おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

本当の幽霊 (20世紀少年 第859回)

 この春は寒暖の差が大きい。ともあれ今日は好い天気。下巻も中盤に差し掛かったので、これまで棚上げにしてきた無数の諸課題をそろそろ整理整頓しながら進めたい。とはいえ全て解決できるとは思わないが、されど後で考えると書いておきながら放置しては末代までの恥。インターネットのおかげで、本当に末代まで残りかねない。

 新旧のケンヂが「すぐ寝ろ」「ムチャ言うなよ」と揉めているところへ、「俺がやってみようか」と声がかかった。この漫画はオバケとユーレイを厳密に描き分けていないようなので私も細かいことはもう言わない。両脚の揃っている幽霊、万丈目であった。ヴァーチャルの二日酔いは治ったか。


 俺にやらせてくれ、少しはまともなことをやらせてくれと万丈目は振り向いたケンヂに頼んでいる。離れ離れになり一人になってから、あれこれ来し方行く末を考えたのであろうか。この状態では行く末の見当もつかないが、来し方なら「少しはまとも」未満の思い出がたくさんあろう。いい加減、成仏もしたくなろうな。

 「だって、おまえ幽霊...」とケンヂは妙な断り方をしようとしたが、万丈目は見向きもせずにカンナに語り掛け始めた。私の声が聞こえるか、カンナ。この二人は会っていないはずだ。開幕日には共に万博会場の観客席にいたが、挨拶を交わした形跡はない。カンナがどもだち府に乗り込んだとき、万丈目は既に高須に撃たれていた。ただし第14集のヴァーチャル・アトラクションでは理科室に集合している。


 さて、積み残しの問題に少しづつ取り組んでいきます。おそろしく散漫な内容になるがご容赦願いたい。まずはカツマタ君のクラスについて。さらに言えば登場人物たち皆のクラスについて。私自身は小学校の4年生から6年生まで3年間もクラス替えがなかった。ケンヂたちはどうか。

 6年3組のメンバーは先ず97年のクラス会の参加者であるケンヂ、マルオ、ヨシツネ、フクベエ、グッチィ、ノブオ、欠席したユキジ等。また、チョーさんが卒業写真に落合長治の名を見つけている。5年生のときは何組だったか分からない。


 とはいえ第16集に幾つか出てくるフクベエがらみの話題、第12集のヨシツネとユキジの会話のシーン(クラスの男子の様子が変わったときだ。原因はケンヂとオッチョが見たという幽霊の話題だった)、モンちゃんとサダキヨの会話や、サダキヨとコイズミの話題などから、ユキジとヨシツネ、オッチョとケンヂ、サダキヨ(1学期のみ)とモンちゃん、フクベエとグッチイとノブオが同級であることがわかる。

 これだけの数の主要登場人物が6年生になるときクラス替えをし、再び揃って同じクラスになる確率は極めて低かろう。しかも担任の先生はいずれも関口先生である。まず間違いなくこの小学校は5年生から6年生への移行時にクラス替えをしていない。ケロヨンとコンチは多分、別の組だ。山根は2組。


 上巻によれば、フクベエと山根はババに捕まった少年が5年4組であると言っていた。嘘つき男フクベエであるが、ここは嘘をついてもメリットのある場面ではない。だから彼は言われた通りで4組だろうと思うと書いた。クラス替えがなければ6年生でも4組のはずだ。

 第14集、ヴァーチャル・アトラクション(VA)の中で、ケロヨンがモンちゃんとコンチ相手に、理科室の夜のカツマタ君についての怪談を披露してビビらせているシーンがある。濡れた割烹着の下に解剖されたフナがあった件である。4組の西尾の友達がそれを持って理科室を出る際に振り向いたらカツマタ君が立っていたのであった。


 4組の西尾の友達が4組とは限らないが、まあ、ここでは同じクラスと考えておこう。ともあれ、その友達が見たのは「カツマタ君」であって、ケロヨンは「カツマタ君の幽霊」とは言っていない。それはともかく、西尾の友達が理科室に立っていたのがカツマタ君であることを認識したということは、彼がカツマタ君の顔を知っていたということだろう。同じクラスなら当然である。

 それがなぜ幽霊であると決めつけられたかは分からない。カツマタ君が夜の理科室でウロウロしていていたことは、山根が戸倉に語り戸倉がオッチョに語ったアルコール・ランプの件で推測できる。山根は自分が遊んでいたのはカツマタ君の幽霊だったと言ったらしい。山根が広めた怪談なのかもしれない。


 カツマタ君がすり替わった”ともだち”である可能性を示唆すると感じる、かすかな状況証拠がある。”ともだち”はVAで嘘をつくのが好きだった。フクベエの1970年の嘘は万博に行かなかったことを誤魔化そうとした件、1971年の嘘は夜の理科室で「復活ごっこ」に失敗したのを隠ぺいしたもの。いずれも保身のための小細工である。

