おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

乗る資格 (20世紀少年 第681回)

 ロボットの設計図を前にして、さすがのヤン坊マー坊もしばし絶句したのち、片方が「すごいな、完璧な設計図だ」と感嘆し、もう一方がリモコン操縦も乗り込んでの操縦もできるんですねと確認している。教授は1997年のロボット会議とその後の経緯を思い出したのだろう。リモコンなら教え子の金田が天才的な操縦者だったが、おそらく”ともだち”の命令を断って殺されたという。

 これは第1集に出てくる全身から血が抜けて死んだ金田正太郎さんであることは間違いなかろう。これまたヤマさんのヤマになって、もみ消されたようだ。教え子は死んだのに、自分は生き恥をさらしている。それだけでも辛いうえに、リモコン操縦は金田氏のような達人がいなければ作っても無駄だと教授は考えている。


 このことは記憶しておくに値する。のちに別の天才的な操縦者が出てきて、本当にこのロボットをリモート・コントロールすることになる。まさか金田さんは死んだふりをしていて、実は生きていたということではあるまい。ということは、血の大みそかに巨大ロボットの操縦席は、「ケンヂ」と書かれた変なマネキン人形しかいなかったのだから、フクベエと一緒に落ちた誰かのほかに、あのロボットをリモコンで操縦していた者がいたということだ。

 それだけの技術を実際に見せた人間は一人しかいない。カンナの眠る常盤荘の近くまで新ロボットを歩行させた男は、かつてヴァーチャル・アトラクションの中でも縦横無尽に動いて、その技術者の腕を披露した男だ。私の印象に過ぎないが、フクベエや万丈目は文系の感じがするし、山根とキリコは微生物一辺倒で、この男だけがテクノロジーに詳しい様子。記憶の読み取り装置のことも熟知しているようだった。


 ヤン坊マー坊からは、かつてのロボット会議と同様、運転席に乗り込んで操縦したら?という質問が出た。教授の返事も同様で、乗っていられるもんじゃない、激しい上下運動で反吐を吐く程度では済まん...と言い差したとき、教授の脳裏に2000年の血の大みそか、ほんの数歩だが乗りこなした奴がいた記憶が蘇ってきた。

 ロボットの足元を固定する金属装置の「ズーン、ズーン」という音。窒素ガスの風船でできた頭部と、その顎のあたりにくくり付けられた小さな操縦席。目の前に立ちはだかるニセモノの太陽の塔。ちょっと行ってくらあと乗り込んでいった遠藤ケンヂ、41歳の冬。


 ページをめくると場面は変わって、ともだち歴3年のある日の夕暮れ時。マー坊に連れられて、オッチョとユキジも敷島教授の町工場に到着した。「何てものをお前たちは…」とオッチョ、どうだ気に入ったかとマー坊は自慢そうに行った後、血の大みそかの敵討ちだ、お前、乗るだろうとオッチョをけしかけている。一歩前に踏み出して、それを見上げながら「いや」とオッチョは言った。

 夕日を浴びて巨大ロボットの新製品が、二本の高射砲を空に向けて立っている。「これに乗る資格があるのは、あいつしかいない」とオッチョは言った。まさか後日、無免許運転で自分も乗ることになるとは思いもしまい。その「あいつしかいない」の「あいつ」が次のページに描かれている。氏木氏ほか多数を引き連れて、「ぐーたららすーだらら」の歌声に包まれながら、ケンヂは徒歩で東京に向かっている。バイクはどうしかのか? まあいいや。


 余談で終わります。映画で珍宝楼の珍さんを巧みに演じていた「しらけ鳥音頭」の小松政夫は、ちょうど「スーダラ節」などが大ヒットしていたころの植木等の付き人になった。植木は過労で倒れて入院先の病院から映画の撮影に向かい、小松の睡眠時間は週に十時間くらいしかなかったというからすさまじい。

 植木は撮影が終了するたびに、お偉いさんは呼ばず裏方さんだけ集めて打ち上げをするのが好きだったらしい。植木は酒が一滴も飲めない。今日は車の運転は俺がやるからと小松にも飲ませる。満場大いに盛り上がり、最後は「スーダラ節」の大合唱。昭和四十年前後のことというから私が幼稚園児のころだ。ちょいと一杯のつもりで飲んでの歌い手が下戸とはね。



(この稿おわり)





葉桜もまた良し (2013年3月28日撮影)








































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