おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

BLUES BROTHERS  (第1012回)

 前にルート66を話題にしたとき、その東側の終着駅シカゴに旅した思い出話を少し書いた。1987年だったと思う。当時、エンパイア・ステート・ビルに次いで世界二位の高さだったジョン・ハンコック・センターのビルにも上った。何とかと煙は高いところが好きなのだ。あいにくの天候で、受付さんも「たぶん、上に行っても何も見えないよ」と後ろの白いだけのディスプレイを指さした。

 こちらにとっては、これで最後かもしれない機会である。構わず入場券を買い、全面ガラス張りの展望台から、周囲の霧を観光した。気合いでも解決できないことがある。しばらく一人だったが、やがてアメリカ人らしきご一家が来た。小学生くらいの少年が全面真っ白の周囲を見渡して、「That's it?」と叫んだのが可笑しくて、ご両親と一緒に笑った。


 オヘア空港から電車に乗って降りたホームで、若い女性が「朝日のあたる家」を歌っていた話もむかし書いた。これが初めてブルースを直に聞いた経験かもしれない。「朝日があたる家」がブルースかどうかは意見が分かれそうだが、その時の私はそう感じたのだ。

 このヘブン・アーチストの道具は、エレキ・ギター一丁と小さなアンプだけだった。逆ツイギ―の体型で、あせたブロンドの長い髪を振り乱して歌っている姿を見て、きっとジャニス・ジョプリンを意識しているんだろうなと思った。


 この朝日のあたる家は、古いファンには良く知られているように、アニマルズの歌では主人公(歌い手)が男なので刑務所か少年院、ボブ・ディランの歌では女なので売春宿と解釈されている。刑務所に「ハウス」は似合わないと思う。

 私の場合、子供のころ、この歌の「家」は娼婦の店で、しかし朝日があたることは無いという歌詞なのだと親に教わった。小さな子供にそういうことを教えていいものかどうか。でも瞬時に理解したのはなぜか。

 それより、この曲の歌詞には朝日が当たらないという表現はなかったように思うのだが、日本で誰かがそう訳したのか、それともうちの親にしては珍しく詩的な情景を無断で付け加えたものか。なお、歌詞の中にある「ball and chain」は囚人用の足かせで、背番号3のショーグンはこれでも足りず、両手両足をチェインで縛られている。


 この「BALL and CHAIN」という言葉は、漫画「20世紀少年」の第4集75ページに出てくる。 ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのアルバム・ジャケットの真ん中にある。先述のシカゴの駅で観たブルース娘と似た感じの足かせを引きずっている女性は、このバンドのリード・ボーカルであるジャニスのようだ。モンタレーでこの曲を歌っている。

 このシカゴとその近郊を舞台にした映画、「ブルース・ブラザーズ」は大学生のときに観た。監督はジョン・ランディスで、前後して観た「ケンタッキー・フライド・ムービー」も傑作だ。そちらはオムニバス形式で、世界で最も勇敢な男という章があり、ここでは詳細を書けない。


 主演のブルース兄弟は、兄がジョン・べルーシで(以下、兄)、弟がダン・エイクロイド(以下、弟)。その当時はダン・アンクロイドと紹介されていて、どうみても単なる読み間違いか、誤植をそのまま信じて片仮名にしたか、いずれにせよ酷いものだ。脚本は監督のランディスと、この弟の共作。弟は最後までサングラスを外さない。

 若き日のダン・エイクロイドは、キアヌ・リーブスとほんの少し似ていて、真面目に演じれば二枚目もできそうなくらいなのだが、どうしても真っすぐ歩けないようで、コメディばかりだ。それも、このジョン・べルーシや、エディ・マーフィビル・マーレイといった脂っこいコメディアンと共演して、なぜか引けをとらない不思議な男。マシュマロ・マンの生みの親としても知られている。


 この映画は、刑務所で始まって刑務所で終わる。最初に映る刑務所は、本物のシカゴの刑務所だ。ほかにも、車内で兄が運転中の弟に行き先を尋ねる際、「ピカソか?」と訊いているのも、市内にある巨大なモニュメントのことで(私も見ました)、名前はまだ無いため、やむなく作者名で代用している。映画「地球防衛軍」の巨大ロボットに似ている。

 筋は映画を観てのお楽しみだ。映画のサイトに、この作品や「狼たちの午後」を退屈だとか冗長などと書いている者は、どういう感想を持とうと自由だが、素手で私の後ろに立たないように。最初にこの映画を観たとき、顔を観ただけですぐわかったのはキャリー・フィッシャーだけだったかもしれないが記憶にない。


