おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

点目 (20世紀少年 第732回)

 第21集の199ページ目、どうやって東京都民を万博会場に集めるか悩むカンナに、コイズミは「メガホンで”万博会場に集まってくださーい”って言えば? ヤキイモ屋みたいに。」と提案するが、理由を言ったらみんなパニックになると即刻、却下されて目が点になっている。なぜヤキイモ屋さんには女ばかりが群れ集まり、男は興味を持たないのだろう?

 この目が点になるという漫画の表現手法を広めたのは谷岡ヤスジである。生前の彼が、誰だったか忘れたが同世代の著名な漫画家との対談で、この「点目」の開発者がヤスジであることを認め合っていたのを覚えている。通常、ヤスジ作品の登場人物・登場動物は、あっけにとられる際に点目になり、片方の鼻から鼻水をたらして「オロ?」と言うことになっている。


 フォロワーという英単語が日本人にも知れ渡ったのはツイッターの影響だろうが、私の若いころのロック・ファンはフォロワーという言葉をすでに別の意味で使っていた。例えばボブ・ディランの作風に強い影響を受け、それを自分の作品に堂々と反映させるような後輩を「彼はディランのフォロワーだ」などと言った。ただし少しは付加価値がないと単なる物まねになってしまうのでフォロワーの道も厳しいのだ。

 近代文学でいえば漱石は無数のフォロワーを生んだ。だから彼の文章は今でも読みやすいと丸谷才一は解説する。逆の典型例が樋口一葉で、彼女の作風は文学史上で孤立している。文体が独特だったうえに、彼女が描いた吉原その他の古き社会風俗は急変し、文語体が滅びて口語体が当たり前になった。ギャグ漫画でいえば赤塚不二夫からは彼のアシスタントたちを中心に大勢のフォロワーが出たが、谷岡ヤスジは弧峰である。


 あの作風が今後も少年漫画やアニメに復活するとはとうてい思えない。よくもまあ、あれを少年漫画が連載したものだ。今の潔癖な日本人からは非難轟々の嵐になるだろう。でも当時、大人気だった。テレビのCMで「晩に近い昼」とニワトリが叫んでいたのを覚えている。ヤスジの漫画はそれを商売の目的としているのではないが、ワイセツ物が頻繁に登場する。特に女性器はあからさまで、これが警察で問題になった。

 結果的に谷岡ヤスジは逮捕されずに済んだのだが、のちに担当の刑事さんがヤスジに話したことを本人が語り残している。警視庁では捜査チームが谷岡作品を山と積み上げて片っ端から読みに読んだ。確かに表の世界で描かれるべきではないものが頻出する。でもそれは劣情を刺激するために描かれているのではないことが捜査官たちにも分かったらしい。中の一人が「いったい俺たちはここで何をやっているのだ?」とつぶやいて捜査は終わったらしい。


 コイズミ案以外にも、ビラを撒くとか、無料の偽造入場券を作るとか、町中に会場へ向けた矢印を描くとか、いろんな案が出されたのだが、カンナは各案に共通する欠点を指摘している。「でも、”ともだち”が円盤でウィルスをまくのはいつ?」。一同沈黙。コイズミは神様に予言はないのと尋ねているのだが、今や神様はコイズミがボウリング・ブームを巻き起こす夢しか見ないらしい。世界は続くってことですかと若者たちは苦笑い。

 神様の夢。北欧神話の終幕、「神々の黄昏」。主神オーディンは、われらが神様と同じように予知能力がある。彼は神々と巨人族が戦って世界が滅び、自らも神の死を迎えることを知った。それと同時に、オーディンは少数ながらも若き神々が復活し、新たな世界が始まることを知る。これでよしとオーディンは立った。カンナはまだ準備が整わない。そんなところへ「テレビで変な放送が始まった」との急報が届く。相手が日取りを教えてくれたのであった。



(この稿おわり)






これはこれでタンポポ(2013年5月19日撮影)





































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