おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

しきしま (20世紀少年 第761回)

 早いもので7月に入りました。今日も天気が好くない。第22集は第8話の「続伝説の刑事」に入る。ユキジが24時間後の蜂起を宣言した直後、ロボットが勝手に動き出した。先手を取られたのである。最初にロボットを追いかけたのは生みの親、敷島教授であった。教授はロボットを「私の傑作」、「我が子よ、私の息子よ。」と呼んでいる。性別がありましたか。

 ヤン坊マー坊が訪問したとき、敷島教授は「私を殺してくれ」と依頼している。かつて確か私は、殺人ロボットを造った自責の念によると書いた覚えがあるが、もう一度読んでみたら違うようだ。「ロボットなんて名ばかりのあんなまがい物を作って、生き恥をさらしているだけだ」と語っている。これが死にたい理由だったのだ。


 今回はその汚名を挽回したはずだったのに、ロボットは背を向けて立ち去ろうとしている。しかもあろうことか鉄骨の巨大な足場がロボットに倒されて教授はその下敷きになってしまう。オッチョが怒りの目をロボットに向ける。ところで彼は「乗り心地の悪さに慣れた」と言う以上は、ただ単に静止しているロボットに乗っていただけではなく、歩き回ったはずである。いつどこでやったんだろう。

 神様は「見ろ。俺の夢なんかあてにならねえ。」という。彼の夢によればロボットは味方のはずだったらしい。俺の夢はやはり予知ではなく、はかない希望だったにすぎないと繰り返し述べた。「それに賭ける」とオッチョは宣言する。神様のはかない希望に賭けると言い残してオッチョはロボットを追いかけた。


 少し前に神様は、子供の遊びなんて大人が叱ってもやめやしねえと言っていたのだが、その神様に「やめろ、オッチョ」と叱られたオッチョも止めやしなくてダッシュした。そのままロボットに追いついて引っかかっているロープに縋り付き、「あいつはこれに耐えた。ケンヂはこいつを乗りこなした」とオッチョは言う。

 正しくは「こいつ」ではなくて別の奴だが、まあいい。どっちが大変か。あのときのケンヂのほうが今のオッチョよりずっと若い。でもケンヂはダイナマイトを背負っていたのだ。オッチョが乗り込もうとしているロボットは本物の二足歩行だから、キャタピラで水平移動するだけの先代より居住性は悪かろう。でも血の大みそか、ロボットはウィルスをまき散らしていたのだ。この勝負、引き分けだな。


 オッチョはリモコンでも動くことを当初から知っていたはずである。円盤を撃ち落とすための砲も、リモコンで動くように設計されているはずだ。ヤン坊マー坊の注文の目的が円盤退治だったのだから。だが、オッチョは乗り込んで操作することにこだわった。ケンヂがそうしたからである。

 薄れゆく意識の中で、敷島教授はロボットの後ろ姿を見た。「なんて美しい二足歩行だ」と言った後で彼は目を閉じた。周囲が声をかけても返事がない。思えば敷島教授は愛弟子の金田青年を殺され、娘は騙されて入信し親を捨て、ロボットまがいを作らされる等々、”ともだち”に振り回された後半生であった。オッチョが敵を討つであろう。


 敷島教授と金田青年のコンビは、第22集の表紙絵にもボンカレーとともに描かれている鉄人28号へのオマージュである。実家に数百枚残っている私がかき集めたメンコには、鉄人28号もたくさんあるが、それよりさらに金田正太郎が多い。マモルは笛を吹いてマグマ大使一家を呼び出すだけだったが、正太郎は鉄人を操作するのだから格上である。

 ロボットが怒らせたのはオッチョだけではない。「二十四時間後の革命開始予定は?」と若者に訊かれたユキジは、「もう始まってるわ」と応えた。ヨシツネが彼女の横顔を見上げている。えらい女に惚れたもんだ。「全員出動。今すぐに。」とユキジは言った。


 敷島という言葉は古くからあり、日本国の別名である。近代国家になってから海軍は軍艦の名に我が国の地名などを付けた。敷島という戦艦もあって日露戦争のときは、第一艦隊第一戦隊の前から二隻目という恐ろしい位置に配備された。目の前の一隻目は連合艦隊の司令長官が乗る旗艦の三笠なのだ。

 東郷が敵前回頭の作戦を採り、敵の砲弾は当然、先頭を進む三笠に集中したと「坂の上の雲」にあるが、二隻目の敷島も大変だったろうと思う。バルチック艦隊も最初に沈んだのは二隻目の戦艦だった。ともあれ敷島は無事生還した。しかし三笠は悲惨な事故に遭う。帰投した佐世保で弾薬庫が爆発して沈没、この事故の死者は日本海海戦の約三倍。


 このため、直後に予定されていた明治天皇ご臨席の凱旋式典に世界の三笠は出動できず、代りに敷島が旗艦となった。太平洋戦争後に敷島は長らくのお勤めから解かれて解体された。しかし、その名は今も別の船が引き継いでいる。

 海上保安庁の巡視船「しきしま」、今は尖閣諸島周辺海域で乱暴者から日本を守っている。そこはおそらく東電の原発事故現場と並び、今の日本で最も危険な職場であるに違いない。無事を祈る。



(この稿おわり)



天気が好くない日のスカイツリーはこういうふうに見えます。
(2013年6月13日撮影)
































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