おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

お面大王 (20世紀少年 第756回)

 銃撃を受けたが水に飛び込んで、命だけは助かったマルオとケロヨン親子であった。息子の修一君は父親の軽はずみな行為がきっかけとなって、ワクチンを車に置いてきてしまったと嘆いている。親父のほうは最初のうち日本語が分からねえのか、あいつらはなどと悪態をついていたのだが、責任は感じているらしくて俺が取って来ると行ってマルオと押し問答になった。

 水路は意外と浅いようで膝下10センチぐらいか。取りあえず橋の下に身をひそめて、話を交わしている3人であった。幼かったころ、お前は橋の下で拾ってきたのだと家族に言われ、身に覚えもなく変な気分であったが、友人らに聞くとみんな同じように言われていたらしい。ちなみに、拙宅では小さなころの長男に、お前は近くのコンビニで103円で買ってきたと伝えてある。当時の消費税率が分かる。


 親父ら二人が行くの行かないのと揉めている最中に、修一君は不気味なものを見て「な、なんだ、こいつら」と言った。20世紀少年にはスプーン曲げを除けば超常的な絵はほとんど全くないのだが、ここは例外的。ナショナル・キッドのお面をつけた子が20人か30人か、とにかく大勢の幼稚園児くらいの子供たちが現れたのだ。

 しかも、みんな同じ服装をしている。みんな男の子にみえる。クローン・キッズとでも呼ぶべきか。さらに彼らは馴れ馴れしくもケロヨンたち3人に手を伸ばして袖を引っ張り、どこか建物の地下のような場所まで連れて行ってから、何やらコソコソ相談を始めたのであった。タトゥイーン星人ジャワみたいと言っても、もう誰もついてこない話題なんだろうな。

 
 しかるべき結論がすぐには出なかったようで、中の一人が「おじさん達って友達?」と訊いてきた。おじさん達を代表してケロヨンが、「まあ一応、俺達は”ダチ”だが、あの”ともだち”と一緒にすんな」と応えている。ダチか...。今も使われているのだろうか。友達という言葉を使うのが何となく恥ずかしく感じる年頃になると、われら若年男子は「ダチ」と言った。

 「だち」は広辞苑にも載っている由緒ある言葉だが、これさえ恥ずかしくなってきて「ダチ公」になった。この「公」は英語でいうパブリックのことではなく、水戸のご老公のような称号でもなく、忠犬ハチ公の「公」である。貴様も御前も同じだろうが、どうやら日本では敬称が経年劣化するらしい。

 司馬遼太郎は民主主義のことを、「将軍様も熊公も平等な世の中」と呼んでいた記憶がある。熊公が効いているやね。なお、私の大学は関西で地元出身の学生らは「ツレ」とも呼んでいたが、これは彼女も含む概念なので少し範囲が広い。ともあれ、かくのごとく”ともだち”という言葉はいい年こいた大人が呼んだり呼ばれたりするものではない。


 第22集の第6話「お面大王」に入る。3人が連行されたのは、どうやらデパートの地下らしい。「スーパーバーゲン」という横断幕があるが、店のシャッターはみな降りている。床にはオモチャが散乱していて、子供たちはこれで遊んで育ったらしい。水分や食糧もデパ地下で調達してきたのであろう。

 地下の一室にお面大王がいた。一種のシェルターであろうか。毛布と布団を敷いて胡坐をかいて座っており、まるで牢名主のようだ。この大人の男と思われる人物はナショナル・キッドのお面をかぶっている。少年たちと同様、そして昔サダキヨたちが使っていたのと同様、独特の白いお面。彼はちょっと下を向いていて何だか元気がないように見える。これで大王か。子供より体が大きいからだけか。

 
 誰だお前はというケロヨンの質問に答えることなく、お面大王は「東京に入りたいの?」と逆に訊いてきた。何やら心に思うことがあるらしい。今度はマルオが質問を無視して、お前は誰でここで何をしているのだと尋ねた。大王は2番目の質問にだけ反応し、この子たちはウィルスで親を亡くした孤児で、彼が育ててきたのだという。

 それで大王なのだ。ヨシツネ隊長と同じ立派な仕事をしてきたのであった。さらに、修一君は車に残して来たはずのワクチン入りのクーラー・ボックスが傍らに山積みにされているのに気付いた。おそらく大王が運んできたのだろう。これでお互い敵ではなさそうだということが分かってきた。彼は誰のために運んだのか? 

 マルオには分かっている。彼が最初にとった行動は、本来の東京訪問目的にも沿ったもので、子供たちにワクチンを注射することだった。みんな嫌がっているが、結局、射たれてしまい「うう〜」と痛がっている。一通り子供らの予防接種が終わったところで、「さてと」とマルオはお面大王に向かい、「あんたもうっとけ」と声をかけた。


 ところがなぜか大王はこれを無視し(質問に答えないのが、ここの流儀か)、特等席から立ち上がって「ちょっと、ついてきて」と言った。オッチョもカンナも仲畑先生もそうだったが、彼もワクチンはいらないという考えの持ち主なのだろうか。それとも痛いのが嫌なのであろうか。

 大王は子供たちを安全な場所に残したまま、3人にワクチンを担がせて屋外に出た(大王だから自分は重いものは持たない)。外はもう夕暮れどきで、男たちの影が長い。うとましい壁が立ちはだかっている。お面大王は左手を空に伸ばして何かを指さした。しかし動作は”ともだち”と似ていても、変な予言はせず黙っている。みれば金属の壁に鉄釘のようなものが打ち付けてあった。



(この稿おわり)





平成時代のお面屋さん (2013年6月2日、上野公園にて撮影)










 遥かなる上空で人工衛星が僕を見つけ笑った。笑った。
 永遠に僕と居て。核シェルターでパンと水と愛をあげるよ。あげるよ。

           Plastic Tree  「ナショナルキッド




































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