おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ナショナルキッド物語 【前半】 (20世紀少年 第826回)

 上巻第7話「かくし場所」は、本作品でも屈指の奇妙な場面から始まる。二人のナショナルキッドのご対面シーンだ。お互い「よお。」と軽く挨拶しあった二人の少年は、髪型やお面、半そでシャツと半ズボンと靴、背格好から立ち居振る舞いに至るまでマネというより同じである。

 フクベエではないほうの”ともだち”は、少年時代から世界大統領時代まで、ひたすら顔を隠し続けた。そしてデス・マスクがフクベエのそれとそっくりという不可思議なダイイング・メッセージを残して世を去った。そういう人生を送ることになった主な顛末が書かれているのが上巻の後半であり、これからそのクライマックスを迎えようとしている。


 二人の会話はそっけない。わずか3ページ。171ページからの続きの場面を加えても5ページだけ。季節はミンミンゼミの鳴く盛夏。時刻は影が短いので昼。場所はケンヂたちの遊び場の一つ、神社の石壁の前に伸びている道。

 両名は相手の反対側から歩いて来て、神社の前で鉢合わせした。「よお。」という掛け声から始まる話し振りからして、二人は対等である。子供の人間関係に対等という形容も妙なのだが、二人はフクベエや山根を相手に、ここと同じような口調や態度で話すことができない。


 150ページ上段の向かって右側から歩いてきた少年は、中段で「僕、今度、転校するんだ」と言っている。読者の持つ知識からすれば、この子は小学校5年生のサダキヨと考えるほかない。彼は5年生の1学期だけ、ケンヂやフクベエと同じクラスに在籍した旨、モンちゃんに語っている。担任は関口先生でした。

 相手は無気力・無感動で「ふーん」と言った。私たち「しらけの世代」の代表選手のような態度である。もっともわずかに好奇心を示し、「フクベエは知ってんの?」と彼らしく首をかしげて訊いている。

 サダキヨはいつまでたっても”ともだち”としか呼べなかったが(唯一の例外は、この夏の「ハットリ君」だった)、他方のナショナルキッドはフクベエに対して「君(きみ)」と呼んだり、サダキヨにも「フクベエ」と呼んだりと時々、態度が大きくなる。だが、決してフクベエから名前を呼んでもらえない。


 サダキヨは例によって歯切れが悪く「うーん、まあ」と言った。これでは「教えていない」と答えたのと同じようなものだろう。実際、フクベエは始業式の日になって初めて知った。これはサダキヨにできる精一杯の反抗だったのかもしれない。そのまま手を切ればよかったのに。

 相手は事情を察したかのように「そうか」と言って、あっさり会話を打ち切った。それにしても最初の質問が「フクベエは知ってんの?」とは、どういうことか。普通なら転校について「どこに」とか「なぜ」とか「いつごろ」と尋ねるところだ。この二人は敵同士ではなさそうだが、それほど親しい仲間でもないようだ。フクベエがどう思うか、どう言うかしか関心がないのか。


 彼もサダキヨもそのまま目指していた方向に歩き出す。ほとんど完全に無視されたに等しいサダキヨは無言である。だが、相手はすれ違いざまに「あのさ」と声をかけてきた。話題は「いいこと思いついた」であり、サダキヨに反応がないのをみて、自ら続きを述べた。「”反陽子ばくだん”ってどう思う?」。サダキヨは「どう思うって...」と当惑気味。

 ちなみに、思いついた「いいこと」とはこの前後の展開からして、「反陽子ばくだん」でもなく「リモコン」でもない。そのリモコンの隠し居場所を書いた紙をサダキヨに渡すこと自体が「いいこと」なのだ。少しページが跳んで、この直後と思われる171ページでは、サダキヨでないほうがサダキヨに、四つ折りにしたと思われる紙を差し出して「これあげる」と言った。


 「何これ」とサダキヨ。相手は「紙」とは答えなかった。かつて私の職場で、休憩室に放置されていた雑誌の裸写真が、環境型セクハラに該当すると訴え出た女性社員がおりました。彼女は「何ですかこれは」と怒った。

 私は内心「紙とインクです」と横から口を挟みたくてウズウズしていたのだが、それよりも訴えられた私の上司でもある男が実によくねえ人物だったので、しばらく事態を静観することにした。彼女は行政府に書面で本当に訴えて、取り締まりのお役人が職場に調査に来たものだ。どうやら金銭解決したらしい。


