おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

もしも もしも (20世紀少年 第877回)

 
 ケンヂ少年のお詫びも終わった。謝って済むなら警察は要らねえ。そういうふうに昔の大人はよく怒っていたものだ。結局、済むんだな、これが。激怒して、でもその場限りで事を収めるというのは、狭苦しい社会においては大切な知恵であった。

 それにどっちみち警察は民事に介入しないのです。ところが、怨恨を腹に沈めたまま発酵させると、ナイフやらインターネットやら使っての犯罪行為に走って相手に復讐する羽目になり、ほんとうに警察が要る事態を自ら招く。

 怒り方にも技術や作法や覚悟が必要であり、それは日ごろから家庭や学校や職場で年上が教えることだと思うのだが、今は叱ったり怒鳴ったりしてはいけないらしい。あとあと面倒だからだな。ケンヂは万引で捕まったほうがまだましだったろう。


 1970年のバッヂ事件の日、カツマタ君は公園でフクベエや山根に対して、また、路上ではババに対しても極めて雄弁であった。そして、少し前にケンヂを翻弄したヴァーチャル・アトラクション(VA)内のノッペラボウも同様によく喋った。

 しかし、下巻の169ページ目でケンヂの謝罪を受けている彼は、黙って見下ろしているだけで何も語らない。どうしたことか。ここで留意すべきは、このケンヂ少年がちょっと前に「あれ、おじちゃんどこ行ってたの?」と無邪気に尋ねていたことだ。


 パンチアウトしたのに、なぜかVAはリセットされていない。その理由は考えて分かるものではないが、そう設定したい訳が開発者の側にあるとしか想像できない。

 だからこのカツマタ君も、お面を取れば相変わらずノッペラボウかもしれず、例の大人の”ともだち”の人格が組み込まれたものである可能性がある。そうであればこそ、後にケンヂは最後のステージに飛ばされるべく飛ばされたのだ。ようやく「ここのルールと辻褄」にケンヂが合って来たのだろう。


 本当にごめんとケンヂがあやまったあとで、場面は再び現実のケンヂとユキジの会話に戻っている。この場面での二人の影は長い。まさか夜明け前から語り続けたということはないだろうから、おそらく夕暮れ時だ。ユキジの背中越しに私の好きなクレーンが見える。東京は再開発を始めたのだ。

 ここまでのVA内の描写は、そのまま実際にケンヂがユキジに語ったものであるらしい。聞き終えた様子のユキジの顔が切なげだ。今さらあやまって済むことじゃないけどなとケンヂは背中を向けたままユキジに語る。


 「でも、あいつは一所懸命あやまった」のだ。ケンヂも少し満足している感じの口元である。顔をくしゃくしゃにして泣いている少年の頭を野球帽越しになでたシーンを思い出しているらしい。あくまでVAは「あいつ」なんだな。あとで「俺」が出てくることだし、言葉を選んでいる。

 ケンヂ少年はこの変なおじさんが、どこの誰だか分かりもしないのに、その言うことを聞いた。それまで謝りたくても謝れなかったケンヂであった。私もときどき昔のことを思い出しては、今どこで何をしているか分からない相手に胸の内で、「あのときは本当にごめん」なんて言っている。VA、貸してくれないかな。


 ケンヂは「もしも、もしもあの時、俺もああして謝っていたら...」とケンヂは言い淀む。ユキジが言葉を継いで、「もしも、もしもって言ってたらキリがないわ」と語り、ケンヂも「まあな」と同意している。このご両人の意見がかみ合うとは、滅多にない慶事である。

 もしも、ああして謝っていたら、どうなっていただろう。フクベエも山根もサダキヨも変わるまい。ただし、”ともだち”の計画は何らかの形で変更を余儀なくされただろうが...。


 チョーさんメモによれば、”ともだち”はⒶⒷⒸの三者を結んだトライアングルであった。そのうち二人がフクベエとカツマタ君であり、サダキヨが「影武者」ということか。他に考え付かないので、そうだということにしよう。

 サダキヨが”ともだち”の影武者らしいことをしたと考え得るとしたら、血の大みそかの夜にビルからフクベエと一緒に落ちた忍者ハットリ君のお面である。フクベエ自身がサダキヨ扱いしていたものだ。


 そして、ともだち博物館でも同じお面をかぶり、VAでは小学校の屋上でも同様のいでたちで、罪もないコイズミを脅かしている。博物館を燃やしたとき「僕はいい者だ」と宣言したものの、フクベエ亡き後、もう一人の”ともだち”が狂乱した。かつてのお面仲間が大量殺人を決行しようとしている。だから「一緒に死のう」と判断せざるを得なかったのだろう。

 さて、VA内での出来事をユキジに語り終えたケンヂは、さらに「だから...」と話を続けている。「もしも、もしも」のお話しに大事な続きの用件があるのだ。ケンヂにはまだやり残したことがある。




(この稿おわり)





現実の東京も再開発中 (拙宅より2014年4月28日撮影)





夕暮れ時 (2014年4月24日撮影)






 Though I know I'll never lose affection,
 for people and things that went before.
 I know I'll often stop and think about them.
 In my life, I love you more.

       ”In My Life”  written by John Lennon and Paul McCartney

















































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