おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

歌で世界は変わるか (20世紀少年 第623回)

 第4集でケンヂがオッチョに言ったように、ジジイになってもロックやってるすごい奴は山ほどいるんだが、でもやっぱり私としてはロックは演るほうも聴くほうも若い奴らのほうが活気があっていいと思うな。

 今でもロックを聴いているけれど、昔と比べて再生機器の音量をずいぶん絞るようになった。ロックを聴くにも体力、若さが必要だ。私はギター論を展開できるような知識も経験もないが、若い頃でさえ音量をどんなに下げて聴いても、ジミ・ヘンドリクスだけは長いこと聴いていると頭痛がしてきた。それだけの理由で最高のギタリストは彼だと信じている。自分の体がそう言うのだから。

 ケンヂが産業ロックと呼んでいた時代には、例えばAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)などというイージー・リスニングがあった。だが、やはりロックは若く明るく、やかましくあってほしい。

 
 この人生ずっとロックを聴き続けてきたかのように偉そうに書いてきた。だが実は十代の一時期、精神的に凹んでいたころ、一年か二年ほどロックを聴けなくなってしまったことがある。それどころか英語の歌さえ面倒に感じて、やむなく何年か前にピークを迎えた日本のフォーク・ソングばかり聴いていた時期がある。

 最初はベスト・アルバムから入るのが私の流儀で、陽水、かぐや姫荒井由美五輪真弓と片っ端から聴いたのだが、オリジナルのアルバムまで何枚も買ったのは、ここでも何回も引用している吉田拓郎中島みゆきの二人だけ。たぶん歌詞との相性が良かったのだ。拓郎に励まされ、みゆきさんに元気づけられて、ようやく私は立ち直った。だから音楽は人を変えると信じている。


 それでは、歌で世の中は変えられないのだろうか。世の中とは人の集まりなのに。第19集の100ページ、懸命に仕事中の氏木氏のかたわらで、ケンヂは玄関に立ったまま「グータララ節」の弾き語りをしている。氏木氏は「いいですねえ」と歌の感想を述べた。

 彼によると、将平君→スペードの市→氏木氏という経路で、ケンヂが北の国境警備隊をギター一本でねじ伏せたという尾びれも背びれも付いた話が伝わっていたらしい。「歌はすごいや。世界を変えられる」という氏木氏に対して、ケンヂはお前には漫画があるだろうと語る。


 氏木氏はここでも謙虚であり、漫画なんてダメで、警備隊の前で描いても撃ち殺されるだけだという。ケンヂは「警備隊の連中が続きを読みたがったら?」と問題提起している。良い指摘だな。昔、海ほたるの刑務所で角田氏はそれと似たような手段を上手く使った。氏木氏は書き終わったら撃たれるだけだと述べ、再び「歌はすごいや」と言った。

 ここで珍しくケンヂの反論が激しい。「歌なんかで世界が変わるわけねえだろ」と全否定。さらに、「俺ぁそんなものは、これっぽちも信じちゃいねえ」とまで言い添えた。対する氏木氏は、ではなぜいつもギター弾いて歌っているのかという良い質問をしたのだが、そんなことより手形は出来上がったのかと話をそらしている。この話題は触れてほしくないらしい。


 歌手や役者や作家や画家が、いつもいつも本当のことを言うはずがないと思っている。実際、彼らの中にはそれと同じことを言う人も少なくない。嘘が多いと信用を無くすという勤め人や商売人とは違う次元で働いているのだ。通りすがりのインタビューに真面目に答える必要はなく、むしろほとんど無意識にリップ・サービスを優先するのではなかろうか。

 だが、ここでのケンヂはどうやら本気で言っているような感じがする。思うに彼は強烈な失敗体験が多すぎたのではないか。私の知る限りでも三回。最初は1973年の第四中学校で放送室ジャックをし、T.REXの「20世紀少年」を流したときも、「何かが変わると思った」のだ。


 でも、何も変わらなかったと本人は述懐している。世の中というよりユキジだったのかもしれないが。それはともかく、実はもしかしたら或る少年の一生を変えて、さらにその少年が大人になって世界をひどい方向に変えてしまった疑惑があるのだが、今のケンヂはそれを知らない(と思うが、もう心当たりがあるのかな...)。

 それにしても、放送部員の娘さんを縛り上げて、猿ぐつわまで噛ませているが、ケンヂが暴力行為をしたのは、これが最初で最後ではなかろうか。これは何かを変えるためのやむを得ない行いであろうが、今こんなことをしたら大変な騒ぎになるだろうな。

 
 彼の暴力嫌いは第4集でのオッチョとの会話にも出てくる。ジムと名のつく所に片っ端から通って体と技を鍛えようとしたのだが、どこにいっても才能がないと言われたらしい。ケンヂは「人の顔、殴るのはどうにも苦手だ」と語っている。オッチョは笑ってごまかしている。

 こうして格闘技は諦めて、彼は得意の歌で世の中を変えようとしたと語っている。しかし歌詞に細心の注意をこらした路上ライブも、だれも聴いちゃくれねえのであった。最後のライブで録音した歌がいま大ヒットになっているのだが、この時点では当時の努力も水の泡だったと言わざるを得ない。


 もう一つの失敗は、バンドの解散である。いつか分かってくれると信じて活動してきたのだが、ドラムスが抜けてバンドは空中分解したらしい。1997年のケンヂは事情を覚えていない様子だが、春さんはずっと苦しんできたのだ。

 こんな体験ばかりしていては、歌で世界を変えるなどといい歳して言えないのも分からないではない。だが、私や中川先輩や村の人たちと同じように、歌を聴いて人生が変わった人も大勢いると思うのだけれど、どうだろうか。この先の展開を楽しみに待つことにしよう。




(この稿おわり)



雨が続くと仕事もせずに、キャベツばかりをかじってた...






















































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