おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

女と男のいる舗道  (第985回)

 1997年は遠藤家の人々にとって、災厄の年であった。惣領息子のケンヂは、大学教授がビールの飲み逃げ、旧友が急死、万引き被害、それらすべてに付いて回る秘密基地のマーク復活の謎。しかし、当人は知らず、その試練はまだ始まったばかり。姉のキリコは夫の秘めた一面に気付いてしまい蒸発。その娘のカンナは実家に「面倒見てやってください」という引き継ぎだけで、両親と別れ別れになった。

 この三人の苦労はまだまだ続くのだが、今の時点では共通の先祖であるお母ちゃん(遠藤チヨ氏)も、ご本人の主観的としては「ろくなことがない」日々となっている。バカ娘にバカ息子が次々と迷惑行為を重ねており、稼業の酒屋を潰して始めたコンビニの経営も思わしくないし、怖い病気も流行っているのだ。なお、かつてコンビ二に捜査で来たチョーさんも、このころその恐ろしい病気で倒れている。


 その割に母子そろって、コンビニ業務をエリカちゃんに任せっきりにし、お母ちゃんはつけっぱなしのテレビを前に卓袱台で、気持ち良さそうに、うたた寝をしている。流石は大物、ウルトラの母。太平の眠りを破ったのは、二階から降りてきて、質問のため声をかけてきたケンヂだった。お問合せの内容は、カンナの父親とは誰なのかというもので、ケンヂにとっては目下、最大の関心事であった。

 お母ちゃんは「知らないよ」と即答している。二人とも、キリコが出産したことは勿論、誰とも知らぬ相手と結婚していたことすら知らなかったのだ。ケータイもメールもSNSもないころ、本人がいなくなれば殆どお手上げであり、当ても無いなら漫画に出てくるように警察を頼るほかあるまい。その警察が、この物語では怖いのです。


 息子は姉貴の部屋で見つけた唯一の手がかりである「諸星さん」の名を挙げてみた。「それはないね」「おまえ、知らなかったのかい」とお母ちゃんは小気味よく愛想が悪い。不得要領のまま突っ立っているケンヂの背中の向こう側、居間の壁にペナントが飾ってある。その内の一つに「伊豆下田」とある。下田は何回か行ったことがある。最初は静岡に住んでいた小学生のころの家族旅行。

 その後はしばらく記憶がなくて、近年、遠藤家と同様に東京から、「踊り子号」で何度か往復した。風光明媚にして、釣りもできるし泳げる場所もある。ペナントに「National Park」と縫い付けてあるように、富士箱根伊豆国立公園にあるのだ。また、食べ物も海産物を中心に美味しいし、この地は歴史もある。なんせ米国の恫喝外交により、最初に開いた港の一つである。アメリカの在外公館第一号が置かれ、ハリス公使がきた。


 その名をとったハリス社が開発したチューインガムと森中のアイスが、この物語では人類滅亡の起爆剤になってしまったのだ。ちなみに、アイスの場合は、当たればアイスをもう一本という説明がある(漫画のコイズミ談)。実際にそういう商品がありました。そして漫画でも現実でも、めったに当たらない。

 他方、バッヂはウルティモマンのガムに当たりが出るともらえるという設定で、こちらの当選確率についての話題は漫画にも映画にも出て来ない。ケンヂ少年は、そんなに焦るべきではなかったのかもしれない。お母ちゃんの買い食い禁止令が出て、予算的にか心理的にか、彼も苦しかったのだろうか。


 さて、外洋の荒波にさらされ続ける伊豆半島の先端部は波が荒いが、下田は天然の良港で、ペリーは二回目の来日の際、浦賀ではなく下田に停泊している。吉田松陰はそのときに彼の地で密航を企てたのであって、最初の黒船騒動のときではない。

 前にも話題にしたが、あのころペナントといえば、プロ野球のペナント・レースか(今ではレギュラー・シーズンという詰まらない呼び方に変わった)、お父ちゃんたちの出張や子供たちの旅行の手土産には欠かせない渡航証明だった。うちにも幾つかあった。

 フクベエの部屋にも京都と東京タワーのペナントが飾ってあった。かつて意地悪く指摘したとおり、ともだち博物館では京都のはずが、EXPO'70に入れ替わっている。1970年の嘘の一環であった。


 キリコがお線香をあげにいくシーンが出てくる。諸星さんのお母さんは、連絡をとらなかったことを詫びているので、我が子とキリコのことは知っていたらしい。だが、息子の急死の理由となると、遺書も心当たりもなくて疲れ果てている様子。

 黒木瞳が熱演するキリコさんは、最後に会った日のことを伝えて、いつまでも自分を待っていると言った人が、その日のうちに命を立つはずがないと力説する。彼女には別の嫌な心当たりがあるに違いない。漫画ではケンヂですら、それを予感している。