 話が逸れました。相手は「大切なもののかくし場所」とまともに答えている。サダキヨは「かくし場所?」とオームか九官鳥か蝶野刑事のように繰り返す。元来、鳥類は同じ種はもとより、他の種の動物の鳴き声までも真似るのが好きらしい。ウグイスは先輩の鳴き声をマネて、さえずり方を覚える。春先に下手な法法華経を唱えているのは新米と考えて良い。

 九官鳥などが人の言葉を真似るのが上手いのは、たまたま人類の声をマネやすい能力というか特徴を持っているかららしい。アイドル時代のビートルズは、どこへ行っても質問攻めに遭った。

 Q1「これまで訊かれなかった質問はありますか?」。リンゴ・スター「ない。残念ながら、それも初めてではない」。Q2「今一番欲しいものは?」。リンゴ・スター「そういうくだらない質問に、代わりに答えてくれるオームが欲しい」。


 また話が逸れました。サダキヨの質問に答えて、相手は「”反陽子ばくだん”のリモコン」と答えている。バクダンとくれば「起爆装置」だと思うが、子供にとっては離れたものを動かせるなら「リモコン」か...。リモコン、ラジコンは貧しい家の子供にとって、あこがれの的であった。うちでは一度も買ってもらえなかったな。

 それにしても、この少年と同一人物と思われる少年が「しんよげんの書」に書き入れた最終の予言は、「反陽子ばくだんでせかいはほろびるだろう」であり、置いてけぼりを喰った公園でも同じ趣旨のことを胸にバッヂを付けた少年が独り言で語っている。そんな重要な物件の起動装置の在りかをなぜサダキヨに教えるのだ? 昔は転校する子に、記念のメモだの石ころだのを渡していたものだが、その手の贈り物であるか。


 手渡したほうのナショナルキッドは踵を返して走り去り、サダキヨは紙切れを開けてはみたが、しばし去りゆく少年の後ろ姿を見送っている。これには後日談があるのだが、それはそのときにまた取り上げるとして、ここで考えておきたいことがいくつかある。

 まずは先ほどの疑問。なぜサダキヨに、なぜ隠し場所を教えたのだろうか。少年は予知夢をみる超能力がある。反陽子ばくだんの予言は、大人の自分が夢の中でもらたした貴重な未来の出来事の話だったはず。


 彼はフクベエや山根にも伏せたのに、サダキヨには機密を漏らした。これがはるか後になって彼の計画を頓挫させ、「せかいはほろびる」という予言は実現せずに終わった模様である。

 隠し場所を教えたのは、実は世界を滅ぼしたくないからか? それが意図的に行われたのだとすれば、サダキヨは選ばれし救世主である。あるいは、そんな立派な動機ではなくて、ただ単に運命がどう転がるか楽しもうという魂胆か。


 たぶん、前者のような深刻なものではあるまい。前に書いたように、この時点ではまだ少年Bはバッヂ冤罪事件に巻き込まれていない。ケンヂたちの「よげんの書」と同様、あるいは少年Aと化す前のフクベエと同じく、これは単なる子供の遊びだろう。それはそれでそうとして、渡す相手にサダキヨを選んだのはなぜか。

「二人目が知ったら秘密は秘密でなくなる」というのがヨーロッパかどこかの格言にあるが、この少年の場合、この時点では国家レベルの特定秘密を保持している訳でもなく、一人で秘め事を抱えていても面白くもなんともないから誰かに打ち明けたくなる気持ちは分からんでもない。


 ではサダキヨが選ばれた理由は何だ。同じ顔(お面)の誼ですか。そういえばサダキヨもおそらく彼にだけ転校の話をしたようだし。この二人は孤独にさいなまれている。

 サダキヨは何とかそれを克服しようとあがき続けた。もう片方は世の中と自分のいずれかが不必要だと悩んだ。その結論を一撃でひっくり返したのが昼休みのロックだったのか...。長くなったので次回に続きます。




(この稿おわり)






【上】 天然の椿の木。高さ3メートルぐらいある。 
【下】 天然の椿の花。木偏に春と書く冬の花
(2013年12月、いわき市にて撮影)









 人の言葉を しゃべれる鳥が
 昔のひとの 名前を呼んだ
 にくらしいわね

          「メランコリー」  梓みちよ














































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