おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

毎回新曲 (20世紀少年 第618回)

 最初にちょっと雑談。以前、引用したダン・シモンズのSF「ハイぺリオン」シリーズに過去の出来事として「第三次中日戦争」という言葉が出てくる。これ自体はもちろんフィクションなのだが、第一次と第二次は虚構ではない。

 国際的には日清戦争を第一次日中戦争と呼び、第二次は満州事変から太平洋戦争までのことを指すらしい。そして今、われわれは第三次の戦前を生きているかもしれない。こちらに戦意がなくても、しばしば頭がおかしくなった国家が一方的に攻めてくるのは世界史で習ったとおり。ご近所に正気を疑う国が並んでいるというのは厄介なものだ。


 第19集の65ページ下段。氏木先生のアトリエに一人残ったケンヂは、生原稿を見ながら「うまいな、絵」と姪のカンナと同様の評価をしている。氏木氏は「一応、漫画家ですから」と謙虚である。映像で手塚治虫浦沢直樹が人前で漫画を描いているのを見たことがあるが、上手いとしか表現のしようがない。

 さらにケンヂは「面白えな」と、ユキジとは正反対の感想を述べた。なぜならばケンヂが手にしている原稿は、どう見てもラブコメではなく、「20世紀少年」のように近未来を舞台にした戦闘もののような感じだ。正義の味方が登場するに違いない。いつの日か世に問うべく描きためているのだろう。


 ケンヂは続きを読みたそうにしているが、訊くと漫画家は行き詰っているのだという。いつも二人で漫画を描いている相方が東京にいる。壁と関所が二人を隔てたままなのだ。氏木氏は宮城県のご出身だそうで、ご母堂危篤の報に接し帰省したとき、運悪くワクチン騒動や東京隔離政策が始まって難民になってしまったのだ。

 漫画の話題は沈黙のうちに途切れてしまった。ついにケンヂが偽造手形の話を持ちだしたとき、氏木氏はやはりその話ですか、帰ってくださいと言った。なんでやめたんだとケンヂは問う。かつて氏木氏は手形を3枚書いて、一人は通ったが、二人は撃ち殺されたと語る。氏木氏は僕のせいで二人も死んだと自分を責めながら、目に涙をためている。


 その隙にこそこそゴミ箱をあさったケンヂは目的どおり予想どおり、書きかけの通行手形の反故を見つけ出した。氏木氏は向上心とプライドを失っていなかったのだ。しかし氏木氏は「僕は漫画家です。コピー機じゃない。」という名言を残した。漫画では同じものを何回も描けないと氏木氏、同じ顔を何度も描いてるじゃないかとケンヂ。

 ここから始まるクリエイター同士の会話が私は好きです。氏木氏は通行手形と漫画は違うと強く主張する。「キャラの顔は演技によって刻々と変わるんだ。素人目には同じに見えるかもしれけど...」と浦沢直樹は書いた。氏木氏が思わず「え?」と将平君的反応を示したほど、ケンヂの返事は意外にも穏やかだった。「わかるわ、あんたの言うこと」とケンヂは言う。


 次は実演である。歌も同じだと言ってギター抱え、「スーダララ、グータララ」と弾き語りを始める。歌詞の順番が逆のバージョンもあるらしい。「で、次」と言って、もう一回歌った。そしてケンヂは「な?」と訊いた。氏木氏は「は?」と答えた。さしずめ、菜っ葉と葉っぱの会話とでも呼ぶべきか。

 同じに聴こえると正直に応えた氏木氏を、ケンヂは「バカ」と一喝した。同じ演奏なんか二度とできねえ、毎回、新曲なんだよとケンヂは意気軒昂と語る。演ってるほうや描いてるほうが違うと思っていても、見るほう聴くほうからすれば、まるっきり同じなのだという論理展開である。


 これでは氏木氏の戦績、1勝2敗を説明できないと思うのだが、ふたりは「そんなもんだ」ということでどうやら意見の一致をみたらしい。続きはちょっと頁が跳んで77ページ。氏木氏は押入れの箪笥から、これまで一番うまく書けたという通行手形を出してきた。ケンヂは本物を見たことはないと思うのだが、「すげえな」と感動している。

 ケンヂはこれに「俺の名前を書け」と注文した。その説得用の理由がいいな。あの漫画原稿を持って行って、東京の相方に渡してやるというのだ。「死んじゃいますよ」とうろたえる氏木氏に、ケンヂは血の大みそか以来の名文句をもって応えている。「ちょっと行ってくらあ」と矢吹丈を名乗る男は言った。



(この稿おわり)




日の出。うちのバルコニーにて。今これを書いている机からスカイツリーが見えます。
(2013年1月25日撮影)







































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