだったか知れないが、転んでも転がったままの石ではなかったようで、遺作をかきかつめ、ようやくコロンビアが売りに出したのが1961年。その一枚が同年、契約直後のボブ・ディランの手に渡ったのだ。

 同じレコードがブライアン・ジョーンズの手元にも届いた。ジョーンズは同僚のギタリスト、キース・リチャーズにも聞かせたと、キース本人が後に語っている。「あれには、たまげた。一人で交響楽団をやっているようなもんだった。」というのが彼の感想である。

 
 ロバート・ジョンソンの写真は、以前も小欄に貼り付けたギターを抱えたスーツ姿と、煙草をくわえたセルフ・ポートレイトの二枚。そして、もう一枚、後年発見されたという、音楽仲間と二人で写っているスナップ。少し人相が違う感じだが。ともあれ、動画はない。でも、ボブ・ディランは映像を観たと力説している。

 彼がどうやって手に入れたのか知らないけれども、デビューして30年が経過してからというから1990年代か、八ミリに残された8秒間のフィルムに、ギターを弾くロバート・ジョンソンが写っていたのだという。このフィルムは、ある鑑定によると1942年のもののはずで、つまりジョンソンの死後だから、それが本当なら彼ではあり得ない。


 だがボブ・ディランは「絶対に彼であるのがわかる。」と自伝に明記しており、どうやって確信したかというと、「8秒が80秒ぐらいに思えるぐらいまで映像をスローにすると」、「ほかの人であるはずがない」ということなのだ。やっぱりボブ・ディランに時間軸は関係ないらしい。

 十倍の遅さで何を見たのか彼は語らない。でも天性のギター弾きがギターの演奏を観ているのだ。あの楽器は、ありがたいことに、どの音を出しているのか、左右の手の位置さえ特定できれば自動的に判明する。演奏している曲が分かったか、あるいは残っていない曲でもメロディー・ラインや演奏のテクニックのすごさが、プロならよくわかるのだろう。

 
 その鑑定団のいうとおり、ロバート・ジョンソンではないのだとしたら、ボブ・ディランがここまで言い切り(蜘蛛のような長い指が彼そのものだと書いている)、同じものを見たと思われるジミー・ペイジロバート・プラントがその演奏ぶりに驚いたというから、誰にせよとんでもない演奏家だったのだ。

 この映像は今どこにあるのか知らない。でも多少の手間をいとわなければ、そのごく一部を観ることはできる。出典も定かではないので引用しないが、でも折角だからプリント・スクリーンの小細工で拾ったものをお見せして終わります。ブルース・ハープのラックが見えるのも嬉しい。





(この稿おわり)









柿の木の新緑。
(2016年5月1日撮影)






 Oh baby,
 don't you want to go back
 to that same old place,
 sweet home Chicago.


  ”Sweet Home Chicago”  

   Robert Johnson / The Blues Brothers / Eric Clapton / ...





















Bob & Eric singing ”Cross Road Blues”





















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