 ご位牌によると、諸星さんが他界したのは平成六年とあり、西暦では1994年である。映画ではこの時点で、お母ちゃんいわく、キリコは大学進学をあきらめて「あのころ大変だった」店の手伝いをしていた。

 他方でケンヂは「ロックだか、何だか」に夢中のフーテンで、使い物にならなかった。最近はロックとかフォークとかいう言葉さえ、余り目にせず耳にせずの時代になった。月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。


 二年ほど前に、ある動画サイトを運営する仕事をなさっている方と二人で、仕事の話をする機会があった。世界的に名の売れた「アーティスト」が登場する動画は、アクセス数が100億を超えるのだと言う。日本国内では、せいぜい1億とか。それにしてもクリックするだけで、大層な額の金が動くのだな。

 「それは例えば、マドンナとかマライア・キャリーですか」と私は訊いてみた。最近の情報に疎いのです。お相手は少し間をおいて困ったように笑顔を作って否定し、三人ほど(グループ名かもしれん)、その名を挙げてくれた。仕事でなければ「知らないよ」と言うところであった。お互い何分か無駄にした。


 店頭でキリコが大きな壺ごと酒を買ってくれたお客にお礼を言い、商店街で寄り合っているおじさんたちに挨拶をしたところで、店先にスーツ姿の諸星さんが現れる。明後日、クアラルンプールに赴任するというから急だし遠い。未だ色よい返事ももらえていないのに、一緒に来てというのは実際さすがに無理そうなので、諸星さんは慌てず騒がず、キリコにチケットと「むこうの住所」を届けに来たのだ。

 諸星さんのスーツは茶色であるが、1980年代前半という昔、金融機関に勤めていたころ、茶色はビジネスではご法度だから買うなという指導を先輩諸氏から受けた。で、買った。出世しないわけだ。茶色がダメなんて、理不尽である。これを書いている今も上下、茶系です。なお、先日お会いしたテーラーさんいわく、日本人には紺のスーツが似合うらしい。それは何となく分かる。

 また、諸星さんのビジネス用の手提げ鞄は薄い。情報通信機器一式を持ち歩かずに済んでいた時代は、荷物が軽いと言う意味において楽だった。スケバンの通学用バッグも、意図的な作業の結果と思われるが、見事にペシャンコだったのが懐かしい。あれは思うに、このあたしが教科書やノートなんか持ち歩くもんかという思想信条に裏付けられた主張であろう。

 
 海外で電車に乗ったことがある人はご存じのとおり、多くの国では大地を走る電車(えー、地下鉄以外のこと)のプラット・フォームは地面と同じ高さである。バスと同じ。

 しかしながら、日本の鉄道では、ホームがなぜか高い。この高低差に起因する事件・事故が絶えない。いま東京では転落防止用の施設が次々と作られているが、それよりホームを平らにすれば手っ取り早いと思う。もう手遅れなんだろうか。

 日本の電車で去ろうとしたのが、諸星さんの命取りになった。漫画では長髪の人殺しが下手人であるが、映画では登場人物の絞り込みに際し、万丈目が兼任することになったため(プレイング・マネージャーの時代を反映している)、その報いも全て受けることになった。


 ともあれ、キリコという人は全体に言葉数が少ない。諸星さんには、それもまた魅力だったのかもしれないが、いきなり赤ん坊とお願い口上だけ残してキリコが去ったから、お母ちゃんとケンヂは困っている。

 私はいまだに、彼女がボウフラなり微生物なりの研究者にならず、なぜ医師の道を選んだのかさえ分からない。夢は象牙の塔よりも、現場優先だったのか。それとも少女のころから、ユキジやらケンヂやらのケガの手当ばかりしていた影響か。ともあれ、根が働き者であることは間違いない。


 ケンヂの捜査活動は、諸星さんルートを絶たれて、ほとんどネタ切れになった。残るはマサオの大学から引っぺがしてきたポスターにある情報。第169回のともだちコンサートが、11月2日に開催予定である。場所は不明。

 なお、1979年の大学生ケンヂが、スパイダー先輩に向かって武道館を一杯にしたいと述べて正気を疑われているが、前年の1978年に彼のヒーローの一人、ボブ・ディランが初の来日公演を実現し、日本武道館を一杯にしてライブ・アルバムまで作った。ミスター・タンブリン・マンで始まる。かつては、タンバリンと呼びました。





(この稿おわり)




九段会館前より、日本武道館を望む。
(2016年2月10日撮影)





今年初めての梅の花、なぜかネコ入り。
(同日撮影)









 Hey, Mr. Tambourine Man, play a song for me.
 I'm not sleepy and there is no place I'm going to.

                     Bob Dylan










 やがて汽車は出てゆき
 一人残る私は
 ちぎれるほど手を振る
 あなたの目を見ていた

    「別れの朝」 ペドロ&カプリシャス




























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