おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Dog Day Afternoon  (第986回)

 よげんの書には書いていないはずなのだが、映画のケンヂは、飛行場の爆破は大阪の三日後であると、常にない記憶力を見せて喫茶店を飛び出している。二三年前に漫画の感想文では、成田空港に付いたケンヂがタクシーの運転手さんに早く逃げろと叫んでいるが、彼がそのまま離れればタクシーはもっと早く遠ざかるだろうにと批判した。

 でもよく考えてごらんと万丈目に言われる場面なので、よく考えると、空港の出発ロビーに着いたタクシーは、これで帰宅というタイミングでない限り、到着ロビーに回って長距離のお客を期待しながら待つだろう。危険である。ケンヂの方が正しい。もっともタクシー・ドライバーが、この客の言い分を信用すればの話なのだけれど。


 彼は成田までユキジを助けに来たのだが、同じことは運転手さんのみならず彼女にも言えて、こんな突然の変な命令に素直に従うようなお方ではない。それに、犬連れの彼女は精神的に疲れている。麻薬犬ブルー・スリーが、小麦粉と覚醒剤を間違えたのだ。覚醒剤にもプラセボ効果があるなら、小麦粉も売れるだろうに。

 漫画では犬に捕まった当人の万丈目が、青三号の名誉を回復してくれるのだが、映画では捨て置かれた。あとで大活躍の場面があるからいいか。映画の万丈目は彼にしては無口で、君たちが子供のころ成田はあったかねという意地悪な質問とカンナちゃんの危機の警告をしただけで、無駄なお喋りはしていない。羽田空港の爆破シーンは、さすがCG時代とあってリアリティがある。


 映画「狼たちの午後」は、空港でのラストシーンが恐ろしいが、ほとんどの場面は銀行の店舗とその周辺である。実際にあった銀行強盗を基に作られた映画で、「スケアクロウ」と並んで私が好きなアル・パチーノ主演の傑作です。むかしはアル・パシーノだったのに、いつの間にか名義変更。今はもう古くなったニュー・シネマ。

 あとは、長いが雑談です。先日、前に小説の感想を書いた「イニシエーション・ラブ」のDVDを借りてきて観た。痛風のせいで夜が空いております。確かに故郷静岡の山並みである。ただし、木梨を含め静岡弁の方言指導が今一つ。ちゃんと「しぞーか」と言ってはいたが。私はこの映画で、初めて前田敦子が喋っているのを見て聞いた。ついに時代遅れもここまできたな。

 映画の時代設定は、バブルど真ん中の1987年。敦ちゃんが預かり持ってる本を入れた紙袋に、「EXPO」と書いてあったように記憶しているが、これは1985年のつくば万博だろう。これまた私は関西にいて多忙の極みという事情で、行き損ねた。万博には縁がない人生。まだTX(つくばエクスプレス)が無かった時代で、交通や宿泊は不便があったのではなかろうか。


 それより松田の翔太君が(オッチョの息子と同じ名前だね)、ますます親父さんと似てきて嬉しい。後頭部の髪型など、「家族ゲーム」のころの松田優作とそっくりだ。翔太の父親は乱暴者が多いようで「太陽の吠えろ」の優作も、優しい名前の割に殴るわ蹴るわの印象ばかりが強い。ヤマさんやチョーさんが大人だけに目立った。

 しかし、今なお多くのファンに慕われているのは、彼の狼藉ぶりが粗暴とか残虐とかいうようなものではなく、平凡な表現しかできないが、世の中の理不尽が許せず、私のような臆病者がひた隠しにしている暴力の衝動を「正しく」使って見せていたからだと思う。きっと彼は俳優になって良かったのだ。


 今は亡き彼の映画もいくつか見ている。ただし、「蘇る金狼」は原作も映画もみていないはず。最初に彼を映画で観たのは、たぶん学生時代の「竜馬暗殺」で、ただし正直に言うと、見たかったのは主役の原田芳雄だった。もういない。主演も脇も上手くて、それにこの人は「主役を食う」ような出過ぎたことはしない。

 原田さんは「二十世紀少年読本」にも出ていた。香具師の元締めの怖い人で威張っておった。似ている題名だが漫画とは関係ないし、漫画より早い。「竜馬暗殺」では、坂本龍馬という人物の、不愛想で傍若無人な性格をしっかり醸し出している。司馬さんもそういう風に書いているのに、なんだか今や爽やかな青年にされてしまっている。なお、中岡慎太郎役は石橋蓮司。後の万丈目。


 小説を読んでいないので「金狼」が何を意味するのか知らない。当時の角川映画は広告宣伝に多額の費用を投じていたようで、松田優作薬師丸ひろ子の予告編を、山ほど雑誌やテレビで見た。狼は生きろ、豚は死ね。以下は、オオカミとイヌは、生物学的に同一の種であるという定説を前提に書きます。

