おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

あの歌はもう... (20世紀少年 第783 回)

 いよいよ「21世紀少年」に入る。本ブログのジャンル名が「20世紀少年を読む」のままになっておりますが、面倒なので変えていないだけ。上巻の表紙絵は第22集と同じ趣旨のデザインであり、”ともだち”時代と少年時代のカツマタ君らしきお面の顔の絵が半分づつ。

 その背景は昭和四十年代の風俗であろう。オロナミンCの看板は大村崑。「おいしいですよ」と書いてあるが、私の記憶に残るのは「元気ハツラツ」バージョン(”ともだち”博物館に貼ってありました)であり、また、「美味しいと眼鏡が落ちるんですよ」というテレビCMのセリフで、これは流行ったな。いつも落ちているくせに。その後ろに太陽の塔がそびえ立つ。上巻の巻名は「”ともだち”の死」と、ど真ん中のストレートである。


 第1話のタイトルも同名。場面は第22集の終盤と少し重なっていて、ブーイングを始めた観客に恐れをなしたエロイムのメンバーたちが、ケンヂにあの歌を歌えと頼み込んでいるシーンだ。見れば客席には「WE WANT グータララ」という手持ち看板まで掲げられている。あのー、歌詞の本文は要らないのですか? 

 全くグータララにどんなご利益か薬効があるのか知らないが、どうやら人々は最後のおまけ、「グータララ、スーダララ」の箇所が好きらしい。あとで取ってつけたようなものだし、元祖の植木等と同じく脱力系のオノマトぺにしか聞こえないのだが...。中川先輩によるとコンビニ・テイストらしいし、実に分からん。


 100万人クラスのアンコール合唱とくれば相当の大音響のはずだが、ケンヂは意に介さず「あの歌はもう...歌わないんだ」とぶっきらぼうに言い残して客に背を向けた。巻頭カラーの最後のページでは、どうやらケンヂはこのとき円盤墜落時のことを思い出している様子である。

 あの歌はもう歌わないという宣言に至る理由なり経緯なりは、どうやらその場面に関係があるようだ。では何故なぜ彼が21世紀最大のヒット曲(推定)を封印したのか、それを今回は考えてみる。そのため少しストーリーを先回りします。


 上巻の第23ページ。瀕死の”ともだち”はケンヂに最後のお願いをしている。「あの歌...歌って...くれないか...」とカツマタ君は言った。最初に読んだとき、私はてっきりケンヂがT.Rexの「20th Century Boy」を歌うのだとばかり思った。

 そう考えたのは私だけだろうか?? しかしケンヂは弾き語りで「ボブ・レノン」を歌った。かつて私が「20世紀少年」を歌うのだろうと感じた理由は、それなりに筋が通っていると思う。”ともだち”はカンナに、自分こそが20世紀少年だと語った。

 世界を終わりにするというラジオ放送を流したときも、この曲をオープニング・テーマに使っている。フクベエ存命時代のことだが、1997年の同級会の日に利用されたマンションの部屋にも、2000年の大みそかのトラックのラジカセにも、この曲が「気付いてくれ」とばかりに置かれていたのだ。


 しかしケンヂは「どの曲だ?」と問い返していない。彼は自分一人で判断して選曲している。歌い始めると”ともだち”は右手で空を指した。オッチョのマネを始めて以来、”ともだち”が上を指さすときは、「サンデーのノンブル・マーク」(映画のオッチョ談)の伝統にのっとり、左手が相場と決まっていたのだ。最後の最後に、彼はどうして作法を変えたのか。すでに意識朦朧で、左右を間違ったの?

 この「ボブ・ディラン」で完結する20世紀最後の数年間にケンヂが作った作品群については、もう何度も引用したのだけれど敢えてまた繰り返せば、第4巻の152ページ目でケンヂがオッチョに創作過程を説明している。


 ”ともだち”と戦うべく格闘技を習っても全然だめだったので、体育から得意の音楽に科目を変えた。「この事実」を伝えようと路上ライブを始めたのだ。ただし、「もろに歌詞にしたら、”ともだち”の息がかかった警察にパクられちまう。奴らに分からないように、わかる奴だけにだけ分かるように、誰かこの歌の意味わかってくれって」という願いを込めて作って歌った。

 その締めくくりが20世紀最後の夜に路上で録音された「ボブ・レノン」であった。ありきたりの毎日がずっと続きますように、それを誰にも邪魔させないぞという趣旨の歌詞であった。だが、地球の上に夜が来ると警鐘を鳴らす。この歌の真意を一番分かってもらっては困る者を相手にケンヂは歌ったのだ(もう安全は確保されておりますが)。


 ”ともだち”は黙って聴いている。彼のリクエストどおりだったのか、これまた良しと考え直したのか私は知らない。この曲は反戦歌のようでもあり、悲しい軍歌のようでもある。戦いすんで日が暮れて。ようやく登り始めた朝日に照らされて、”ともだち”は野末の円盤の残骸の下で死んだ。選ぼうと思えばどの曲でも選べる状況下で、ケンヂは「ボブ・レノン」を歌い、ただ一人の聴き手が聴くのをやめたとき歌うのをやめた。

 もうこの曲を歌う必要のない時代がこのときから始まる。本人にはまだ決着を付けないといけない個人的な事柄が残っているのだが、地球の上にはもう朝が来たのだ。聴かすべき相手はもうおらず、思い出したくない思い出がまつわる曲をこれ以上、歌う意味もないのだろう。グータララで元気づけられてきた人たちも、これからは自力で歩き始めるのだ。




(この稿おわり)





ハイビスカスとアサガオ  (2013年8月8日、拙宅にて)





サルスベリ  (2013年8月12日、麹町にて)









 あの歌 もう一度 聴きたくて
 私のために作ってくれたと
 今も信じている あの歌を

               「あの歌はもう唄わないのですか」    風
















































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