おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

背中 (20世紀少年 第624回)

 第19集の102ページ、ケンヂに作業の進捗状況を訊かれた氏木氏は「あと二枚」と答えている。もう手の感覚がないらしい。正義のためとはいえ公文書偽造の闇稼業。氏木氏の心境を推し量ってか、ケンヂはよくがんばった、すげえよと声をかけている。

 氏木氏の畳アトリエにはたくさんの通行手形が置かれている。インクが乾くのを待っているのだろうか。数えていないが98枚あるはずだ。最初の100枚はケンヂに預けたと氏木氏が言っているのだから。


 ところが漫画家先生が訊いて驚いたことに、ケンヂはすでに町の人たちにその100枚を渡してしまったらしい。最後のチェックをするつもりだった画伯はケンヂを責めるのだが、「大丈夫」というだけで、それにもう手遅れだ。

 それにしても、かつては命が危ないと思ったら一目散に逃げてくれと言っていた人物とはまるで別人である。もっとも、大丈夫かどうかは自分自身で確かめてきたのだから自信満々。氏木氏はまた僕のせいで撃たれたらと心配している。数が数だから今度は二人では済まないかもしれない。


 そのころ関所では最初の100人が足止めをくらっていた。ところが、警備隊が驚いたことに通行手形100枚を精査したところ(どうやって精査するんだ?)、すべて本物であった。本当の本物もペンの手書きなのだろうか。しかし警備隊は門を開けず、人数の多さと物々しさに圧倒されてしまったようで群衆に銃を向けた。

 一人立ち向かったのは刃物を携えたスペードの市である。度胸だけは充二分(懐かしいな、アパッチ野球軍)。こっちは病人連れてんだとアディオス号を指さしている。病気の妹さんを乗せているに違いない。だが、警備軍は凶器を捨てろと聞かない。市も捨てない。膠着状態である。

 
 しかし事態は急変した。残りの100人も来たのだ。ケンヂと氏木氏もいる。市の「こいつらが通さねえんだ」という説明に、ケンヂは「ったく、しょうがねえな」と言いながら手形を警備員に投げ渡して、ギターで歌を歌い始めた。そして「グータララ」には、アリババの「開けゴマ」みたいな効用があるのだろうか。

 またしてもゲートは開いた。「ほら、やっぱり」と氏木氏は感動している。「あなたの歌が、世界を変えるんだ」と褒められたケンヂは、肯定も否定もせず「まあ、とりあえず行くか」と気合の入らない発言をして先頭に立つ。実際、ゲートが開いたのは歌のおかげではなく、なんというか因縁のためであった。

 
 すなわち、次の頁で警備隊の一人が、本当に開けていいのかと最高責任者らしき者に確認しているのだ。そのトップはかつて自分を「悪」と呼んでいた例の男であり、ようやく描かれた顔を見れば、あの長髪の人殺しであった。一国一城の主に出世か、それとも飛ばされたのか?

 男はこの時を待っていたのだという。”ともだち”が小さなサークルを始めて以来、勝ち続けだったのだが(ということは彼はかなりの古参なのだろう)、悪が恰好よく見えるためには正義の味方が必要なのだという。なるほど、それでデスラ―のマネをして総統を名乗ったな。


 またも年寄りくさいことを申し上げるが、私は近年の日本人が平気で使うようになった「感動をありがとう」とか「元気を与える」とか「背中を押してもらった」とかいう言葉が大嫌いで実に困っている。若者が自分たちだけで新語を使うのなら、いつの世でもあることだが、これらは中高年もテレビのアナウンサーも使いまくっている。

 背中を押してもらったという言葉が愛用されるようになったのは、多分あの緑豊かな美しいシドニーの街を(一回だけ行ったことがあります)、誰よりも速く駆け抜けた高橋尚子の勝利のインタビューからだろう。時差がほとんどない大会で休日だったからずっと観ていた。日本人が陸上のスピード競技であれほど爽快な勝ち方をするというのも滅多にあるまい。


 男も「背中を押した」と言った。だが、こちらは本物の背中を本当に押したのだ。「幸せの絶頂にいる女の大事な男の背中を、プラットホームで...」と語っているのは、もちろんキリコと諸星さんのことだが、果たしてキリコはあのとき幸せの絶頂にいたのだろうか? ちょっと違うと思うな。ともあれ、またしてもケンヂはキリコのおかげで命拾いしたのだ。

 今度はその弟の背中を「ドンと」押す番だと、男はうきうきしている。以前はいろんな悪人が映っていたモニター画面は、すべてケンヂが関所を通り抜ける姿を中継している。お次は城塞の攻防戦だ。



(この稿おわり)



午後遅くの東京都庁 (2013年2月9日撮影)





































.