 もう一人の”ともだち”は人間業とは思えないほどのスピードでVA内を移動する達人であった。フクベエ少年の脚を引っ張ったり、万丈目を強制終了させたりと意地が悪いのが特徴である。VAの首吊り坂屋敷の階段におけるフクベエとサダキヨの会話を書き換えたのも彼かもしれない。


 ドンキーが理科室に入ってから水槽のスイッチを入れたかどうか。1997年のモンちゃんは確かに入れたはずだと言っていた。次の日、魚が無事だったからだろう。あるいはドンキーに確かめたか。山根もオッチョと角田氏に対して、2015年の元日、夜の理科室でドンキーがスイッチを入れたと証言している。

 ところが、第14集のVAではスイッチはすでに入っていて、入ってきたドンキーが訝っている。なぜこんなことが起きるのか。少なくとも山根の記憶とVAのどちらか一方が事実と異なる。山根の記憶を疑う理由はどこにもないが、VAは一般論として”ともだち”の嘘が随所にある。

 そして理科室は、カツマタ君にとっては聖地のような場所であったろうし、そこで復活のマネをして、しかも失敗したフクベエがVAで嘘をつくのは許せなかったのだと思う。フクベエはキリコに捨てられ、サダキヨに逃げられ、山根に殺され、カツマタ君にも裏切られたのだ。因果応報とはこのことです。


 既にブクブクのスイッチが入っていたのは、このVAが実際に起きたこととは違うのだというカツマタ君からのサインではないか。実際、すり替わったほうの”ともだち”はフクベエの首を絞めながら「これが真実だ」と変な主張をする。彼はあらゆる人間に対して厳しく残酷である。

 バッヂ事件のせいでケンヂが憎いのであれば、ケンヂだけ「絶交」すればよいではないか。でも彼の取った行動はそうではなかった。だから、彼がひねくれ者になったのはバッヂの一件だけではない。その後も続いたイジメも一因であろう。


 ババに怒られてケンヂに黙殺されてから、すぐに不登校になったのではないと思うのだ。なぜなら、彼が「死んだ」のはフナの解剖の前日であったという。第12集では理科の授業でフナの解剖があったのは、3組の場合、6年生のときだったとヨシツネとユキジが別々の場面で語っている。

 小学校のカリキュラムやシラバスが学年またがりでクラスにより違うということはまずあるまい。カツマタ君のクラスでもフナの解剖は6年生だったはずだ。彼がおかしくなったのは、そのころと推定するのが自然だろう。カツマタ君はその当時すでに遊び相手はフクベエと山根だけであり、夜の理科室で山根と過ごすか、フクベエの家で「しんよげんの書」に続編を書き入れては嗤われるだけになっていたのだろう。


 話があちこち飛ぶが1970年8月29日の夜、ケンヂとオッチョが首吊り坂の屋敷で見た幽霊については、第16集に出てくる彼らの表現だと「本物の幽霊」というだけの証言しか残っていない。それはオッチョですら二度と肝だめしをする気を失うほどの恐ろしい体験であった。

 一目見ただけで本物の幽霊と分かるとは、どんなものなのだろう。空中に浮かんだ神田ハルらしき幽霊か。そうかもしれないが、あまり面白くない想像だし、そうならそうで神田ハルの幽霊を見たと言えばよい。他に何があり得るか。5年生だからカツマタ君はまだ幽霊になっていないはずだ。


 この物語で幽霊なりオバケなりと考えられるものは、一種類しか出てこない。ノッペラボウである。二人はノッペラボウを見たか。この屋敷の鏡に映ったり、他のいろんな場面にも出てくるのだが、ノッペラボウの顔をしているのは、将来”ともだち”になる子供と相場が決まっている。カツマタ君は2階にいたのだろうか。VAどおりノッペラボウなのか。我乍らすごい妄想になってきた。

 なお、ずっと前に第14集でコイズミが二度目のVAでお面をはがして絶叫した相手はノッペラボウかもしれないと書いたが、髪の毛があるし、隣で見ているカンナがそれほど驚いていないことからして、ノッペラボウではないだろう。カンナにとっては平凡な顔の子、コイズミにとっては驚くべき顔となると、サダキヨがコイズミにだけ見せた”ともだち”の写真、すなわちフクベエかもしれない。

 ところで、伝説上のノッペラボウは始終、顔の部品が無いのではなく(それでは余りに生活上、不便である)、顔をなでるとノッペラボウに変化するらしい。これならカツマタ君でもフクベエでもマネできるかもしれない。今日はとりとめもなく終わります。




(この稿おわり)






この冬、東京では雪が多く、初めてバルコニーで雪だるまができた。とはいえ目鼻口の材料がなかったので、ノッペラボウになってしもうた。まるで鏡モチみたいである。 
(2014年2月8日制作)






 「盗賊ではない、盗賊ではない」とおじけた男は喘ぎながら云った。「私は見たのだ……女を見たのだ、濠の縁で、その女が私に見せたのだ……ああ!何を見せたって、そりゃ云えない」

 「へえ! その見せたものはこんなものだったか?」と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った。それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。

                                   「貉」   小泉八雲

















































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