おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

1968: A Space Odyssey  (第1021回)

 前回、SF古典のタイトル群から知名度ナンバーワンの「2001年宇宙の旅」を外したのは、今回、駄洒落で使いたかったからです。1968年を選んだ訳は、これから述べます。ちなみに1968年は、このキューブリックの映画が公開された年でもあります。彼は2001年を見ずして亡くなった。

 なお、アポロ11号が初の月面有人着陸を果たすのは、「20世紀少年」にも詳しいが翌69年のことで、思うにモノリスが見つかる前に上映したかったのでは。どういう芸当を使ったのか知らないが、クラークの小説も、映画と同じ1968年に出版されている。


 映画「20世紀少年」で、少年時代のオッチョが基地の仲間に対し、少年サンデーを開いて、左手マークを指し示す短いシーンが出てくる。私はそこで開かれているページに描かれた登場人物に見覚えがある。「20世紀少年」を語るには欠かせない漫画家コンビ、藤子不二雄の作品「ウメ星デンカ」の主人公、ウメ星の王子さま

 ちなみに、「星の王子さま」に出てくる次の言葉は、サン・テグジュペリのオリジナルではなく、古代インドの諺である。”We do not inherit the earth from our ancestors; we borrow it from our children.”。なお、小説では、異星人同士の面談とあってか、”わたしたち”が”あなたがた”になっています。さすが輪廻のインド、やはり借りたものは、ちゃんと返そう。


 漫画「ウメ星デンカ」の作品名は、コミックス「20世紀少年」の第2集第5話の「人類滅亡の時」に出てくる。ユキジの心理描写によると、「少女漫画が大嫌いで、少年漫画ばかり読んでいた。」という冒頭のコマに描かれている少年サンデーの表紙に、田淵と江夏らしき野球選手ともども印刷してある。秘密基地時代に、連載されていたのだ。ユキジも読んだね。

 さらに、大体いつごろの号であるかも推測できる。まず、この表紙の左上のほうに、「特集 東大事件 小・中学生の意見!!」という特集の名が見える。「東大事件」というのは、確証はないが多分、1969年1月に起きた安田講堂の立てこもり事件のことだろう。

 
 学生運動については、これまで何度も悪口を言ってきたので、ここでは触れない。と言いつつ、せっかくだから、当時のメイン・テーマは間もなく更新時期が到来することになっていた「日米安全保障条約」の契約延長を阻止するという「安保反対」の第二陣であった。しかし、日本人も変わったものだな。

 それより、小中学生の意見を聴いたというのが凄くないか。小学館におかれては、当時の心意気を再びお示しのうえ、義務教育にお力添えいただきたい。「人類滅亡の時」ばかり特集していたわけではなかったのだ。お見それしました。以上の想像が正しければ、オッチョが手にしているサンデーは1969年1月以降に発行された号である。この年の夏に、秘密基地で読むにふさわしい。


 もう一つ、同じ表紙の右上に、「☆ カラー大特集!! アポロ8号が撮影 これが月世界だ」という売り口上も見える。こちらは「大」の字つきの特集だから、いっそう力が入っている。アポロ8号は、1968年の12月に月旅行をして戻って来た。東大事件とほぼ同時期である。

 少年サンデーに力が入るのも分かる。アポロ8号は、初めて人を乗せて月の裏側に回った。おかげさまで人類は、彼らが写した月の裏側の映像を見た。それまで、そもそも月の女王が、いつも同じ顔だけ見せているということすら考えたこともなかった。彼女がこれほど律儀でなかったら、人間はもっと早く、地動説にたどりついたかもしれない。


 古今東西、映画には衝撃のラスト・シーンが無数にあるが、衝撃のオープニング・シーンとなると、「2001年宇宙の旅」を措いて他にあるまい。リヒャルト・ストラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」は、同時期の少年マガジンに連載中だった「男おいどん」にまで出て来た。あの太鼓、いつ聴いても良いねえ。

 そして映像のほうでは、月越しの「地球の出」が美しいが、勿論これも、アポロ8号の乗務員が初めて見た。彼らは月の周回軌道を巡った最初の人たちなのだ。あのとき月の裏側に秘密基地でも見つかったら、冷戦どころではなかったと思うが、幸か不幸かB面だけあって地味だった。


 NASAのオフィシャルサイトには、アポロ8号が月で迎えたクリスマスという記事がある。その文中に「1968年はアメリカ合衆国にとって、最大級の悲劇の年だった」という趣旨の記述がある。ベトナム戦争テト攻勢もこの年だが、やはり大統領候補ロバート・ケネディキング牧師の暗殺事件が大きかろう。

 遠藤ケンヂにとって、1968年は「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」が出た年だ。ともあれ、暗くなった世相を何とか変えてほしいという米国民の期待を背に受けて、アポロ8号はクリスマス・シーズンに月へと飛び立ったのだ。


 問題は、行きはよいよい、帰りは怖いという心配だった。帰省するにあたり、初めてお邪魔する月の裏側で加速して、周回軌道から離れ、慣性の法則(つまり遠心力)を利用して、ハンマー投げのように飛び出さないといけない。それまで既にアポロ8号では、幾つかのトラブルが発生しており、しかも月の裏に回ると通信が途絶える。8号は米国時間でクリスマス・イヴの日、この難関に挑戦した。

 その結果は、クリスマス・デイの朝、宇宙飛行士の一人、ジム・ラヴェルがヒューストンに伝えている。”Roger, please be informed there is a Santa Claus.”とNASAの記録にある。不定冠詞が付いているので、「ここにもサンタクロースがおります」というような意味だろう。闇夜の国から三人で船を出したのだ。


 サンタさんはともかく、「天は自ら助くる者を助く」というラテン語の諺は宇宙でも有効であったようで、ついでに言えばラヴェルは、後年もう一度、サンタクロースのお世話になっている。映画ではトム・ハンクスが演じていたアポロ13号の船長が、この人だ。

 まあ、それやこれやで、アポロ8号が撮影した月の裏側は、少年漫画雑誌が大特集を組むに値する出来事であった。あのころは何たって月だった。ドンキーが正統である。この当時、火星移住計画なんぞを考えていたような子は、例え理科や天文が好きだとしても、ろくな大人にならないかもしれない。


 最後に、映画にも漫画にも出てきて、小さな足をそろえ「コリンズ中佐が可哀想だ」と語る少年は、映画のほうなら設定上、誰だか分かるが、漫画のほうは実際、「どちら」なのか確定的な証拠はない。その片方は山根に撃たれる直前にも同じセリフを吐いたが、その山根に「君は嘘つき」と太鼓判を押されてしまっており、真相は闇の中だ。

 出発前から月面に立つ予定ではなかったコリンズと比べたら、ラヴェルのほうがずっと無念だったのではなかろうか。しかし、私の知る限りコリンズもラヴェルも愚痴らしきことは述べておらず、いずれにせよ可哀想というのは非礼である。一つ間違えば命がないという使命を全うしたのだ。船上のメリー・クリスマス。酒は飲めなかっただろうが、地上ではきっと大騒ぎだったろう。




(この稿おわり)








共通点がある。同じ企業グループの商品なのだ。
ボンカレーは1968年に新発売。この写真も21世紀東京。
(2016年5月5日撮影)






自信ないけど、たぶん、カキツバタ
(2016年5月3日撮影)






 I by chance met a bartender
 who said he knew her well.
 And as he handed me a drink,
 he began to hum a song.
 And all the boys there at the bar
 began to sing along...

   ”Dixie Chicken ”  Little Feat




















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