少し先に戻って第13巻第5話の終わり。オッチョがカンナに、山根から聴いた話を伝え終わったところ。カンナは今にも泣き出しそうな顔をしている。ついさっき、「母さんは人殺しなの」と叫んだばかり。しかし、オッチョおじさんの話は、それを完全に否定するものだったかどうかはともかくとして、あまりに意外な内容であった。
高架の上を電車が走り去る。君の母さんは生きている、君はここで母さんを待てとオッチョは言った。「君の母さんは君と同じように、今も闘っている」のだという。ワクチンを作るのも、漫画を描くのも、人には人の闘い方があるということをオッチョは語っているのだ。カンナも自分の闘い方を考えなくてはならない。
うつむいて目に涙を浮かべるカンナの耳に、歩み始めたオッチョの足音と、「本当の戦いはこれからだ」と言う声が聞こえてきた。面を上げて見れば、今日も大きなオッチョおじさんの背中である。「”ともだち”は人類を滅亡させる」と言い残してオッチョは去った。
このあと彼がどこで何をしていたのかは不明である。次にオッチョが現れたのは新宿の街に雨が降った日、信じられない男を見た彼はその後を追い、あやうくユキジに投げ飛ばされそうになった。
カンナはこの時の様子を、春波夫邸で主を待つ間に、マルオとヨシツネに報告したらしい。103ページ目でマルオが、「奴らはまだ細菌兵器を持ってる。そう言って、オッチョは一人で行っちまったのか」と言っている。カンナがうなずき、ヨシツネが「ムチャしなけりゃいいが」と心配している。しかし、オッチョに対してムチャするなと言うのは、ヨシツネに向かってムチャしろと言うくらい、無理な相談というものだろう。
そういえば、そもそも「ムチャはしないでくれ」というのは、ケンヂのセリフであった。あれは、「オッチョ、ムチャはしないでくれ」の省略形だったのであろうか。当日、車の中でモンちゃんも、「オッチョはオッチョで、なんでも自分ひとりで、できると思ってやがる」と怒っていたな。本人に言わせれば、無茶をする必要があるから、一人にならなければならないのだろう。
春波夫プロダクションは、どうやら独自の調査機関を持っているらしい。ここで初めてその証拠らしきものが出てくるのだが、マルオによると「我々の調査でも、どうやら”ともだち”は本当に死んだらしい」が、「狂信的な組織は残った」という調査結果であったらしい。国民的歌手はマスコミにも友民党にも顔が効くから、正確な情報なのだろう。
その春さんが登場する。珍しくセーター姿。来客らに元厚生労働大臣の死を伝え、粛清が始まったかもしれないとの懸念を示す。ニセモノのカリスマが死んだ。嘘で塗り固めた組織の内部で、裏切りと権力闘争が始まり、世界が崩壊する可能性がある。いつになく硬質の口振りである。
「誰かが警鐘をならさなければ」と春さんは言った。紅白のサブリミナル程度では駄目らしい。この日、ヨシツネとカンナは、マルオか春さん自身に呼ばれて、新しい仲間に挨拶に来たらしい。この漫画は怖さで読者を驚かす場面なら幾らでもあるが、そうでもない驚きも用意されている。それが始まる。
マルオに春さんを紹介されたヨシツネとカンナの反応は対照的で、君がリーダーと呼ばれた隊長はすっかり舞い上がっており、いつもテレビで拝見していますなどと感激の様子だが、ここで意地悪く改めて確認しておけば、数日か数週間前に、紅白の画面に映る歌手に向かって、「何かハロハロだ。全くお気楽なもんだ」と言っていたばかりである。
カンナのほうがまだしも毅然としているが、春さんから”ともだち”の宣伝塔だと思ってないかと尋ねられて動揺している。それに続く「君はケンヂの姪か」という一言に、さすが彼女は鋭く何かを感じ取っている顔つきであった。邸宅の中を歩きながら、豪華さにびっくりしている二人の来客にマルオが伝えている。
「春先生は僕の命の恩人だ。”2000年の血の大みそか”のあと、逃亡生活をしていた僕をかくまってくれた」そうだ。しかし、ヨシツネの懸念は当然のものだろう。「なぜ、そんな簡単に味方になったんだ。本当に信頼していいのか、あの男」。このあたりの平仄は、そもそもマルオをかくまってくれた事情とも関わるものだった。春先生本人の口から聴こう。
(この稿おわり)
我が家の園芸は雑草も主役です(2012年5月19日撮影)