おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

New Kid in Heaven  (第975回)

 映画にも20世紀的な商店街の喫茶店が何度か出てくる。現代の狭いチェーン店のコーヒー・ショップでは、ひそひそ話ができない。チョーさんがヤマさんに最期の引継ぎを終えた場面に続き、大阪の通天閣近くでの死亡事故報道があり、ケンヂはますます近辺で続出するようになった目玉おやじマークと生物兵器のニュースが、よげんの書の思い出に関連しているという疑惑を深める。

 とりあえず呼び出したのは地元のマルオとヨシツネで、ケンヂは必死に今そこにある危機についての警告を発するのだが、元基地仲間はてんで暢気であり、飲み食いに忙しくて取り合ってもらえない。この会場になった喫茶店は、ホビットの住居のように真ん丸の大きな窓が道路側の壁に並んでいる。

 映画では少し前のシーンにおいて、この3名の自転車とドンキーの競走ルートになった道沿いに並んでいた、喫茶さんふらんしすこの窓とよく似ている。たぶん同店内だろう。このサテンの壁にポスターが貼ってあり、「daryl hall」という大きな字のタイトルが読める。


 ダリル・ホールとジョン・オーツ。当時の日本では勝手に省略してホール・アンド・オーツと呼ばれていた。1970年台の後半にヒット・チャートで猛威を振るったピンク・レディと入れ替わるようなタイミングで、ちょうど私の学生時代に人気絶頂期を迎えたデュオ。レコードを出すたびにトップになる。

 私は特に「Maneater」が好きであった。ダリル・ホールの歌唱はこの曲でも好調で、ハイ・ノートでありながら金切り声にならないという稀有のボーカルを聴かせてくれる。サックスの音も渋くていい。

 この「マンイーター」のイントロのベース・ソロが、シュープリームスの”You Can't Hurry Love”の剽窃だと騒いだ奴がいたのを覚えている。似てるっちゃ似てるが、演歌の前奏の様式美に比べたら、この程度の類似点を見つけて威張るなどお笑い草だな。プレスリー以来、もう四半世紀の歴史があるのだ。ある程度の似ている表現は出て当然だろう。

 残念ながら彼らのライブを観たことはない。最後にダリル・ホールをテレビで観たのは、先日チャリティの悪口を言ったばかりで気まずいが、”We Are The World”だったように思う。真ん丸顔のスティーブ・ペリーと黒人時代のマイケル・ジャクソンの間に出てくる。ジョン・オーツの愛嬌のある顔も、合唱団の中に見える。去年、二人して来日していましたね。


 中学生のとき生まれて初めて小遣いで買ったシングルが、「ホテル・カリフォルニア」であったことは、ずっと前に触れている。アルバムのほうを買ったのは、その十年ぐらい後のことか。特に最初の3曲が当時も今も好きで、すなわち「ホテル・カリフォルニア」、「ニュー・キッド・イン・タウン」、「駆け足の人生」。

 イーグルスのコンサートに行ったときのことは、調べた範囲では小欄にほんのちょっと出てくるに過ぎない。理由は単純で、むかしの手帳によればライブを観た日は、このブログを書き始める前のことだったのだ。日付は2011年3月5日。東日本大震災のわずか6日前の東京ドームだった。

 簡単な感想も書き残している。ロックのコンサートなのに途中休憩があったなどと生意気なことが書いてある。彼らの年齢と、3時間も演奏してくれたことを考え合わせれば傲慢というほかない。もう一つ、「New Kid In Town」以外の好きな曲は、みんな演ってくれたから満足と、これまた態度が大きい。


 オッチョの回想によれば、1970年という年はジャニスとジミとモリスンが死んでビートルズが解散しており、ケンヂのいうロックの時代だった1960年代が名実ともに終焉を迎えたという印象を与える。一方でベイ・エリアが世に送り出した最大のヒット曲であろう「ホテル・カリフォルニア」によれば、何らかの「精神」は前年の1969年以降、失われたままになっている。

 ウッドストックがピークだったという意味なのか? この年に西海岸でオルタモントの騒動があり、ヒッピー・ムーブメントも下り坂。ブライアン・ジョーンズも死んで、ストーンズにとっては大混乱の一年だった。ドン・ヘンリーの歌詞はいつもこんな風に思わせぶりである。


 イーグルスの名は、偶然だが、けっこう前から知っていて、理由は家族が好きだったため。カセット・レコーダーでときどき初期のベスト・アルバムを聴いていたのだ。実家の女性軍の人気は、「テイク・イット・イージー」や「いつわりの瞳」であり、どうも我が家ではロックンロールというより、カントリーのような聴かれ方をしていた気配がある。

 中学校で、英語の”easy”という形容詞は、「容易な」「簡単な」という意味であると教わった。マーチン・スコセッシ監督の「Taxi Driver」では、ミッド・ティーンの笑婦ジョディ・フォスターが、ベトナム帰還兵で正義の味方かつタクシー運転手になったロバート・デニーロに名を訊かれ、「イージー」であると源氏名を披露している。

 そんな名前があるか、と真面目で苦労人のタクシー・ドライバーは問い返すのだが、少女は「It's easy to remenber.」と笑顔で応えている。覚えやすい商号は、不特定多数相手の客商売では重要な要素なのだ。ともあれ、「気楽に」というような意味合いもあることは、イーグルスの曲で知った。「イージー・ライダー」も、容易なバイク乗りではなかったのだった。


 発売当時の噂では「ニュー・キッド・イン・タウン」に出てくる新参者のモデルは、ダリル・ホールであるとのことだった。真偽のほどは定かでない。二人は東海岸の出身だし、作風もイーグルスとは至って異なるのだが。だからこそ”New”なのか?

 大学生になってから発売されたイーグルスの「ロング・ラン」も、レッド・ツェッペリンの「何とかドア」(長いので省略。ドラえもんみたい)も、ジョン・レノンの「スターティング・オーバー」もチャ―ト的には今一つ振るわず、評論家の評価も厳しく、ついでに私自身も同意見だった。ロックはひたすら成長し斬新であり続けると思い込んでいたからだろう。


 イーグルスは、「ホテル・カリフォルニア」の商業的な成功が巨大過ぎて行き詰まり、次作「ロング・ラン」で力尽きて解散したというのが通説だろう。その割に、その後も元気だし、そういう事情があったとしても、ごく一因に過ぎないような気がする。「69年で終わり」と言い切ったツケが回って来たか。

 フェルダーやウォルシュが入って来て、イーグルスの曲調は家族好みのものから、私好みのものになった。されど、ボーカリストとしてもギタリストとしても、あまり派手な押し出しがないバンド・マスターのグレン・フライは、一枚だけソロ・アルバムを持っているが、CS&Nやバーズや「シマロンのバラ」の流れを汲む正統派のウェスト・コースト・サウンドである。上記の各作品における彼の作風といい声といい、ハード・ロック的ではない。それがどうした。「いつわりの瞳」は名曲である。

 グレン・フライが亡くなった。デヴィッド・ボウイと同じく、享年六十九。ロックだよな...。私は天国の存在を信じていないが(人が信じるのは自由です)、もしもあの世のようなものがあったなら、今ごろはお先に旅立った諸先輩や旧友に迎えられていることだろう。





(この稿おわり)





 

献花。上野の椿。
(2016年1月1日撮影)





 People you meet,
 they all seem to know you.
 Even your old friends
 treat you like you're something new.

    ”New Kid In Town”   Eagles










































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