おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

まぬけヅラの行く末 (20世紀少年 第811回)

 第5話「未来のおばけ」には、道端で小物を売っている若き日の万丈目が出てくる。蝶ネクタイに釣りズボンというバタ臭いかっこうで文房具などを並べている。この日の目玉商品はNASAが開発したボールペンである。「アポロが月面着陸した時、使ったものだ」「宇宙が証明したこの書き味」というのが売り口上なのだが、記憶の限りではアームストロングやオルドリンが月面でものを書いていた覚えはない。

 「大気圏突入でも壊れない」というのは、「象が踏んでも壊れない」という鉛筆箱のキャッチ・コピーをマネたものだ。宇宙船内のペンといえば、「2001年宇宙の旅」に出てきた空飛ぶ万年筆が印象的であった。BGMはオーストリア帝国の第二の国歌、ヨハン・シュトラウス作曲「美しき青きドナウ」。ワルツは最初のうち際物あつかいされたらしい。柳ジョージテネシー・ワルツを四拍子に編曲して力強く歌った。

 
 万丈目氏はスケッチ・ブックに「NASA アポロ」と大書してアピールしているが、いまなら二本買うと一本おまけだなどと自ら安物であることを暴露している。こんな調子だから「早い者勝ち」と声をかけたときには、マーケティング・ターゲットの子供らは夕暮れの空の下、背中のランドセルを揺らしながら遠ざかっていく。テキ屋の実力は売り文句にあるだろうから、この有り様では寅さんの足元にも及ばない。

 万丈目は「しけたガキ共だぜ」と捨て台詞を吐いて、売り物のボールペンで膝をピシッと叩いたのだが、彼の脚は大気圏よりも強靭らしく、ペンは「壊れちゃった」のであった。そこに「おい」と呼び声が降ってきて、思わず「はい、らっしゃい」と威勢のよい声を出したものの、相手は大人で逆光の中、黙り込んでいる。客じゃねえならとっとと消えなと言ったはいいが、相手は彼の胸倉をつかみ、帽子が吹っ飛ぶほどの強烈なパンチを見舞っている。殴られて「あが」とヴァーチャル万丈目は言った。なお、後で分かるが殴ったのは本人である。


 場面はケンヂが座り込んでいるアトラクション用のステージに切り替わる。突入時に多少の衝撃があるかもしれませんが、ご心配なくと誰かが無責任なことを言っている。確かコイズミやヨシツネは平気だったが、カンナは畳に頭をぶつけている。運不運があるらしい。あるいは遠藤の血筋だけ相性が悪いのだろうか。夜の神社に突入したケンヂは、立ち上がった途端に誰かにいきなり殴られた。その直前にケンヂの黒メガネの両レンズにゲンコツが映っているのが楽しい。

 殴られたほうは楽しくない。こちらも先ほどのと同じく見事な右フックで、ケンヂは一発でカエルのようにあおむけにひっくり返り、帽子とサングラスが吹っ飛んでいる。ケンヂは一瞬、突入時の衝撃かと疑ったが、いまのは確かに殴られたのだと思いなおしている。それにしても、もう正体を隠す必要はないのに、なぜグラサンを止めないのだろう。さらに不思議なのは、なぜ年寄り万丈目はケンヂを殴り倒したのだろうか。


 もちろん、ずっと敵同士であったが、なぜまた今ここで? 最初の暴行事件の怒りがまだ静かっていなかったので、その勢いでというだけではケンヂも気の毒である。現実の世でケンヂは生前の万丈目に一回しか会っていないはずである(子供の頃この路上で万丈目商人と会ったかもしれないが記録がない)。その一回とは1997年の成田空港であり、ケンヂは白馬がなかったのでタクシーでユキジを救いに来て万丈目に声を掛けらえている。

 もっとも、その時の会話の内容と直後に起きた一連の出来事、すなわち羽田空港の爆破、カンナの誘拐未遂、コンビニの焼き討ちと並べてみると、むしろ殴る権利はケンヂのほうにあるのではないか。ケンヂは知らないかもしれないがキリコをだます算段を練ったのも、地下に潜伏した彼を襲わせたのも万丈目である。散々「テロリスト」ケンヂを利用し儲けておいて、お礼とお詫びの一つもないのか。唯一の答えらしき情報は122頁に出てくる。万丈目はケンヂに「私を殺しに来たんだろう」と言っている。

