おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

帰ってきたケンヂ (20世紀少年 第621回)

 第19集の巻名が「帰ってきた男」になっているのは、この巻の最後のほうで彼がようやく本名を名乗るからであり、行方不明だった主人公が物語に正式に(?)戻るからだが、その前に彼は意外な戻り方も見せている。

 91ページ目。氏木氏の目はとても小さくて、黒目が初めて描かれたに違いない彼の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちたとき、見開かれた彼の目にケンヂの姿が写った。ギターを背負って、左手に原稿が入っているはずの角2型の封筒を持っているが、荷物とバイクは壁の外に置いたままだから、ケンヂは最初から戻ってくるつもりで関所に向かったのだ。


 氏木氏の表情は泣き顔から、怒ったような驚きに変わり、「どうしたんですか!!」と遠くから大声を挙げている。ケンヂは先ず「通れた」と簡潔に報告し、通行手形を見せながら「たいしたもんだな、おまえ」と褒めている。ギャンブラーたちは大騒ぎで「何で戻ってくるんだ?」、「バカか?」と叫んでいる。こういう連中にまでバカと言われるとは。

 スペードの市はケンヂの前に立ちはだかり、使わないならその手形を貸せ、金なら幾らでも出すと交渉に出た。ケンヂは「俺の相棒、売った金か」と鋭く見抜いている。市の沈黙が答えになった。二人は三船敏郎仲代達矢のように、アラン・ラッドとジャック・パランスのように、ニセモノの太陽の塔と巨大ロボットのように、一触即発の気配で対峙した(出典: 「椿三十郎」、「シェーン」、「20世紀少年」)。


 だが、市は「ちょっと顔、貸してくれ」と不思議なことを言い出している。手形を諦めて顔か。借りた顔の行先は、ワイルド・バンチ・サルーンの階段を上がった部屋だった。痩せこけた女性が息も荒く横たわっている。万博会場で倒れたヨシツネ少年と同様、唇が渇いている。「俺の妹だ」と市は言った。

 彼によるとこの町にはもう薬がないそうで、どうしても関所の向こうに行かなければならないのだ。妹さんは死病を患っているのだろう。「漫画家先生よ」とケンヂは氏木氏に声をかけて通行手形を示した。そして「これと同じの作れ」と命令している。しかも「町の連中、全員分...二百枚だ」と大量注文であった。


 あとは余談です。ツバキには白い花と赤い花があり、「椿三十郎」ではこれが洒落た小道具として使われている。最後の果し合いで勝者が瞬時に力を使い果たした姿を見事に演出している。ラスト・シーンは、「映画史上、最も有名な背中」と聞いたことがある。本作に限らず黒澤映画の出演者名をみると、私が幼いころ主役格だった多くの俳優が黒澤監督に育てられたことが歴然としている。

 ワイオミングの山々は美しい。私はこの州を車で縦断したことがある。その地を舞台にした映画「シェーン」のラスト・シーンは少年の別れの挨拶がワイオミングの山彦となる場面、と思っていたのだが、二回目にアメリカで観たとき思い違いだったことを知った。立ち去る馬上のガンマンは撃たれた腹部を押さえている。地面に墓が立っているのが写る。主人公のその後を暗示しているのだ。もう一度観てみたい映画がたくさんある。お金と時間がちょっと足りない。




(この稿おわり)




ずっと前に話題にした故郷のお寺。勝海舟の母と姉の墓がある。
(2013年1月3日撮影)





 怪獣退治に使命をかけて
 燃える町に あとわずか...

      「帰ってきたウルトラマン」 この番組は音楽が良かった。 



















































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