 今なら何人か分かる。行くところがなくて教会に顔を出した兄弟は、神父さんがいきなり説教の途中から歌い出すのに出くわし、しかも仮釈放の兄はダビデアブラハムのごとく天啓に打たれ、でも信仰というより、金儲けの手段としてバンドを再結成するというインスピレーションを得る。これ以降、弟のセリフは「我々は神の使節だ」というザビエル調で終始する。

 この神父さんが、ジェイムズ・ブラウンだ。死んでしまった。髪型がおばさんみたいであるが、以下は間違っても人種差別とか容貌をけなしているのではないことにご理解いただきたい。JBが歌う姿や表情を観ると、遠い昔の人類が音楽を手に入れたときの興奮や喜びが伝わってくるような気がする。


 夫とともに経営するカフェで、爆発的に歌い始めるのが、アレサ・フランクリン。楽器を万引きしようとする太いガキに、見えない目で拳銃を発砲して追い払う店主がレイ・チャールズ。私がシカゴに行ったころ、まだアメリカのヒット・チャートは白人と黒人で別々だった。

 ここに出てくる黒人シンガーは、公民権運動の最中、そんな時代に名をなして、でもテレビに出られるのはジャクソン兄弟とかシュープリームズのような白人受けのする人たちだけだったらしい。日本も同様で、若いころの私が知らなかったのも無理はない。「ブルース・ブラザーズ」の真骨頂はここにある。


 教会の中央通路を、兄がバク転で往復する場面がある。映画館中が大笑いだった。ジョン・べルーシは、間もなく死んでしまった。あれはショックだった。それにしても、自分が死ぬ前に一度でいいから、また映画が好きな連中と一緒に、映画館で楽しい映画を観て大笑いしたい。

 こうして紹介した範囲でもわかるが、映画音楽はブルースだけではなく、ソウル、ジャス、最後は監獄でブレスリーのジェイル・ハウス・ロックと、ジャンルを問わない。カントリーからロー・ハイドのテーマ・ソングまで出てくる。自己弁護も兼ねて申し上げれば、日本の音楽ファンは「その道一筋」が上等だと思っている人が多い。よほど奏者のほうが自由に楽しんでいる。


 前回からの続きで言えば、ブルース・パープも登場し、舞台上でダン・エイクロイドが演奏している。また、シカゴの街角で黒人の小娘たちを躍らせる路上ライブを演っているのは、ボブ・ディランソニー・ボーイ・ウィリアムソンに「ぼうや」と言われてしまったときに立ち会っていた宿主のジョン・リー・フッカー

 プリンセス・レイアは、スター・ウォーズの取り澄ました役より、こちらのほうがずっと魅力的で、ロケット砲、仕掛け爆弾、火炎放射器、最後は自動小銃を使いこなし、すべて失敗する。エンドロールで、「Chic Girl」(シックはいいバンドだった)と紹介されているツイギ―は、ビートルズと同じころ日本でもずいぶんと話題になった。


 彼女の貢献により、世界中の男は楽しみが増えたが、多くの女性に無駄な、というより拷問に近い減量を強いている。糖質ダイエットなんていうのに、間違ってもごまかされないようにしてください。脳の栄養は(飢餓などの緊急事態に肝臓から出されるケトン体を除き)、日常的には炭水化物から摂るしかない。痩せたソクラテスならともかく、痩せたおバカになる。体調も崩す。これは冗談ではない。今週末が勝負というようなとき以外は避けてください。

 エンディングのクレジットでは、囚人役にジョー・ウォルシュの名が見える。五年前、日本武道館イーグルスのコンサートを観たとき、彼が一番元気だったな。イリノイ州クック郡の地方公務員役として、スティーブン・スピルバーグが出ている。この時期は「未知との遭遇」の後で、「インディー・ジョーンズ」や「E.T.」の直前。暇だったのか。ナチスが川に飛び込むのを見たかったかな。当然まだ若いのなんの。




(この稿おわり)






うちのマンションの最上階からの遠望。
中央に、エンパイア・ステート・ビルみたいのが見える。
右に都庁のツイン・タワー、左の鉄塔は防衛省
(2016年4月30日撮影)





 Well with one foot on the platform
 and the other foot on the train
 I'm going back to New Orleans
 to wear that ball and chain.


 プラットフォームに片足を残し
 電車に乗り込みながら考える
 ニューオーリンズに戻るのだ
 足かせの身になるのだろうが


   ”The House of the Risin' Sun” 

         Bob Dylan/The Animals









(2016年4月21日撮影)





















































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