 
 では先制攻撃だったのだろうか。それなら、なぜ止めを刺さなかったのかというと、おそらく子供の声が聞こえたため慌てて隠れたのだろう。ケンヂが打たれた左の頬をさすりながら独り言をしていたとき、「ちぇっ、意気地ねえんだから。」という声が聞こえてきた。この場面はすでに第22集にも出てきている。この言葉は宇宙特捜隊のバッヂをつけて威張っていたマルオが怖気づいたのを見て、羨ましさも手伝ってかケンヂが言い放ったものだ。

 第22集では神社にオバケなんかいるはずがないと彼にしては筋の通った論理を示し(夜は墓場の運動会で出払っているし)、「俺一人で行ってやる」と威勢よく階段を駆け上がった。大人のケンヂはまだ声の主が分からず、「ガキの声?」とつぶやきながら帽子と眼鏡を直す。神社の石壁の脇に出てきた少年の姿をみて、ケンヂは「え、まさか」とさすがに少し驚いている。少年のほうは予言がはずれたのか、オバケらしき姿をみて「ひゃああ」と仰天した。


 これだけで未来のおばけは「やっぱりな」とため息をついている。なぜすぐわかったのか。この野球帽とランニング・シャツか、それとも顔つきか。少年はオバケじゃないよねと腰を抜かしたまま訊いているが、大人の自分は「当たり前だ。この足をみろ。」と靴をブラブラさせている。オバケはQ太郎にしても目玉おやじでさえ脚があり、脚がないのは幽霊なのだが、その根拠(?)と言われている円山応挙の絵も、夜目に下半身が見えていないだけで脚がない証拠にはならないように思う。

 ともあれ、これでケンヂ少年も少し落ち着いたようで脂汗を浮かべつつも、「おじさん、ここで何やってんの」とようやくまともな質問をした。しかし相手は正直だが偏屈な人なので、「決着つけに来たんだ」と短すぎる答えで応じただけ。少年が「決着?」と訝っているのを軽く無視して、「それにしても、お前が俺か」としみじみ語るケンヂであった。彼もオッチョ同様、子供と話をするときの作法をわきまえていて、子供を見下ろさないように腰をかがめている。


 もっとも、「お前が俺か」という意味不明の発言を受けて「はひ?」と答えている「お前」兼「俺」に向かって、ケンヂは「まぬけヅラだなあ」と率直だが残酷な感想を述べている。長年、ユキジほか大勢にバカあつかいされてきたので、自分相手に憂さ晴らしをしたのだろうか。いきなり昔の自分のバーチャルを殴る万丈目よりは優雅かもしれないが...。それにしても出かける前にユキジに対し、子供の頃の自分に言いたいことがけっこうあると言っていたが、その第一がこれか。

 こんな時間に何やっているだと、さすがは本人同士、今度は大人が子供に同じ質問をした。「ここにオバケが出るっていうからさ」というのが少年の解説であった。本物の幽霊を見て以来、オッチョは肝試しを封印したが、相棒はてんで懲りていないらしい。殴られた頬っぺたをおさえながら「オバケか」と相手が考え込んだのを見て、少年は目玉を飛び出させながら「やっぱオバケいるの?」と驚愕している。

 大人の方は「ん、んー」と誤魔化した。居ると言えば居るか。そして、「そんなことよりお前に訊きたいことがある」と、やっとで本題を切り出した。「え?」と少年は不審げである。さっきから変なことばかり言うおじさんだから警戒したのだろう。しかし、幸い相手の質問は簡単であった。「”反陽子ばくだん”て知ってるか?」と尋ねられたケンヂ少年が、あっさり「うん」と即答しながら、こくりと首を縦に振っている様子が可愛い。これには訊いた方が驚いた。自分が知っていたのだ。




(この稿おわり)






こんな神社がありました。しばらく待っていたけれど、子供たちが駆けてくる姿は見えなかった。
(2013年7月8日、隠岐の島にて撮影)







 You made a first class fool out of me
 Now I'm as blind as a fool can be
 You stole my heart but I love you anyway

            The Faces  ”Maggie May”

 お前のせいで俺はファースト・クラスのバカになった...




















































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