おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

諸星さんの遺言 (20世紀少年 第637回)

 第19集の162ページ目、駅のプラット・フォームで諸星さんは腕時計で時間を確かめ、走ってくる電車に目を向けたあとで、力を落とした感じでうつむいている。今日のところは彼の思いは伝わらなかったのだ。その直後、長髪の左手が彼の背中を強く突き飛ばした。

 第2集でケンヂにお母ちゃんが諸星さんの急死について語ったところによると、(1)自殺するような人ではなかった、(2)ホームで後ろから突き落とされたのではないかという噂まで立った。やはり、火のないところに煙はたたないのである。とはいえ結局お母ちゃんは自殺だったと信じている。


 なんせ駅には大勢の乗客がいて、勢いよく飛び込んだ場面を目撃しているのだ。あの日、キリコは店の前で打ち水をしていた。商店街で掃除といえば朝だ。諸星さんは通勤の時間帯に悲劇に遭ったのだろう。お母ちゃんは娘と諸星さんが「いいところまでいってたのよ」と言っており、かつ、なぜ自殺をなどと不思議に思っているということは多分その当日、キリコと彼の間で交わされた会話や彼女の決心について娘から聞いていないのだろう。

 キリコは相当、自分を責めたのではなかろうか。彼女と諸星さんが、本当にいいところまでいっていたかどうかは分からない。殺人犯の長髪も「今、相手の女性は愛していた男を失って」云々と言っているが、彼女の諸星さんに対する態度は二回とも終始、硬いままだし口数も少ない。もちろん彼の手紙を遺しているくらいだから、嫌いな相手ではなかったと思うのだが...。


 こういう男と女の難しい問題は先送りにして別の話題に逃げよう。先ごろの警察庁の発表によれば、平成二十四年(2012年)の日本の自殺者数は15年ぶりに3万人を下回った。とはいえまだ先進国の中では異常な高率であるし、人口そのものが減少しているのだから手放しで喜べるニュースではない。

 それでも私は仕事柄、資格柄、自死の防止のために尽力している方々の大変な苦労を少しは知っているので、彼らの貢献もあったに違いないと思っている。その方法が適切なのであれば、これからさらに効果を発揮してくれるに違いない。ところで、この警察が発表する自殺者の定義は、遺書があるかどうかが一つの条件になっているという話を聞いたことがある。


 この真偽は調べてみたけれど分からなかった。諸星さんのように事件か事故か自殺か判然としないようなケースが当然ある。遺書の有無で判断すると、実数よりかなり少なくなるという批判をどこかで読んだことがあるが、死因不明の場合は生命保険とか労災認定とか遺族感情といった複雑な事情が絡んでくるので、警察もそう簡単に類推できないのは仕方がないだろう。


 記憶の限りでは「20世紀少年」に遺書は出てこなかったと思うが、字面の良く似た「遺言」のごときものは出てくる。まずは何と言っても「お前しかいない。地球を救え。」というドンキーがケンヂにあてた最後の手紙である。遺言というのは、何も遺産相続のことばかりではない。

 吉行淳之介の遺言は簡潔極まるもので、まず無宗教につき葬式不要とあり、そのあと「すべての著作権は、まり子へ」で終わっていたと宮城まり子さんが日経の「私の履歴書」に書いてみえた。相続の箇所もあるけれど、それがこの遺書の本当に伝えたかったことではない。


 ドンキーはこのとき既に身の危険を感じていたのだから、一番大切なことを書き遺さずにはいられなかったのだ。我ながらやや牽強付会の観もあるが、モンちゃんメモもチョーさんの捜査資料も、それを手にした者に複雑な感情や大切な情報をもたらしたのだから、一面では遺言みたいなものだな。

 昨年だったか、相続法の講習を受けたときに、講師のベテラン弁護士に教わったのだが、法的に遺言が書ける年齢というのは意外と早くて15歳である。民法第九百六十一条(遺言能力)に、「満十五歳に達した者は、遺言をすることができる。」と書いてあるから間違いない。義務教育が終わったら農林水産業や商店街で働くのが当たり前だったころからの法律であろうか。


 しかし、この講習で一番印象に残ったのは、そういう法律や公証人等の手続きの話ではなくて、当面は死にそうではなくても死ぬつもりもなくても、遺言を書いてみてほしいという弁護士さんのアドバイスであった。まだ実行していないが、彼の語るところによれば遺言を書いてみると、誰もが自分より長生きするであろう大切な人に向けて、とても良い言葉を選び抜いて書くのだそうだ。そしてそれが自分に戻ってくる。


 諸星さんはそんな余裕もなかった。ただし、彼の語った「良い言葉」は、西岡により録音され、”ともだち”により再生されて、キリコの心に届いたのである。相手が悪かったので彼女は大変な苦労をすることになるが、これ以降のキリコの行動には迷いというものがなく、その強い意志を支える一つの原動力にはなったのではないかとも思う。




(この稿おわり)




久しぶりに見たネコヤナギ。花瓶はもちろん益子焼。 
(2013年2月17日撮影)




 父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。
 干し柿、モチも美味しゅうございました。
 敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
 克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
 巌兄、姉上様、しそめし、南蛮漬け美味しゅうございました。
 喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。
 又いつも洗濯ありがとうございました。
 幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。
 モンゴいか美味しゅうございました。
 正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、
 敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、
 芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
 立派な人になって下さい。    
 父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
 何卒お許し下さい。
 気が安まることもなく御苦労、御心 配をお掛け致し申しわけありません。
 幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

                                          − 円谷幸吉


















































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