おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

The Left Hand of Darkness  (第1020回)

 SF小説の古典には、シンプルで詩的な印象を与える題名が多い。原題がすでにそうであり、翻訳者も下手にいじらず、そして出版社も含め、そのまま片仮名にするような芸のない人たちではなかった。「幼年期の終わり」、「われはロボット」、「火星年代記」、「アルジャーノンに花束を」、「虎よ、虎よ」(御前様みたい)。

 私がSF小説を読み始めたころ、唯一と言ってよい女性のSF大作家がグウィンで、当時は「ゲド戦記」など知らず、代表作といえば「闇の左手」だった。凄まじい作品で、とても娯楽小説と呼べるものではなく、お勧めしません。


 タイトルの闇の左手とは、きわめて雑に言い換えると、光の相棒というような意味である。光と闇は、”ともだち”の好きな二元論だった。そして、「闇の左手」は、男女二元論への果し状である。
 
 その左手を週刊少年サンデーのノンブル・マークに選んだ昔の小学館の意図が分からない。手が左を指さしているのは、日本の漫画雑誌は縦書きの書物の通例に従い、右側から左側の頁へと進んでいくので、次は左のページであるということなのだろうが、そんなの言われなくても分かりますね。


 巨大物体が紅白歌歌合戦も観ずに、地図でいうと右側から左側へと移動しているとき、秘密基地の仲間は7人集合で時間切れとなり、映画ではささやかな壮行会を開いている。それだけでも残り時間は大丈夫かと思うのだが、ここで雑談が始まるとは、リラクセーションのためなのだろうか。中には、写真を撮る者まで出た。

 ケンヂ隊長は例の四戒、ムチャをしないでくれ、関係ない人を巻き込まないでくれ、命が危ないと思ったら一目散に逃げてくれ、みんな頼むから死なないでくれ、という余り気勢の上がらない口上で口火を切った。もっとも、これらに即効性はなかったが、後々でいろんな人の命を救う。だから、ここまでは問題ない。


 映画ではここで豊川オッチョが「ケンヂ、おまえもな」と釘を刺した。おそらく相手を良く知るオッチョとしては「ムチャをしないでくれ」が念頭にあったと推測するが、ケンヂは自らの最後の第四戒に反応し、死ぬ気はないねと勇ましく語ったのはよいが、そのあとで27歳にして亡くなったロッカーの話を始めた。

 当人が伝えたかったのは結末部分の、死んだら偉いと考えるのは止めたということらしいが、この結論自体に異論はないけれども、これから死地に赴く戦士に、若くして(麻薬で)死んだ人たちの話をするのは適切なのであろうか。オッチョもオッチョで、27歳のエピソードを教えたのは自分だと自慢している。満場、寂として声無し。


 しからば出発という時点になって、この日、自分が一番役に立たなかったと後日述懐しているヨシツネが、オッチョに向かって「俺たちのマーク」の由来を質問している。確かに、お互いここで確認しておかないといけないという最後の機会かもしれないが、何も今ここでなくても。訊くんだったら、1969年に済ませておくべきだろう。

 ともあれオッチョもこのときばかりは丁寧で、お近くのコンビニでサンデー今週号を調達し(もしも返さなかったら万引きと言う)、ノンブル・マークと、少年時代のあだ名「ギョロ目のオッチョ」を組み合わせたのだと得意気に語る。笑ってくれたのはユキジだけ。

 ただし、俺たちのマークでは左手が、その出典と異なり左向きではなく上を指したのは、目玉と組み合わせるに際して、横では使いづらかったのだろう。このため、21世紀に左手で上を指す教祖に悪用されることになった。また、長くなってきた。後半は余談だけですが、次回に続きます。





(この稿おわり)








今年撮影 場所は未来都市の東京二十三区内





豊川といえばお稲荷さんであろう。
記憶の限り、私が生まれて初めて故郷静岡の県境を越えて、お参りしました。
写真は東京の駒込。 (2016年5月4日撮影)







 Hello, darkness, my old friend.

   ”The Sound Of Silence” Simon & Garfunke


   闇は私の幼な馴染み。

   なお、同曲によると、よげんの書は地下鉄の壁などに書かれている。
  











































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