おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

世界ツアー (20世紀少年 第876回)

 今朝の東京久しぶりに雨らしい雨が降っております。昔の子供にとっては、「遊べない日」であった。

 ロックに定義はないと遠藤ケンヂはいう。だが私は体調不良のため全休するようなものをロックとは呼ばない。どうぞお大事に、ポールさん。 


 ヴァーチャル・アトラクション(VA)の中、ケンヂは少年時代の自分に、「おまえにはあともうふたつ、やんなきゃいけないことがある」と厳かに伝えた。下巻も164ページ目まで来た。

 先ほどテーマパークでオッチョたち相手に、まだやんなきゃいけないことがあるんだと言い残して来たわけだが、正確にはやらせなきゃいけないことがあったのだ。まあ本人みたいなものだから同じか。


 上目づかいでおじさんを見上げるケンヂ。この顔つきは何か心当たりがありそうな表情だが何も言わない。「とぼけたってだめだ」とケンヂは厳しい。「わかってんだろ、ちゃんとしろ」と畳みかけられて少年は下を向いた。

 「一生悔やむことになるぞ」というケンヂの説得の言葉には万鈞の重みがある。本人が悔やむだけどころではない事態を招いた夏だった。「うん」とケンヂ。「よし」とケンヂ。

 
 場面が切り替わって仮設工事現場のような所に腰かけてアコースティック・ギターを抱えるケンヂと、その後ろに立つユキジの姿が描かれている。この二人が二人だけで語るシーンは少なく、特に静かに話をしていた覚えは全くないな。

 ユキジは険しい顔で「世界ツアーに出る?」と訊きなおしている。「ああ」とミッションを終えた後のケンヂは嬉しそうだ。少し前まで良いメロディは偉い人がみんな作ってしまったと嘆いていたのに、「名曲がジャンジャンできちゃってさ」と子供のようの喜んでいる。胸のつかえが取れた途端、彼の曲想は華やかに活動し始めたらしい。だれが名曲と決めたのか知らないが。


 ケンヂによればドラムがチャーリー、ベースがビリーという、別の強力バンドと偶然同じ名前のリズム・セクションが合流し、いつか分かってくれる日の到来を期してスーパー・バンドは復活したのだ。かつての日本が狭すぎたんだ。これから相手は世界である。

 ユキジは即座に「バカじゃないの」と断じた。もうみんな60歳くらいなのだ。しかも他の二人は演歌歌手と焼き鳥屋という正業があるのに、このバカと道連れである。だが三人とも解散した覚えはないのであった。ちょっと休んでいただけだ。だが、マルオはマネージャーを失業してしまうのでは? 春さんのプロダクションを任されるのかな。

 
 ユキジにとって不思議なことにケンヂは「バカバカ言うなって」とは言わず、「へへ」と笑って余裕のあるところを見せ、「あん時もおまえ、そう言ってた」と言った。描写が前後しているが、「あん時」とはVAの第四中学校の屋上から降りる階段での言い争いのことであり、ケンヂの主観的な時間では、ほんの少し前のことだろう。

 どこで?とユキジ。ケンヂはやっと振り返って「ヴァーチャル・アトラクションの中で」と得意げに返事をした。ユキジはバカらしくなったとみえて、「だいたいあそこに戻ってあなた、一体何してきたの?」と本題に戻っている。「やるべきことをやってきた」とケンヂは簡潔に報告した。

 ユキジの顔つきが引き締まる。この後の展開からして、すでにユキジは二人目の”ともだち”とケンヂの間で起きたことの経緯を聞き及んでいたらしい。その決着がついたのだ。ということは、彼が誰だったかも分かったということだろう。


 第7話のタイトル「ごめんなさい」は、冒頭で引用したように「あとふたつ」の用事そのものであった。VAのケンヂ少年は先ず「ダッ」という靴音を響かせて、ジジババの店内に足を踏み入れた。

 いつもの席にババが座って店番中である。ケンヂは「ごめんなさい、僕がやりました」と礼儀正しく帽子を取り、大声で謝罪して例のバッヂを差し出した。店主は内心「しまった」と思ったかもしれないが、ババの顔つきは変わらない。案外、いいから持ってきなと言ったかもしれないね。昔の年寄りはちゃんと謝れば優しくなったものだった。


 もうひとつの「ごめんなさい」を大人のケンヂは木陰で聞いている。「本当ごめん」とケンヂはナショナルキッドのお面相手に最敬礼のような平謝り。万引きしたのは僕ですと白状し、ぶん殴ってもいいですと覚悟の程を見せた。そのあと彼は膝を屈している。土下座したらしい。

 そしてケンヂは「学校中に僕が犯人です」と反省しているのだが、何を考えているのだろうか、ナショナルキッドは声も出さず身動きもしない。ケンヂはもう一度、「本当にごめん」と謝った。


 そうやって戻って来たケンヂ少年は、ほっとしたのか涙と鼻水を流している。カツマタ君の受け止め方については追って考えてみようと思う。未だすべてが終わっていないことだけは確かだと思う。

 ここではケンヂ少年が実際には一人では達成できなかったお詫びを、未来の自分の助けを借りて成し遂げたことだけ書き留めておこう。彼にはその素地はあったが、そのときは勇気か何かが欠けていたのだ。



(この稿おわり)




いやはや、あるところにはあるものだ 
(2014年4月13日、都内にて撮影)





 When I grow older,
 I will be there at your side
 to remind you how I still love you,
 I still love you.

             ”Love of My Life”  Queen








宮古浄土ヶ浜  (2014年5月10日撮影)






 愛しい人よ 私は歌う
 千もの言葉 祈りを込めて
 遠い昔の おとぎ話の 恋のように

         「万里の河」  チャゲ&飛鳥












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