おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

エピローグ (20世紀少年 第888回)

 下巻最後の一頁半はガッツボウルだ。悪くない。”ともだち”の嘘が混じったヴァーチャル・アトラクションで終わっては後味があまり良くないだろう。最後は景気の良い現実のお話しで締めくくりたいものである。

 登場人物も申し分なく、私の好きな神様とコイズミだ。ボールを手にした小泉響子が背中で「ねえ神様」と言う。「何だよ」と神様が応じる。なんだかんだと言いながらコイズミは、すっかり第二の中山律子さんを目指し始めたらしい。つい最近、優勝したしね。


 ヴァーチャル・アトラクションに二回出て来た中年期の神様は、強引そのものの起業家という感じで、秘密基地を踏みつぶした初代「悪の大魔王」に相応しい横柄な人物であったが、老後の彼の予知夢と財産なくして人類の勝ちはなかったと思う。本人は事あるごとに否定しているが神様の名に恥じない。

 それに、1997年の登場以降、愛想がない割には周囲から人気がある。オッチョですら神様とは話が弾んだ。神様はホームレスの体験により成長したのだ。人間も神様も、何が幸いするか分かったものではないな。人類が太平の夢に沈んでいたころから、彼は唯一人、悪夢にうなされながら耐えて来た。これからは明るい夢を追うことができる。


 神様もコイズミも武力行使の戦闘行為には参加しなかったが、でも戦ってきたのだ。それに明るくて性格が前向きだから、読後感の良さを得るには適材適所である。コイズミは大勢の人が亡くなったヴァーチャル・アトラクションとメゾン・アナンスタンの両方から生還した唯一の人物として知られる。

 私はコイズミがサダキヨに語った「そんなの友達じゃないと思うんだけど」という言葉と、カンナの無事を伝えたときの「ヨシツネ? 泣いているの?」という電話ボックスでの問い掛けが忘れられない。心の優しい娘なのだ。


 正反対に後ろ向きだったのが”ともだち”であり、特に二代目のカツマタ君であった。彼は進歩と調和にさえ興味を持たなかった。さらには子供時代の仮想現実だけでは物足りず、ユキジが気分を悪くするほどに似せた昭和の街並みを現実の東京に作った。それもガッツボウル時代ではなく、まだケンヂたちの秘密基地が残っている頃である。

 残酷な出来事を少年時に経験している割に、それが起きた時代の仮想現実やテーマパークを楽しむとは、一体どういう感覚なのであろうか。ユキジの表現を借りれば、何かを思い出させたいためということなのか。どこまでも暗くて幼い遊びであった。まあ、亡くなった人の悪口もほどほどにしよう。


 感想文もこれからはペース・ダウンこそするだろうけれど、気ままに映画「20世紀少年」の感想を書いたり、好きな場面だけ読んだり、子供時代のことを思い出したりと、お楽しみはこれからも待っている。これでは脱線しようにも脱線できないけれど、時にはまた関係ないことも勢いづいて書くだろう。それに封印していた他の人たちの書き込みも読める。

 何人かの方から暖かいコメントも頂戴したし、アクセス数をみる限り少なからずの方が読んでいただいたようだ。本当にありがとうございます。このブログを初めから読み返すのも楽しみなんだ。きっと自分で書いたことをたくさん忘れている。矛盾したことも書いているだろうが、誤字脱字や事実誤認以外は修正しません。

 コイズミが初登場したころ、彼女もトモコさんもカンナも制服にベストを着用していた。そのまま間もなく年末年始を迎えているので、2014年の秋だったのだろう。もうすぐ本当の2014年後半が来る。小欄も後半は飛び飛びになったため、あやうく時代に追い抜かれるところだった。来年も西暦が続きますように。
 
 
 さて、ガッツボウルのコイズミが言いたかったのは、「来ないねえ、ボウリング・ブーム」ということだった。終戦間もないから仕方がないねえ。コイズミが投げる。ボールは幅1.06メートルのレーンのど真ん中を勢いよく転がっていく。

 その勇姿を観ながらババと同様に「ふん!!」と鼻で笑った神様は、「だから、まだまだ死ねないんだよ」と不敵に笑う。来ても死なないでね。コイズミの一投は遠くに立ち並んでいたピンを撥ね飛ばしたが、いくら数えても8本しか見えない。コイズミはスネークアイを出しちまったのだろうか。彼女なら取るだろう。渾身のスペアを。



(この稿おわり)




先日、都内でヤマカガシを見ました。










































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