おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

1970年って言ったら (20世紀少年 第824回)

 1970年と言えば既にケンヂのセリフに出てきたように、ジミ・ヘンドリクスジャニス・ジョプリンが早逝し、ビートルズが解散した年。うちの実家が引っ越した年。よど号アポロ13号と、空飛ぶ乗り物は不調であった。

 この漫画では何と言っても大阪万博の年として描かれている。少年たちはそれぞれの親の懐具合と運不運により、さまざまな体験をした。そのほとんどは遠い昔の思い出話になったのに、いつまでたっても引きずった男がいたし、それを悪用した男がこれから出てくる。


 悪酔いで苦しむヴァーチャル幽霊の万丈目は、嘔吐しながらケンヂに向かって「思い出したよ」と言った。先ほどケンヂが口にした「マネのマネ」という言葉が、ずっと昔に自分と「ガキ」の間で交わされたというのだ。正確には万丈目は「コピーのコピー」が世界をつかむと言っており、少年のほうは「マネのマネ」と表現している。

 ちなみにアメリカ人には固有名詞を動詞にしてしまう性癖があり、私が駐在していた当時の例でいうと、コピーは過去形でいうと「ゼロックスト」、フェデラル・エクスプレスで書類を送ったということを「フェデックスト」と言っていた。今ではフェイスブックが動詞になっている。お暇なら「facebooked」で検索してみてください。


 面丈目の記憶によると「そのガキ」は妙に熱心に彼の話を聴いていたそうで、「マネのマネなら、ケンヂのまねのフクベエのまね」と訳の分からないことをいった。”ともだち”とはマネッコの権化であるが、万丈目のマーケティング論もコピーされたのだ。ついでに昔話をすれば、防毒マスクのセールスマンも万丈目の行商姿がモデルでした。

 ただし、相手のナショナルキッドは若干のオリジナリティを差し挟んで自己主張するのが好きらしく、「あいつらは”細菌兵器”って言ってんだけど、僕はちょっと違うな」と威張る。「僕だったら、”反陽子ばくだん”しかけるね」と少年は言った。でも反陽子爆弾も、たぶんW3のマネであろう。

 ちなみに、防衛庁自衛隊の見解によると(少し古いですが)、生物兵器は「弱者の兵器」だそうだ。弱者が使うという意味であって、生物兵器そのものは対策が難しなどと書いてある。
http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/meeting/seibutu/gijiroku/01.html


 反陽子ばくだんを仕掛けるところはもう決まっていて、「ばんぱくばんざい ばんぱくばんさい」なのだそうだ。当時の万丈目にとって、これだけでは意味不明だったろうが、その後、しんよげんの書を読んでいるなら、このセリフの背景に描かれた絵は、文字に負けず劣らず稚拙だが対象物は一目瞭然である。ケンヂは万丈目の問わず語りに出てきた反陽子爆弾という言葉に激しく反応した。丸々一晩、万丈目のヤケ酒に付き合った甲斐があったのだ。

 ケンヂ: どこに仕掛けるって言ったんだ?
 万丈目: 1970年って言ったら決まりだ。
 ケンヂ: 1970年って言ったら...
 万丈目: 万博の...
 ガキ:  あそこしかないね。

 
 この「あそこ」については、ずいぶん前に一度、話題にしました。大阪万博の中心的な存在である会場中央の「テーマ館」は、ハードウェアたる建築の責任者が当時東大教授だった丹下健三で、ソフトウェア担当というべき展示プロデューサーが岡本太郎。丹下は岡本の不穏な動きを察知し、弟子たちに「岡本のことだから、何かしでかすに違いない」と警告していたらしい。

 案の上、太郎さんは「太陽の塔」の構想をぶつけてきた。美術評論家たちは「グロテスク」「幼稚」と酷評したが、最初は難色を示した丹下先生もさすがは大御所、懐の深いところを見せて設計変更を受け入れた。岡本太郎は「進歩と調和」に反抗して「退行と逸脱」を唱えていたのである。その象徴が「太陽の塔」だったのだ。しんよげんの書の「じんるいのしんぽとちょうわ」は、塔の本質を見誤っている。しかし、ニセモノの塔は結果的に退行と逸脱のシンボルになってしまったのだ。


 万博の構想に関わった小松左京は、1970年に新発売された電卓を盛んに使っていたらしい。彼は「未来都市」を小説にも書き、それをNHKが「空中都市008」という人間劇に仕立て上げて放映している。各館では展示物のみならず映像にも凝り、ケンヂの回想にも出てきた住友童話館では市川崑が、三菱未来館では円谷英二が制作に当たっている。円谷さんは万博開幕前にこの世を去った。

 開会中の落し物のうち、お金は4892万4577円で、大卒初任給が3万5千円の時代だから今では億単位の貨幣価値がある。炎天下の行列時間は平均4時間半になり、倒れる人が続出して救急車の出動回数は1万1069件。ヨシツネ少年もこれに含まれているものと思われる。明治の従業員はブルガリア館で本場のヨーグルトを食った。商品化に至るまで何度も欧州に足を運んだと同社のサイトにある。

 第21集によれば、子供の頃のケンヂは太陽の塔の内部に、核ミサイルか何かが隠してあるのではないかと空想していたらしい。当時の本物は展示空間だったのだが、ともだち歴のニセモノには、もっと不気味なものが仕込まれていたのであった。



(この稿おわり)




  


上:勿来のカエデ  下:白河の寄生樹  (2012年12月撮影)









夕暮れの駿河湾上空  (2013年12月27日撮影)




























































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