おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

よげん (20世紀少年 第733回)

 いよいよ”ともだち”がその本性を現そうとしている。その言い分を聴きながら”ともだち”とは何かを分析するというか、イチャモンを付けるのが今回以降の趣向です。「変な放送」はテレビの映像だけではないらしい。道端でサッカーをしている子供たちや商店街を歩く男たちも上を見上げているから、ともだちタワーの高いところから音声も流しているのだろう。えらい迷惑な話である。

 しょっぱなに流れたのはマーク・ボランのリフだ。秘密基地では「レコード?」とユキジがいぶかし気である。彼女はテレビに映っているこのレコードの曲を中学校1年生のときと、血の大みそかに聴いているはずなのだが、さすがに2回だけでは覚えないか。もちろんオッチョは知っていて、T-REXの「20センチュリーボーイ」だと教えている。ヨシツネとヤン坊マー坊も何だ何だと駆けつけた。カンナと神様とコイズミたちも古いブラウン管のTV前に集合している。


 ケンヂはあのときホウキ・ギターの独演に入って無敵になったのだが、僕こそ20世紀少年であるはずの”ともだち”はイントロのみ流しただけのようだ。漫画上でT-REXなり「20世紀少年」なりの出番を追うと1997年にはCD、2000年はカセット・テープ、ともだち歴3年にはレコードと、時代を逆行して音楽媒体が旧式化している。この手のレコードはもう売っているはずがないと思うので、1973年に聴いてからすぐ買って、ずっと持っていたのだろう。物持ちが良いね。

 テレビ画面の”ともだち”の第一声は「やあ、みんな」と馴れ馴れしく、続いて「世界中のみんな、こんにちは」と三波春夫のようなことを言っている。見つめるカンナの真剣な顔、なにこれというコイズミの顔。オッチョとユキジの表情が怖い。ヨシツネはメガネで分からん。「みんな覚えてるかな」と”ともだち”は挨拶も早々に切り上げて本題に入った。


 「2000年、血の大みそか、そして2015年、西暦の終わった年、ウィルスで大勢の人が死んだね。」というところまでの事実関係に異論はない。だが次の「全部、僕の”よげん”通りだったね。」というのはどうか。私が記憶する限り、1997年ごろのサークル活動中に地球が終わるだの何だのと御託を並べていたのは確かだが、世界中のみんなにウィルスが2回降るなどと予言してはいないだろう。

 彼の「功績」は手際よくワクチンを配ってみせたり、身をもって法王を守ったふうに見えたりという「英雄的な行為」が世界的に評価されてしまっただけであり、予言者として認められたわけではあるまい。血の大みそかはテロリストのケンヂ一派の犯行だという後付けの説明をするため、20世紀中にケンヂを指名手配したものの、それでも15万人死んだのだから、友民党が与党だった当時の政府はむしろテロを阻止できなかったとも言えるのであって、予言したなどと自慢してはいけないのではないか。


 ちなみに漫画「20世紀少年」に初めて「予言」という言葉が出てくるのは第1集の秘密基地封鎖の場面で、「少年時代の俺達が、いかに正しかったかを未来に伝える...何というか...」と口ごもってしまったケンヂに、ヨシツネが「予言?」と助け舟を出しているシーンである。この時点で「よげんの書」も書き上がっているはずなのに、英雄になるために手抜きをしたのだな。

 そのケンヂを「偉大なる予言者」と中野サンプラザのコンサートで紹介しているのは”ともだち”本人なのだ。確かに猿真似して「しんよげんの書」は書いたが、両よげんの書は世界中のみんなに公開された形跡はなく、一部の関係者しか知らないはずなのだ。2015年の西暦の終わりも、ルチアーノ神父が発見した「古文書」が聖書にとってかわったなら、大昔の人の預言ということになってしまう。これだけでも矛盾だらけという印象です。


 更に”ともだち”は、「そして今回は、宇宙人が空飛ぶ円盤で襲来。みんな怖いよね。火星に逃げたいよね。全部、僕の”よげん”通りだったね。」とも語った。こちらは事実関係すら間違っている。読者の知る限り、空飛ぶ円盤はまだ赤ペンキを東京に振りまいただけで、これはこれで公衆道徳に背く迷惑行為だが「襲来」と呼べるような代物ではなく、宇宙人の仕業かどうかも分からない。そして円盤の襲来が予言された形跡も一切ない。

 しかし今ここで私がムキになって反駁しても大した意味はない。なぜなら、この少しあとで”ともだち”本人が「”よげん”なんてうそだよ」と全否定してしまうからだ。なお、聴いている人たちには分からないが、読者には活字が「予言」ではなくて、「”よげん”」になっているので、彼の発言が否定したものは「よげんの書」と「しんよげんの書」であろうとの見当がつく。


 この二つの書は誰よりフクベエのお気に入りであった。したがって、この「”よげん”なんてうそだよ」という発言はフクベエの否定でもあろう。これまでの少年時代のシーンでも、フクベエとカツマタ君はあまり仲が良くないし、今後のシーンでは実に仲が良くない。こんなんでよくも2014年まで共同事業ができたものだと感心しますが、政治も会社も見渡せば似たようなものだし。

 ここまでの自慢話は実は本人にはどうでもよいことであった。彼は急に左下を向いて「世界は...」と言い出した。ここからが本題である。いくつかの主張が含まれている。妙なものばかりだが、一つずつ付き合います。最初は「世界はずっと僕の才能を認めなかった。」という泣き言であった。ゴッホモディリアーニが嘆くなら分かる。彼のいう彼の才能とは何だ。



(この稿おわり)





ハルジョオンヒメジョオンか。
昔の原っぱにはいっぱい咲いていました。
(2013年5月19日撮影)



































.