おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

謹賀新年  (今年も20世紀少年を読む)

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお付き合いの程お願い申し上げます。2014年になりました。新宿にお立ち寄りの際は、くれぐれも教会にお近づきにならないようご用心ください。

 さて。暮れ正月はできるだけ実家で暮らすようにしている。家族親戚が集まるし、ときどき同窓会にも出る。実家の家屋はもう築40年を過ぎているのに、骨組みは土建屋さんも驚くほどに頑丈だ。ただし屋根だけは長年の風雨にさらされて、ときに雨漏りの修理が必要になる。


 市内で引っ越して1970年にこの家に転居したころ、裏の小川はまだ土手でフナがいっぱい泳いでいた。夏になるとウシガエルが鳴く。蛍が放つ、か細い光は、どうしてあんなに長く余韻を残すだろう。今はもういない。

 川はコンクリで固められて水路になった。一時期は生き物の姿もすっかり消えた。しかしながら、最近は水質が改善されたのか、アメンボが泳ぐようになった。青い藻も繁殖している。これはラン藻という非常に原始的な生物だ。生態系が一からやり直すつもりなら応援しようではないか。


 高度経済成長の時期について正確な定義は知らないが、大づかみで言えば1950年代後半の朝鮮戦争特需のことから、1970年代前半のオイル・ショックのころまでということで良いだろう。この間に生まれ育った子供は、私と同じように自分の生活がどんどん便利で清潔なものに変わっていくのを実感したと思う。

 その代償として周囲の自然や古くからの慣習が消えていった。ふるさとは遠きにありて思ふものと室生犀星は詠う。遠くにあっても帰ることができるなら、帰れなくても存在しているのなら、どんなに良いだろう。


 私の場合は生まれ育った故郷はもうない。町の区画や周囲の山々の形はほとんど変わっていないが、青少年時代の故郷の風韻は遠い過去のものになった。うちの庭に棲んでいた青大将も、近くの草地に潜んでいた蝮も姿を消した。少し離れた大通りに大型店舗が林立し、近所の商店街は消滅してしまった。最後まで残っていた自転車屋さんも去年、店をたたんだ。

 人類は進歩したのかな。進歩したとしても、このありさまで調和と言えるのか。セピア色のノスタルジーにひたれる人は幸いなり。私は切ない気分になるので、消えていった沼や原っぱや肥溜めのことなどは、日ごろ意識して思い出さないようにしている。


 どうやら新年早々、少し屈折しております。実は帰省するたびに親と家が老いつつあるのを実感するため、過去がどうのというより、そろそろごく近い未来のことを考える頃合いになってきたなと感じつつ気持ちが落ち着かなくなるのです。

 それでも暮れだ正月だと暦にかこつけて、故郷で酒飲んでいられるのだから、私は幸運なほうだ。さあ、わが20世紀少年たちは、21世紀になっても大人になれなかった自称「20世紀少年」の危険な遊びの遺産に止めを刺すべく、最後の戦いに挑もうとしている。あともう少しのお付き合いです。


 やはり最後は気持ち良く終わりたいものです。写真は墓参りの途上で撮ったもの。うちのお寺は旧東海道が安倍川と交差するあたりにある。

 昔の人は西の京都の方から江戸に向かうとき、ここで富士の高嶺を仰ぎ見て旅の疲れを癒したことだろうと思うのです。






風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬ我が思ひかな  西行



富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も
雪に変わりはないじゃなし 解けて流れりゃみな同じ  「お座敷小唄」




(この稿おわり)





 このごろ僕は昔に比べると
 きっと大人になりました
 嘘をつくことも最近、増えました
 僕は今、思います

 恋をしたのも夢をもったのも
 歌をくれたのも、僕の故郷
 何気なく見ていたあの星空は
 今夜もここには届かない


              「故郷」  はなわ
 








































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