 日本語もひどくて、オオカミは神様扱いだが、イヌは負け犬とか弱い犬ほど良く吠えるとか、自分たちで狼の野性味を奪っておいて、そういう言い草は酷であろう。本稿のタイトルに借用した映画の邦題が、直訳にならず「狼たち...」になったのも、配給会社にそういう犬差別があったに相違ない。狼になりたい、か。


 ウィキペディアは、ものごとを調べるきっかけとして使うには大変便利であるが、鵜のみにしないほうがいい。特に仕事で使う場合は、かならず別の情報源で「裏を取る」ようにしている。自称「百科事典」だが、随所に「要出典」なんて書いてあるし、その「出典」もテレビ番組とか週刊誌とか東スポとか、それらをバカにするわけではないが、立場が逆でしょうに。それに監修責任者の名が無い。

 その心もとなさの具体例を挙げる。このブログを書いている時点で、日本語版ウィキペディアによる映画「狼たちの午後」の説明文には、こういう表現がある。原題の「Dog Day」は日本語で「盛夏」を意味する熟語であり、邦題の「狼」とは関連性が無い。


 よくぞ言い切った。見事に間違っている。まず盛夏とは、盛りという字が示すように、また、時候の挨拶でも使われるように、決してネガティブな意味を持つ言葉ではない。しかし、英熟語の「Dog Days」は拙宅の古い辞書にも、ネットのオクスフォード英英辞典にも、「うんざりするような夏の暑い日々」という意味合いで載っている。

 なお、この映画の時代設定は1972年の8月。ミュンヘン・オリンピックやアイルランドの「血の日曜日」を始め、世界中で血の雨が降った年だ。ケンヂは、ほうきギターを弾いていたが。


 それだけではない。こちらの方が重要だが、なぜ猛暑の季節が「犬の日々」なのか。辞書によれば、古代の地中海周辺で、シリウスが太陽に先駆けて夜明け前に東の空に昇ると、人々は暑い夏の到来を迎える心の準備をしたというような説が有力であるらしい。そして、シリウスは「おおいぬ座」のα星(その星座で一番明るい星)だ。だから、ドッグ・デイズなのである。

 おおいぬ座のセンターであるだけではない。全天で二番目に明るい恒星である。もっとも、一番は太陽なので、お星さまとしては一番、と言いたいところだが惑星や衛星も加えてしまうと、月や金星のほうが明るいので、そういう親藩・譜代の星々を除いて、外様では見た目の明るさ(等級)が一等賞なのだ。


 中国では天狼星という。いいねえ。水滸伝に出てきそうだ。漢語の天文用語は、天狼の他にも銀河、北斗、天体などなど実に冴えている。大陸の反対側では、おおいぬ、こいぬなのだ。

 この大小の犬に関しては名の由来に諸説あるそうで、しかし最も馴染みやすいのは、近所のオリオン座の始祖オリオンがギリシャ神話に出てくる猟師であるため、その猟犬だというのが、少なくとも冬の夜空を見た感じではぴったりだ。


 映画「20世紀少年」に戻る。ケンヂが成田から自宅に急行して騒ぎが大きくなるのが11月1日、コンサートは翌2日、万丈目が「次は選挙だね」と言っているのが次の3日。支持率が先月末に大台を突破と言っているので、1997年10月末の世論調査結果がお気に召したらしい。

 人の心を預かる者が、大きな権力を握るのは怖いよ。そういえば、現世では毎週のように議員がみっともない辞め方で辞め続けている。あれでは人心を掌握できまい。野党の野次も無残である。


 この国で選挙がなかなかうまくいかないのは、主に選ばされる方よりも、どうやら選ばれるほうの資質に因るみたい。日本の法学部は法律家や官僚の育成機構としては機能しているのだろうが、欧米の大学と異なり、実戦的な政治学や軍事をろくに教えていないはずだ。

 きっと立派な後輩が育つと誰かが困るからだろうし、教える人も足りないでしょう。我々としては、まずはキリコやケンヂを見習って、身近なところでの育児や教育を大切にするほかないと思う。







(この稿おわり)







犬連れといえばご近所のこのお人。
案内板の英語表記は、どシンプルで「Saigo Statue」。
(2016年2月5日撮影)







近くの神社の狛犬。胸を張っていなさる。
(2016年1月2日撮影)








 昔の友にはやさしくて 変わらぬ友と信じ込み
 あれこれ仕事もあるくせに 自分のことは後にする
 ねたまぬように あせらぬように
 飾った世界に流されず 好きな誰かを思い続ける
 時代おくれの男になりたい

      「時代おくれ」  河島英五








 燃え上がる真昼の沈黙は
 今日を賑わう都会の裏の顔

      「蘇る金狼のテーマ」  前野曜子









































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