おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

地球防衛軍  (第942回)

 今回は真面目に漫画の感想文に戻る。先日、心理学の本を読んでいたら、わずかながら「おたく」の話題が出て来た。語源は「御宅」で、こちらは古い映画を観ていると普通に出てくる。かつての「おたく」たちは、そう呼び合っていたらしいのでこの名が付いたと聞く。一応、仲間内だけであったとしても、口頭での会話はあったのだ。

 私がこの言葉を知って間もなくだったと思うが、80年代の終わりごろ、おたくが被害者と言ってもいいほどに反社会的な意味を持たされてしまった事件があった。私より二歳年下の男による卑劣な連続人殺し事件で、犠牲者が気の毒で詳細を書くに忍びない。それまではマニアックなコレクターの印象しかなったように思うが、偏向報道により「おたく」は全て幼女を狙う鬼畜のように思われてしまったのではないだろうか。


 当方は、一昔前ならば定年退職の歳にもなって、延々と漫画関係のブログを書いている。これも、おたく的なのだろうか。ケンヂたちの生まれた年、1959年は散々くりかえしてきたけれど、少年サンデーとマガジンが発刊され、東京タワーが操業開始した年。また、当時の皇太子のご成婚を機にテレビが一般家庭にも広がったそうだ。私たちの年代は、生まれながらに漫画やアニメに囲まれて育った最初の子供たちだろう。貸本世代の苦労や不便を知らない。

 でも、おたくと呼ばれる条件として、コレクターの要素が不可欠なのであれば、私の青少年のころは漫画やアニメなど子供向けテレビ番組を集めたくても、まずお金が無いし、置き場所もない。

 ビデオデッキが普及するまでは当たり前だがビデオもない。この映画を観るのはこれが最後というのが疑う余地もない前提としてあった。だからフクベエの部屋など、私から見るとたいへん金持ちで寛容でいい加減な親でなければ、あれだけの漫画とプラモは揃わないはずだと思う。


 2000年の暮れも押し迫るころ、地下水道の脇でケンヂは「よげんの書」を再読している。最後のページが破られているため、どうやって戦っていいのか分からないとぼやく。前にも書いたと思うが、このページは何が書いてあったのか、確証もないが消去法でいくと、「よげんの書」に描かれたはずの絵で、スケッチブックには残っていないものは一枚だけ、「レザーぢゅう」である。

 秘密基地で「よげんの書」が執筆されたのは1969年のことで、ウルトラマンゼットンに敗北した日からまだ二年ほどしか経っていない。人間が悪の大怪獣を倒すという稀有の出来事があった。なぜか科学特捜隊のメンバーは、秘密基地の仲間と同様、名前がカタカナであった。ゼットンを打倒したのはアラシ隊員。


 ちなみに、その何年かあとでイデ隊員を演じていた役者さんが、新聞か雑誌のインタビューに答えていて、面白かったのでまだ覚えている。彼は首都高かどこかで、パトカーにスピード違反で捕まった。やむなく、免許を差し出して謝り始めたところ、相手の警察官が「これはイデ隊員、お務めご苦労様です」と敬礼して去ったそうだ。途上国日本はそんな調子であった。

 うちの実家など、いまだに親の「ウルトラセブンは面白かった」などという発言で盛り上がっている。ともあれ「レザーぢゅう」のページは、誰が破ったか知らないが、保管していたのは”ともだち”の一派に相違なく、1997年は試作品で仕方が無いとしても、ともだち歴の地球防衛軍時代になっても、相変わらずまともにレーザー光線が飛ばない。科学特捜隊のレーザー銃はちゃんと機能したのに。


 「21世紀少年」の下巻でオッチョは、カンナの脳裏に浮かんだ団地のイメージが、自分の当時の住まいと同じ棟であると、妙に落ち着き払って指摘している。まるで前から覚悟していたような冷静さであるが、もともとそういう人だといえばそうなのだけれども、そのオッチョが脂汗を流して焦燥の表情を見せているのが第16集の中盤、サナエに地球防衛軍のことを教えてもらった大八車の上でだ。
 
 地球防衛軍の基地は、よく見るとクレーンが載っているから建設中だ。最初のうちオッチョは「なんだ、そりゃあ」と呆れていたのだが、段々とフロイト的に自由連想のごとく言葉を連ねていくと、宇宙人侵略、光線銃、最終戦争、地球防衛軍、子供みたいな話、子供の発想と続き、自らを追い込むが如く嫌な予感にとらわれ始めている。


 同じ学校で同じ学年、同じ団地住まいとくれば、オッチョはカツマタ君の顔を知っているはずだと書いた。でも、「子供みたいな話」は、それまでも何度もあったし、オッチョは海ほたるの壁の中でも、ともだち歴の壁の外でも、幾多の絶望を見て来た男であり、この程度のことで顔面蒼白になるものだろうか。彼はこの時点で、これを指揮している男の正体に思い当たったのではないか。

 傍証はもう一つ。下巻の冒頭で、ケロヨンやマルオはババの店先で万引き犯が捕まったときの昔話をしている。彼らはババに取り押さえられた少年がナショナルキッドのお面をつけていたので、サダキヨに違いないと思っているのだが、オッチョは異論を唱えている。お面かぶっているんだから、サダキヨと決まったわけではなかろうと。正論といえば正論だが、こんなところで真剣に議論するのはなぜか。お心当たりがあります。


 ケンヂはどうか。彼がいつ、カツマタ君が今の”ともだち”だと分かったのか。名前はともかく、ウルティモマンのバッヂ騒動の相手だと分かったのは、相手がこういう舞台装置で彼に思い出させようとしているのに気づいた時点ではないか。ニュースは見聞きしていたようだから。他に思いつかないので、そうに決まった。

 遅くとも「21世紀少年」でヴァーチャル・アトラクションに入って行ったケンヂが、イジメられているナショナルキッドに遭遇したとき、おまえ、サダキヨか、それともという尋ね方をしたときには、少年時代にナショナルキッドが二人いて、そのうちの一人が目指す相手であることに気付いているのは間違いない...。私のミステリ解読も、このあたりが限界だ。

 
 最後におまけ。今年(西暦2015年)は十年単位の区切りという意味では、太平洋戦争が終わって70年目にあたる。先日話題にした特攻隊の「The Winds of God」は舞台だけではなくて映画もあるので、先般、レンタルして観た。

 端役ながら大事な役割を担う分隊長が出てくる。どこかで見た顔だと思ったら、仁谷神父の役者さんであった。似てたねえ。映画でも将来の法王とのシーンを見せてほしかった。Love is giving...




(この稿おわり)





久しぶりにヤコブの梯子  (2015年5月21日撮影)
















 スーパーガンで立ち向かう
 われらは科学特捜隊

          曲名不詳













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